網膜剥離になってしまいました

 日曜日くらいから右目の視界に違和感があったのですが、とりあえず月曜日は大学にいって通常通りの仕事をしたところ、ますます違和感が強くなりました。火曜日の朝になると、治るどころか右目の視界の左の4分の1くらいが血のような赤黒色に覆われるようになり、これは眼底出血とか緑内障といった深刻な病気かと不安になり、私はあまり病院は好きではないのですが、妻に押される形で近所にある、評判の良い眼科病院に行きました。
 多数の検査や眼底の撮影(眼科の検査は「C」字の視力検査くらいしか知らなかったのですが、眼圧などいろいろ測れるのですね)を経て、診断はさらに深刻な「網膜剥離」。あと1日受診が遅かったら失明していたかもしれないと言われたのです。網膜剥離というと、ボクサーなどの格闘家が目を殴られてなるものかと思っていたのですが、運が悪いと、普通の日常生活を送っていてもなることがあるそうです。網膜に何らかの理由で穴が開き、硝子体が膜の外に漏れ、膜が剥がれてしまうようなのです。
 不幸中の幸いというか、その日のうちに名医のほまれ高い院長に手術をしていただきました。白内障もあるので水晶体をまず切除し(後で新たなレンズをはめる)、内部の硝子体にガスを入れて、剥離した網膜を内側から気体の圧をかけてもう一度貼り付ける、というものです。尖端恐怖症の私にはこの話だけで怖いのですが、しかし手術を受けないと失明の恐れがあるので。勇気を振り絞り、院長先生の執刀にお任せすることにしました。多くの人がそうだと思いますが、私は「死」の次に失明が怖いです。愛しい人たちの姿が見えなくなり、読書や映画といった楽しみも奪われてしまう。もちろん、聴覚を失うことも音楽や会話が失われるので怖いですが、どちらが怖いかと言ったら視覚を失うことの方がずっと怖い。大数学者のオイラーは失明後、この方が集中して数学ができる等と語ったそうですし、文学者のボルヘスも失明後にも盛んに活動していましたが、私は到底そのような境地に達することはできないでしょう。昔、下村敦史さんの『闇に香る嘘』という乱歩賞受賞作のミステリーを読んだことがありますが、中途失明者の感じる恐怖が極めて巧みに描かれていました。この小説は中国残留孤児や日中友好の問題も扱った傑作です。
 また、白内障の手術はほとんどの人が受けるものであり(確かに私の母や義母も受けています)、それが十年早まったと思ってくださいとも言われました。
 手術の前には麻酔があります。昔は注射で麻酔をしていたそうですが、今の眼科麻酔は点眼薬なので、それ自体は全く痛くありません。
 しかし手術中、当然ながら目を開けていなくてはなりません。他の手術なら、目をつぶってやりすごすという方法がありますが、目の手術ではそういう訳にはいかないのです。
 全く痛くはないのですが、眼球に穴が開けられ、様々な処置がされていることは、水晶体が外されていても視神経は当然生きていますから、わかります。いろいろなことをされました。手術時間は約45分だったと後で聞きましたが、とても長い時間のように感じられました。一つ得られたことと言えば、通常では見えないような不思議な光景を見ることができたことですね。いらない膜を切除し吸い取るところとか。別室でモニターを見ていた妻は、眼球がまるで水槽のようだったと言っていました。
 目の手術を受ける時に難しいのは、見る方向を院長の指示通りに動かすことです。例えばピンセットが映って動いている。しかし「ピンセットの方は見ないでください。目を動かさないでください」と言われます。そうしようとしても、不随意に動いてしまう。これは難題です。
 さて手術は無事に終わり、今、右目はほとんど見えないものの、一週間くらいで回復するそうです。昨日は院長の指示で、ずっとうつぶせにしていました。そうしないと、右目の中心が歪んでしまうと言うのです。ほぼ眠れませんでした。
 今週中のゼミや会議は、メールで連絡して休みにしてもらいました。来週の月曜日からは授業などの業務も再開する予定です。
 しかしこうした時に、妻を初めとする家族のありがたさを痛感します。高齢独身男性の寿命が短いというのも分かります。無理やりにでも病院に連れていく人がなければ、どうしても通院は億劫なものですからね。

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