[雑記]芸者東京の思い出〜その3:ガラケー編〜
夜呼び出された僕はメンバの紹介と企画の内容の説明をされました
「企画考えるMさんとデザイナとAさん、入ったら一緒にやってもらうから!ガラケーでラーメンのゲームを作ろう、ちょっとどう作るか考えといて!mixiとGREEに出すから、Mobageはまだわかんないけど」
当時の自分は、おー、ベンチャー、こういうの求めてたんだよなー、しかも作るのはゲームだ!とテンションが上がったのを強く記憶しています。どうやって作るかなー、ラーメンが題材かー、考えを馳せて日々を過ごして、入社した時に
「やっぱラーメンだめだわ〜、俺らみたいなおっさんしか喜ばないもん、女の子が遊んでくれないからだめ、かわいい動物のゲーム作ろう!まだ企画がふわっとしているからちょっと別の仕事してて」
とこんな感じでした。ラーメンのゲーム作りそこねた。当時CyberAgentがラーメンのゲーム作ってそんなに儲かってない感じだったので正しい判断だったと思います。
ちなみに最初の仕事はGREEに出しているおみせやさんというゲームの月額課金の実装でした。Scala楽しい言語だなーとやはりテンションが上がりました。
おみせやさんの悪魔の月額課金の機能をざっくり作ってから、可愛い動物のゲームを開発してリリースしました。
当時は会社に泊まりこんで、ずっと開発していたのですが、作る以外のことを考えなくていいくらいにインフラを整えてもらっていました。NARUTOみたいな色のジャージが支給されいて、洗濯物は袋に入れればクリーニングに出してもらえる、という最高の環境でした。近くには25時まで空いている銭湯があって、閉まるまでに銭湯行って、帰ってきて寝落ちするまで開発して、朝起きたら開発し始める。そんな生活を数ヶ月くらいはしていたと思います。当時は切羽詰まっていたはずなのですが、今思えば最高じゃんと思います。苦しい出来事は楽しい思い出になる事例ですね。まあ冷静に考えればとんでもなくブラックなんですけども、あの速度で開発している自分に酔っていたし、売上上がらなくて切羽詰まっていたし、一日一機能くらいリリースしていたし、もうわけがわからない感じで、たぶん脳内モルヒネどっぱどぱだったと思います。
まあでも売上振るわずすぐサービス終了したんですけど。まあ頑張っても報われないこともある、腐らず頑張ろう、という感じですね。
可愛い動物のゲームをサービス終了したあともいろいろ仕事があったのですが、ある日タイセイさんが言いました。
「スマホにはポケモンにあたるゲームはない、ポケモンを作ろう!」