[雑記]芸者東京の思い出〜その2:内定編〜

前回は芸者東京との最初のコンタクト、芸者東京を知った経緯でしたが、今回は入社するまでの経緯です。

ソーシャルゲームを作る会社への転職フェアでお互いを知るようなコンタクトが取れました。そのフェアにはgumiやenish(旧symphony)などが出展していました。今や六本木ヒルズに入っているenishも当時三人で、まさにソーシャルゲーム黎明期と言った感じでした。各社のプレゼンの中で唯一敵は任天堂だし、ディズニーだし、ソーシャルゲームをいつまでも作るわけではない、と言っているタイセイさんは他の会社と一線を画しているように映りました。

ところで当時の僕はアクセンチュアというSIを主な生業としている企業に勤めていました。四六時中コードを書いているわけではなかったので、自分自身の技術には悪くはないけど、良くはない程度くらいの認識でした。

芸者東京の面接を受ける前にGoogleの面接を受けました。Googleの面接の対策をしておらず見事に敗北しました。割と悔しくて、その後アルゴリズムやコーディングテストの対策したんですね。当時の芸者東京のエンジニアに受け入れられて、コーディングテストもパスして、課題付き合格をもらいました。

Web開発の経験がなかったので、簡単な掲示板を作って下さい、という課題をもらいました。当時の僕はOracleでPL/SQLは触ったことがあるけどなー、みたいな状態だったので、RDBを使うのは得策じゃないなー、と思い、GAE+Wicket(Java)でモデリングさえすれば永続化される仕組みで課題を提出して、晴れて合格となりました。

後になってほんと思うことがあって、自分はあのタイミングだからこそ、芸者東京に入れた、と思います。当時(自分がいる間)の芸者東京という会社は技術的に超優秀なエンジニアが大量に入ってきていました。当時の自分はWebの知識に疎かったし、他の要素も技術的に優れていたわけではありませんでした。芸者東京の会社としてのタイミング、Googleの採用試験に落ちたこと、RDBをガリガリ使わずとも掲示板を作ることができるフレームワークが出てきたことなど色々な要素が重なり、うまいこと潜りこめた、というのが正確な表現なのかもしれません。

そんなこんなで内定をもらい、入社までの期間、まだアクセンチュアで働いていたのですが、MSNメッセンジャーからタイセイさんから連絡がきました。

「岡谷さん、今日夜来れる?作るものの相談したいんだけど」


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