[雑記]芸者東京の思い出〜その1:ファーストコンタクト編〜


僕の社会人生活の中で他の会社の倍以上の時間を過ごしたのがこの会社、芸者東京でした。正確には当時の会社の名前は芸者東京エンターテインメント。社会人生活の中で長いこといたわけは、単純に居心地が良い会社だったのと激動の時代で変化しまくりだった、ということでしょう。

昔話するのは老害ですが、少し思い出してみようと思います。

芸者東京に勤める前はアクセンチュアという会社にエンジニアとして勤めていました。そこまでエンジニアとして能力を高めていく環境でないと感じ、キャリアを考えて手を打ちたいという自分の問題、ソーシャルゲームが流行っていきそうな雰囲気、当時はmixiがオープン化されるされないの時期でソーシャルゲーム創世記という感じでした。ずっとソーシャルゲームを作る意思はないけど、市場は多くなりそうだな、という認識でした。今思うと気合で自分で作って会社立ち上げればよかったのでしょうけど、当時の自分にはそんな気概はなかったのでした。しかし子供の頃から夢だったゲーム開発へ自分の人生のリソースを投入するのには良いタイミングでした。

そんな中での芸者東京とのファーストコンタクトはCEDECでした。

僕にはゲーム開発がしたいという明確な意思があるので情報収集してタイミングをみようとそういう思いでした。ここまでおもしろおかしく電脳フィギュアの成功について話すタイセイさん(芸者東京CEO)は強く記憶に残り、この後にスケジュール上、タイセイさんが行うラウンドテーブルがあることを確認し、参加しようと決めたのですが

GREEの田中さんが話すセッションにいたんですね、タイセイさん

田中さんの話す講演中、ラウンドテーブルのための資料をセコセコ作りかけてたのですが、途中で作るのに飽きたのか、何なのか辞めちゃったんです

どうするのかな、と思ってみていると

ラウンドテーブルでは資料も何も使わず、見事に仕切って、いろいろな人から情報収集しつつ、まとめて、やはりソーシャルゲームを作っていきましょう、って流れを作っていっていました。もちろん潮流というのはありましたが、金になりそうだし、エンターテイメントに従事するものとして、やらないことはないよね、って感じだったと思いますが、当時からGREEかモバゲかみたいな話をしていた気がします。まだオープン化もされてなかったのに未来感ありますよね。

そんなファーストコンタクトでした


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