ワタシが”私”を見つけるまでを見て考えたこと 出自を知る権利
先日、私が"ワタシ"を見つけるまでというドキュメンタリー映画を見ました。
以下は完全な素人目線ですが、思ったことをまとめています
いくら幸せな生活を送っていたとしても
中国の一人っ子政策の影響で育てることができない両親が手放した少女たち。アメリカの養父母に引き取られ育っていくんだけれども、自分の出自や親、祖国を知りたくて調査を依頼したり中国を訪れる話です。
いくら生後間もない頃に親元を離れたとはいえ、やっぱり自分の生みの親がどんな人か、どんな街に住んでいたのかは気になるものなんだな…
自分のアイデンティティがはっきりしないのは、想像以上につらいものだということを知りました。
精子バンクや卵子提供を受けるのならば
「私はどこから来たのか」がわからず苦しむ少女の姿を見ると、一つ感じることがありました。
今は精子バンクや卵子提供が子供を持つ選択肢の一つとして存在している。それを利用するならば将来子供が希望した時に相手がどんな人なのか、情報開示を必須にした方がいいなぁと感じました。
もちろん映画の彼女たちのようにそれができない状況もあると思うけれど、生まれてくる子供はきっと知りたがる。
相手がわかる環境ならば、親としての責任の一つとして、重視すべきじゃないかな
ほんの8年前の話
それにしても彼女たちが生まれたのは2001年くらい。
ほんの20年前に二人目以降を諦めた親御さんと、離れざるを得なくなった子供たちがたくさんいました。
一人っ子政策が2014年まで続いていたようなので、それを考えると8年前まで親子の生き別れがあったのかもしれません。
つい最近までこんなことがあったとは・・・
この映画を見るまで考えたこともありませんでした。
技術発展による再会に期待
先日、ちきりんさんのボイシーに、こんな話がありました。
この技術が一人っ子政策で離れ離れになった親子にも使えたらなぁーー。
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