いつもここから

　いつもここからって芸人がいるじゃないですか？俺、あの人たちみるとチャンネル変えちゃうんですよ。え？いや、でてますよテレビ。Eテレで毎日のように見ますよ。だから娘に断って、あの人らがでてるときだけチャンネル変えるんです。怖かったことを思い出すんですよ。数年前のことなんですけどね。
俺はある企業で働いていました。今はもう転職したんですけど。勤めていた部署では頻繁に飲み会があったんです。その飲み会で、同僚のAさんって人が酔っぱらってよく「悲しいときー」ってネタをやってたんです。しょうもないあるあるネタなんですけどね。「悲しいときー悲しいときー猫かと思って追いかけたらコンビニの袋だったときー」とか。その中でちょっと、うーん、いじりというかいじめというか、そういうネタをやることがあったんですね。「誰か出勤してきたなと思ったらTだったときー」みたいな……。軽いものだとね。ひどいもの？はちょっと言いたくないですね。Tさんというのも同僚で。Aさんは何かといじるというか……いじめというか。いやな関わりをしていました。飲み会も基本的には、というかまったくTさんはこなかったです。仕事が終わってないのでとかいって。Ａさんが裏で来るなとか言ってたんだと思います。最悪ですよね。ガキみたいで。
誰もAさんにはなにも言いませんでしたよ。俺もね。なんでって、ほかの人がTさんをかばったことがあったんです。そしたらね、AさんってよけいにTさんにひどく当たるんです。かばった人もね、自分がかばったせいでって気に病んでね。本当にいい性格してますよ、Aさんは。
そんなわけで、その部署内ではAさんのTさんに対するいじめというか嫌がらせが黙認されていたんですよ。いや、Aさんがいやな奴でそのＡさんが悲しいときーってネタをやってたからいつもここからが苦手になったわけじゃないんです。
あるとき、新人が入社してきましてね。こいつがちょっと空気読めないと言うか変わった男でした。Ｔさんが飲み会に出ないのも不思議に思ったみたいでね、「一緒にいきましょうよ」とか誘うんです。Ｔさんは困っている感じでした。Ａさんがそいつはいいんだよって新人を無理矢理引っ張ってね。飲みに行く前は毎回そんな感じになって。だいたい何回かやったら新人もあきらめるのがふつうだと思うんですけど、新人は全然あきらめず、毎回毎回誘うんです。何回目だったかな、Ａさんがぶちぎれて、「そいつはいらねーんだよ」って言ったんです。「全員、そいつには来てほしくないって思ってるんだ」「そいつは自分のことが自分でわかってるから来ないんだ」って。Ｔさんふるえてました。新人は引いてました。えーって顔している新人をやっぱりＡさんが引っ張って。みんないつも通りＴさんをおいて会社をでたんです。
そしてね、いつもの居酒屋で、みんな、Ａさん以外のみんなは空元気で酒を飲んでいましてね。本当は誰かを除け者にした飲み会なんて嫌ですよ、みんな。でもやっぱＡさんが怖かったんでしょうね。渋々参加はしました。Ａさんはいつも通りで、いや、いつもよりペースが速くて、すごく飲んでました。おいおい……って思ったけど止めるのもなあって。絡まれてもイヤだし。そしていつものように酔っぱらったＡさんが言い出すんですよ。「悲しいときー、悲しいときー」ああまた始まったよと思ったらね。「今日は僕にやらせてください」って新人が言い出したんです。みんなびっくりしましたけど、Ａさんがおおやれやれって言うんでね。始まったんです。新人のあるあるネタが。
「悲しいときー悲しいときー、猫が来てくれたとおもったら猫じゃなかったときー」
「悲しいときー悲しいときー、猫になんとかしろよってすごまれたときー」
「悲しいときー、悲しいときー、Aさんの後ろにいるのがどうみても寺脇さんだったときー！」
俺たちははっとしてAさんの後ろを見ました。本当に立っていました、Tさんが。恨めしそうな顔をして。Ａさんを睨みつけるようにして。そんなとこにいるわけないのに。確かな肉感を持って、そこに立っていたんです。みんな悲鳴をあげました。その瞬間Tさんの姿は煙みたいに消えて、バターンって大きな音がして……新人が泡吹いて倒れていました。店の人が呼んだ救急車で運ばれて、あいつ、酒飲んでなかったのに急性アルコール中毒ってことになって……Ａさんが責任とって部署異動。そうなると部署は平和になりましたよ。俺聞いたんですよ、新人に。あれはなんだったのかって。
「あれですか。俺、猫を飼ってるんですけどね。寝てるときに足下に猫がきてくれたなーと思って見たら、Tさんの生首だったんですよ。その生首が言うんですよ、なんとかしろって」
だから何度Aさんに邪魔されてもTさんのことを毎回飲みに誘っていたのか。
「そのわりに、Tさん困ってたよな、おまえに誘われて」
「でも怖い顔して立ってたでしょう、Aさんの後ろに。あれも毎回でしたよ。俺ももう限界だったんで」
「毎回……」
あの飲み会でなにがあったのか、Tさんに話す人はいません。たぶん。俺の知る限りでは。だけどAさんが異動してからいきいきとしだしたＴさんは、やたら新人に優しくするようになったんです。限定のお菓子あげたり。チュールとかもあげてました。そのときに新人がぼそっと、なんで猫いること知ってるんですかねってつぶやいてて。なんか、Ｔさんも新人も気味が悪くて。これが俺がいつもここからを見られない理由です。我ながら理不尽ですけど。転職してから前の会社の人たちとは誰とも連絡とってないのでその後のことは知りませんよ。