短編小説『箱』
曾祖父が死んだのは、もう二十年も前のことだ。晩年は病気で歩き回ることができなくなりながらも、遂には百八まで生きての大往生だったという。当時、親の仕送りに頼って下宿しつつ、大学に通っていた私は、父からの連絡を聞いても、ただ、あぁそうなのかと思っただけだった。私と曾祖父との間にあったのは血縁だけで、人間的なつながりはほぼ無いのと同じだった。
あまり詳しくは知らないのだが、曾祖父は二度の大戦を経験した後の日本で、食料品関連の企業を立ち上げて成功を収めた人だったらしく、葬式には顔を見たことすらないような遠縁の親戚や、会社の役員、何の縁で出席しているのか分からないような人まで集まっていた。
告別式は時たまテレビで放送される、政治家なり有名な俳優なりのものと似ていた。壁の白い大きなホールに、照明を受けて眩しいくらいに光る花々が山のように飾られ、その中心に大きな遺影が置かれ、その手前に、遺体の入った棺桶があった。遺影として置かれた写真は、穏やかに微笑していながら、どことなく厳しさを感じさせる目をしていて、なるほど大企業の創業者ともなると、こういう風格を持っているものなのかと、数珠を片手に参列しながら感心していた。
長ったらしい読経や焼香、会社の重役らしいでっぷりした男の弔電披露を終えて、棺は霊柩車に積み込まれた。火葬場までついていったのは、一部の、曾祖父と特に親しかった家族の者だけで、残りの親族は一旦曾祖父の邸宅へと戻った。
私のような一族の末端の人間まで呼ばれたのは、葬式を盛大に行うためだけでなく、塀に囲まれた広大な敷地に、本宅、別宅、さらには蔵さえも持っている屋敷に残された家財の整理の手伝いのためだった。
曾祖父が生前残した遺言書には、資産の一部を、晩年の彼の世話をしていた町田という女性に、そして長男、つまり私の大叔父にあたる人に屋敷とそこに置かれたものを全て相続すると書かれていたのである。曾祖父の死によって、邸宅と家財を手に入れた祖父は、火葬と帰骨が済んだ翌日、大叔父は早速、集まった親戚の人間にあれこれと指示を出して、家財の整理を始めた。
葬式にも参加していた例の町田という女性も、この大仕事に参加していたが、大叔父は、血縁関係にもない彼女が父親の遺産を一部でも受け取ることに不満があったようで、いちいち棘のある言葉を彼女に投げかけていた。町田という女性は、当時まだ二三十代だった。曾祖母の死後、仕事のために東京で生活する大叔父や、就職などで方々へ散っていた他の兄弟とその家族との関係が希薄になり、広い屋敷で細々と孤独に生きていた曾祖父の世話をしていたそうで、本人曰く、彼女は幼い頃から屋敷の近くの家に住んでいて、曾祖父に本物の孫のようにかわいがられていたのだという。十五歳になった頃から、アルバイトのような形で、曾祖父に依頼されて、日々の介護をこなすようになり、十数年、それを続けていたとのことだった。曾祖父は、持て余した資産を町田さんのために使おうとしたこともあったようだが、彼女の方からそれを断っていたのだという。そういう遠慮がちなところも、曾祖父には何かしら、思うところがあったのかもしれない。
曾祖父はまた、美術品の収集に凝っていたようで、邸宅のあちこちには、陶磁器や掛け軸、額縁に入れられた水墨画などが飾られていた。が、町田さんの反対も空しく、大叔父の指示によってそれらは別宅の居間に集められ、翌日、軽トラックに乗って来た業者に、特に高価な一部のものを除いて、すべて回収されていった。あれを売った金が一体いくらになったのかも私は知らない。知らないが、相当な額になったことは、業者から大叔父が受け取っていた札の量で分かった。
本宅の二階からは曾祖母のものだったと思われる着物が何着も見つかった。桐の箱に仕舞われて、大切に保管されていたものが大半だったが、どれもかなり古いものだったようで、色はくすみ、生地はくたびれていた。売り物にならないとわかると、大叔父はこれも全て処分すると言い出して、私たちに運びださせた。ほとんどあったことはないものの、曾祖母の着物をこんな形で捨てるのも忍びない気がした私と母は、こっそり、一番状態のいい着物を町田さんに渡した。通りがかった大叔母にその場面を目撃されてしまったけれど、彼女も反対するどころか、母の着物を、父の恩人に渡すことに何のためらいもない、むしろ町田さんが着てくれるならこんなに嬉しいことはない、と涙ぐんでいた。金色の腕時計と、ゆるくパーマのかかった上品な白髪の印象的な人だった。
本宅が、美術品と曾祖母の着物、曾祖父の私的な記録や愛読していたらしい本の類の処分だけで済んだのに対し、別宅は家具も含めて、建物自体以外のほとんどすべての物が処分の対象になった。これにも町田さんはあまり気が進まない様子だったが、大叔父に何かを言うことはなかった。以外なことに、別宅の中には、少し歪んだリモコンの配置、ごみ箱の中に入った果物の皮や何かの袋など、生活の気配が漂っていた。歩き回ることができなかった曾祖父がわざわざ別宅まで移動して生活する理由もないだろうから、日ごろから、万が一に備えて、町田さんにここにいてくれるよう頼んでいたのだろう。それを知っていたからこそ、大叔父は家具も含めた別宅の中身の全てを処分することに決めたのかもしれない。
彼にしてみれば、幼い頃から家業を積むために精進し、言われるままに仕事一辺倒の人生を送って来たというのに、いざ蓋を開けたら、血縁も何も関係ない若い女に遺産の一部を持っていかれてしまったのだから、たまったものではなかったのだろう。
問題が起こったのは、告別式の翌日、別宅の作業と平行して進められた、蔵の整理の最中だった。埃の舞う薄暗い蔵の中に置かれていたのは、どれもこれも、時代を感じさせるような古い家具や壺、漬物石など、およそ役に立たないものばかりだった。その、いわばガラクタの山の中から一つ、大きな木製の箱が見つかった。一緒に置かれていた家具と同じようにかなり古いもののようで、表面に施されていたらしい塗装は色落ちしたり禿げたりし、角の補強用らしい金具は赤黒い錆びがこびりついていた。大きさは丁度、大人の男が腕で何とか抱えられるほどだった。中に何かが入っているようで、傾けると中身が微かに動くのが感じられたが、箱の側面に開け口のようなものは見つからず、どうやって開けるのか分からなかった。他のごみ同様、これも処分用の山に運ぼうとした親戚連中に、町田さんは、他の物の時とはくらべものにならないくらいに強く反対した。
彼女曰く、この箱は生前、曾祖父が決して開けずに蔵に置いておかなければならないものだと何度も話していたものだった。親戚の一人が、何故開けてはならず、置いておかなければならないのかと聞いたところ、それは町田さんも知らないとのことだった。
騒ぎを聞きつけて、大叔父が首に掛けたタオルで汗をぬぐいながらやって来た。蔵の前まで来た彼は一瞬、町田さんに鋭い視線を向けた後で、地面に置かれた箱を見て、驚いたような顔をした。私たちが事情を説明すると、彼は、これは捨てないでいい、本宅の二階に置いといてくれ、とだけ言って戻って行った。
指示通り箱を運んだ先、本宅二階の部屋は、蔵や別宅に置いてあったものの中でもごく一部の、処分しないものを一時的に置く場所になっていた。開いた扉から中に入ると、積み上げられた家財の陰で子供が一人うずくまっていた。朝からひっきりなしに大人たちの間を縫って駆け回っていた、親戚連中の子供の一人だった。何をしているのか、と箱を棚の上に置きながら聞くと、かくれんぼをしているから見なかったことにして欲しいと言われた。
丁度その時、階段を駆け上がる、軽く乱暴な足音がして、赤いスカートを履いた女の子が部屋の入り口に現れた。彼女は私に、自分が今かくれんぼで鬼をしていること、隠れている子供を見かけていたら教えて欲しいということを言った。私は少し思案してから、誰も見ていないと答えた。
その時、背後でごそりと何かが動く音がした。狭い空間で、壁に何かがこすれるような、籠った音だった。
女の子は私の方をちらっと見て、部屋の中に入り、家財の隙間を確認し始めた。ほどなくして、哀れな少年が一人、鬼の餌食になって連れていかれることになった。かび臭い部屋に一人残された私は、背後を振り返ってみた。薄いカーテン越しに、弱められた陽光が幽かに垂れこめる中、箱は逆光に包まれて、濃厚な影を纏っていた。あの少女が部屋に立ち入るきっかけになった物音は、確かに、物陰に隠れた少年の方ではなく、この箱の方から聞こえた。もしかすると、もう一人、あの少年と同じことをたくらんだ子供がいるのかもしれない、と辺りを確認してみたけれど、誰もいなかった。部屋にはただ、私一人が立ち尽くしているだけだった。
箱に近づいて、耳を添えてみた。じっと耳を澄ますと、部屋の中の静けさが耳に着いた。窓の下から、作業をする大人たちの声があれやこれやと朧げに聞こえた。薄い膜のような声の中、今度は布が軋むような音がした。間違いなかった。音は箱の中からしていた。
生き物でも入っているのだろうか、と箱の表面をぐるりと見てみたが、やはり、それぞれの面には箱が開きそうな切れ目はなかった。生き物が入っているのなら、世話をしなければ死んでしまうだろうが、箱は構造からして、始めから開けることを想定していないようだった。つまり、仮に動物を中に入れたなら、その動物は死ぬまで箱の中に閉じ込められたままになるということだ。私は箱の中に入ったままの犬の死体が、衝撃で揺れて、微かな音を立てる様子を想像して身震いした。
粟立つ腕をさすりながら、私は部屋を離れた。一度頭に浮かんだ死体の映像は、何度もしつこく頭の中で再生された。このことを人に話す気にはなれなかった。話して、実際に音を聞いてもらえれば、信じてもらうこともできたのかもしれないけれど、わざわざ、箱の中から音がすると騒ぎ立てたところで、箱を開けることはできないのだから、中身を確認することはできない。それに、まだ若かった私は、そんなことで自分が怯えているということを、他の年配の連中に知られるのが恥ずかしかった。
箱から漏れ出た音については何も分からないまま、私は作業に戻った。あの箱に触れる前と何も変わらない、平静を装って、自分にもそうあるように言い聞かせたが、胸の奥で芽吹いた疑問は止まらなかった。
夜、集まった親戚の宴会が終わった後、静まり返った屋敷の中を歩いて、私は二階へ向かった。箱を開ける気など毛頭なかったが、とにかく気になってしようがなく、もう一度あの音を聞くだけでもできないかと、怖いもの見たさで布団を抜け出したのだった。
辺りには人家が少なかったから、照明の消えた邸宅内は、すっかり夜闇に浸されて、障子の向こうから挿す青白い月明りだけが縁側を朧げに照らしていた。
夏だというのに、縁側の床板は冷え込んでいた。素足でゆっくり、足音を忍ばせながら歩いていると、軽い羽音が一つ、耳元を掠めていった。
階段を上り、例の部屋へ入ろうとした時、微かに、部屋の中から話声のようなものが聞こえて、私はさっと身構えた。入口の戸の下を確認したが、部屋の中に明かりはついていないようだった。
嫌な緊張感が冷や汗になって、額を濡らした。動悸が耳の奥にうるさかった。一呼吸、二呼吸おいてから、私は勢いよく、扉をあけ放った。途端、幼い叫び声がいくつも部屋の中から飛び出した。暗闇の中に、背の低い四五人分のシルエットが素早く立ち上がった。
集まった親戚の子供たちが、こっそり夜中に親の側を抜け出して、この部屋でひそひそと密会していたのだった。話声も、彼ら彼女らのものだったのだろう。私は直前までの緊張に情けなさを感じ、声の正体が子供たちであったことに安堵している自分にまた少し、恥じらいを感じた。
ところが、そんな安心は一秒と持たなかった。子供の一人が後ずさった拍子に、棚に背をぶつけてしまい、その衝撃でぐらりと棚が揺れてしまったのだ。子供がぶつかっただけで、大きな棚が揺れるわけがないのだが、あの時の私は、一瞬のうちに起こった出来事に対して、常識的な思考を巡らせるほどの余裕を持っていなかった。窓から挿す光に照らし出された影絵の動きで、棚が倒れそうになっていることに気付いた私は、咄嗟に、その子供に近づき、片方の手で抱き寄せて、空いた手で棚を叩き、揺れを止めた。棚は止まったが、私が手を当てた時、揺れの余波で箱が床に勢いよく落ちてしまった。海に身投げをするような、勢いのついた放物線だった。
重々しい落下音と、木材が割れる鈍い音に続いて、部屋中がどたばたと駆け回るような、荒々しい無数の音で満たされた。壁や、天井や、床が一様に揺れた。それは、足音にも似ていたが、踏みつけるというよりも殴りつけるという方が近いような、暴力的な響きと重みのある音だった。
音はすぐに消えた。代わりに子供たちの怯えた泣き声が部屋の闇の中を埋めた。私は天井からぶら下げられた照明の紐をひっぱって、灯りを点けた。あれほど大きな音を立てていた壁も、天井も、床も、昼間と変わらず、無傷でそこにあった。
床にできた深い傷の側に転げた箱は、丁度天面に当たる部分の板がはがれるような形で開いて、空っぽになっていた。内側は焼け焦げたようにどす黒く染まり、目を凝らすと、刃物でひっかいたような無数の傷跡がついていた。
少しして、子供の泣き声を聞いた大人たちがぞろぞろと二階へ上がって来た。事情も知らぬまま、親たちが子供を抱き寄せて、適当な慰めの言葉をかける中で、大叔父だけが一人、部屋の入り口から、開いた箱をじっと見下ろしていた。屋敷の近くにある実家で夜を過ごしていた町田さんだけが、箱の結末を翌日になって知った。彼女は箱が壊れてしまったことに悲しんでいる様子だったが、それは単に、曾祖父に対しての申し訳なさからくるものでしかなかったようで、彼女も箱の中身は知らなかった。大叔父に箱のことを聞いても、開いてしまったなら仕方ない、箱は明日処分する、の一点張りで、それ以上のことは聞けなかった。
結局、例の家財整理の後、大叔父の家系との繋がりは途絶えてしまい、十年ほど前、病で彼が急逝した時の葬式に顔を出した以外、私は自分のはとことも会っていない。会社の方は、業績が悪化して別の企業に買収されたらしく、そのタイミングで人事が再編成され、会社は完全に、あの一族の手を離れてしまったと聞いたが、それももう、七年も前のことである。