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【歴史】赤田六兄弟の考察②

・通称と続柄の考察

赤田六兄弟の続柄については、しばしば等の四男を「七郎備」、五男を「源太告」としていることが見受けられるが、これらが何を典拠にしているかは不明である。

また、これが正しいものであるとした場合、必然と系図のルール上、その記載順から残りの続柄は決定し、以下のようになると考えられる。

長男:任
次男:紀
三男:納
四男:備
五男:告
六男:長

しかし、それぞれの通称や、五男であるはずの告が相続していたであろうことを踏まえると、本当にこの続柄が正しいのか疑問に思う点がある。そこで以下では、それぞれの通称を挙げて、また事跡を踏まえてこの問題について考えていきたい。

まずそれぞれの通称を決定したいが、『尊卑分脈』『渡辺系図』『諸系図 第十七冊』『諸系図 第三十二冊』の系譜を見て共通するものと異なるものを挙げてみる。

〈共通する通称〉

納 … 「十郎」
備 … 「七郎」
告 … 「源太」
長 … 「又五郎」あるいは「文五郎」
※「又」と「文」は、もとは同じだが字を読み取る段階で見間違えたのだと思われる。

〈異なる通称〉

任 … 「勘解由左衛門尉」(『渡辺系図』)、「源二兵衛尉」(『諸系譜 第三十二冊』)
紀 … 「源太」(『渡辺系図』)、「弥六郎」(『諸系譜 第三十二冊』)、「十郎・法名本仏」(『諸系譜 第十七冊』)

紀の通称を見ると、『諸系譜 第十七冊』の「十郎・本名本仏」については、隣の納(法名本仏)のものを書き違えたのだと推測でき、また「源太」は告の通称と全く同じものが被っているとは考えにくい。そのため唯一書かれている「弥六郎」が適当かと思われるが、この通称も渡辺氏ではあまり見られないものであるので確定はしづらいが、仮決定としておこう。

任については、「源二兵衛尉」は渡辺氏によく見られる通称でなんら不思議はなく、「勘解由左衛門尉」についてもその可能性は否定できない。

ここまでのものをまとめると以下のようになる。

任:源二兵衛尉(勘解由左衛門尉)
紀:弥六郎(源太・十郎)
納:十郎
備:七郎
告:源太
長:又五郎

これらを見た時に、通称にいずれも漢数字が含まれていることが分かる。仮にこれらが続柄の順番を示しているのだとすると、出生順は以下のようになる。

長男:告
次男:任
五男:長
六男:紀
七男:備
十男:納

上記の考察は証拠の全くないような可能性の話にすぎないが、思考の痕跡として一応残しておく。この南北朝時代に留まらず、渡辺氏全体の通称の規則性などを見つけることができたら新しく分かることがあるかもしれない。

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