愛ヤギを看取った話
2024.12.25 9:35
うちの看板娘として活躍してくれていたヤギのセイラが亡くなりました。
享年6歳。予定よりだいぶ早いお別れになりました。
可愛い女の子でした。
ヤギだから、ピョンピョン駆け跳ねまわり、ガンガン頭から突っ込み、
でも、ヤギにしては気性がおとなしく、人懐っこく。
時には子ども達に飛び掛かってワーキャーなることも、
ご愛敬で済ませられる、とても良い子でした。
朝、様子がおかしい、そしてあっという間に亡くなる
朝、子ども達を学校と保育園に送り届けてから戻ると、
柵のによりかかり、うずくまり、いつもと違う鳴き方をしている
セイラがいました。聞いたことのない鳴き声でした。
冬なので、餌も少ないから、腹でも減って倒れたか?と思い
近づいてみるとお腹はパンパン、呼吸が異常、苦しそうでした。
何度も、変な声で鳴きました。
必死で生きようと頑張っていました。
冷えないようにと藁を寄せてあげると、そんなのはいらないと、
動かしにくい手足を使って払いのけます。
朝だったので獣医さんにもまだ連絡がつかず、
何もしてやれませんでした。
ただただ、「大丈夫だよ。すぐよくなるよ」と、
根拠のない励ましを言って体を擦ってあげることしかできませんでした。
そして僕の手の中で、静かに逝きました。
初めて、身近な命を看取りました。
ヤギと暮らすと決めてから、この瞬間が来ることは分かっていましたが
やはりいざ面したその瞬間は、感情がどうにもなりません。
いつも一緒に面倒見てくれた義父は用事で外出してしまい、妻は間に合いませんでしたが直後に対面できました。
娘の錯乱、感情の変化
妻と一緒に来た、唯一対面できた次女の反応は、とても衝撃的で、でも理解できる変化であり、学びとして記録しておく必要があると思いました。
①彼女は最初、ポカンとしていました。
セイラどしたの?お父さんとお母さんが擦ってるし動かないし、悲しんでいるけど、何が起きているの?初めて目の前で見る、生命の喪失に理解できない状況でした。
②次に錯乱しました
僕と妻が泣きながら擦ってお別れをしている状況を見て理解したと同時に、経験したことのないことが起きている事により、思考がぶっ飛びました。
「いやだ、死んだらいやだ、私は違う子でも何でもいいから別のペットが欲しい、何かペット買って!」
と泣きじゃくりました。
恐らく、未体験のゾーンで、脳内の変なスイッチが連結してしまったのでしょう。錯乱とはこの状態なのか。よく、葬式の焼き場に運び込まれるときに錯乱する大人と同じ様を、娘にみました。
③そして受け入れました
妻の手で守られ、錯乱がひとしきり泣き叫び終わった後、「セイラに死んでほしくない。お別れしたくない」とシクシクと泣き始めました。ようやく理解と感情が追いついたのでしょう。
8歳の彼女にとって、少し酷な対面だったのかもしれません。
しかし今後生きていく中で、そして私も含め、近しい人間との別れを経験するにあたり、最初の貴重な経験となったことでしょう。
ヤギのお別れには手続きが必要
その後のお別れの流れも、いずれ誰かに役に立つかもしれませんので記録しておきます。
まず、管轄の家畜保健所へ電話をしました。
ヤギは、商売用だろうとペットだろうと、1頭だけでも、家畜保健所へ届け出が必要になります。飼育当初、私も知りませんでした。家畜保健所の人が、どこかでうわさで聞いてくれたらしく、電話でお叱りをいただきながらお話を聞いたものです。その節は大変失礼しました。
そこでは、ヤギは全頭、BSFの検査を経てからの焼却という指導となり、家畜衛生研究所への搬入を指示されました。家畜保健所-家畜衛生研究所-ウチの間での何度かの電話連絡を経て、今日なら午前中であれば対応可能という話になりました。
そのままセイラを寒空の下、放置するのもかわいそうなので、急ですがその午前中の空き枠で対処をお願いすることになりました。
といっても時刻は10時30分、午前中は残り1時間半、家畜衛生研究所までは30分弱です。
ひとりでヤギを運ぶ方法の記録
ここで問題は、どうやってセイラの遺体を軽トラに乗せるか。です。
60kg超の脱力した大きな寝転ぶヤギ。なかなかの重作業です。
残念ながら、農家とはいえ、普段重量物を扱わないウチの場合、フォークリフトなども無く、人力が確定です。
妻は泣きじゃくる娘を連れて一足先に外出し、義父も年末の所要で外出。実家の父母もTEL連絡つかずで、手は私一人。
嘆いても仕方がないし、あまり無関係の近所の方を、クリスマスの日に、ヤギの遺体移動に駆り出すのも忍びないので、ここは一人で頑張る!という方法が決定しました。
以下にその手順も記載しておきます。誰かの何かの参考になれば。
【用意するもの】
軽トラ、アルミブリッジ2本、コンパネ(ヤギが完全に乗るもの)、ワイヤー2本以上、ハンドウインチ(ワイヤー引っ張る道具)
【手順】
①セイラの下に大きなコンパネを差し込みバランスを整えます
②そのコンパネの隅(軽トラと反対側)にワイヤーを掛けます
③軽トラをコンパネと正対し適度に寄せる
④アルミブリッジを掛け2本の間隔を広すぎず狭すぎずに調整
⑤荷台前方中央にハンドウィンチをセット
⑥ハンドウィンチにワイヤー端をひっかける
⑦ウィンチを絞りながら、ブリッジ上をコンパネを滑らせ荷台に引上げる
引上げ始めるともはや待ったなしになりますので、私の場合は、途中まではウィンチで絞りつつ、最後は全力でワイヤーを引っ張り上げるという事になりました。
とにかく軽トラに載せることには成功しました。
ブルーシートをかぶせてロープで縛り、出棺となります。
時刻は11時10分、何とか間に合いそうです。
お別れはあっけなく
移動中に妻には連絡を入れました。タイミングが合えば家畜衛生研究所で落ち合おうと思ったのですが、難しそうでしたので、現地に行って、段取りを聞きながら今後の方針を決めようと思いました。
そして30分後、家畜衛生研究所着。
到着すると、すでに3人の方がお待ちいただいていました。
経過も理解してくれており、簡単なヒアリングでの対応で終わりとなりました。しかしここで想定外が
「では、ここでお預かりして終了となります」
え、焼き場の立ち合いとか、お骨とかは、、、?
「他のと一緒に焼いちゃうし、待合もないし、骨とかいろいろゴッチャになるからひろえないのですよ。。。。」
おっとこれは。。。
まぁ確かに他の家畜農家さんの対処と同列となると、いちいちお葬式スタイルじゃないよな。。。と思いつつ、どうしたものか。
若干の混乱でアワアワしている私を見かねて、研究所の方も
「ヤギのひげと首輪をお持ち帰りいただいて供養にされてる方はいらっしゃいますよ」
と助け船を出してくれ、手術で使うハサミを貸してくれました汗
そんなわけで、お骨の代わりに自慢のあごひげをカットさせてもらい、首輪を外して引き渡しとなり、あっけないお別れになりました。
運ばれるセイラは、、、
「あの、前後の足で吊るして引上げちゃうので…」
と研究所の方が気を使って事前に予告してくれたので察することができたのですが、吊るされていく白い物体と化していました。
そして扉が閉まり、相互に「お世話様でした」で終了。
なんとも呆気ない。
しかしこれがヤギ飼育のお別れの現実でもありました。
伴侶動物としてのヤギ
呆気なくおわってしまったセイラとの6年の共同生活。
色々なことがありました。
貰った直後に脱走したり、ダニに食われたり、乳房炎になりかけたり、、、
よくオリからは脱走はしていたものの、遠くまで行ってしまったのは最初の頃の2~3度くらいで、あとは敷地内で、花やハーブを食べているところを見つかり「ニヤリ」と笑い颯爽と逃げる、そんな臆病ながらもかわいらしい子でした。
飼い始めた頃に、決意が甘く、つがいで飼ってあげられなかったことを少し可哀そうなことをしたと後悔しています。独りぼっちで寂しかったことでしょう。その分、人間には相当懐いてくれたヤギだったと思います。
我が社の、売店の、看板娘として大活躍をしてくれました。
とてもかわいいヤギですが、一緒に暮らすには相応の覚悟がやはり必要です。体が大きくなるにつれて食事量も半端なくなります。草や飼料を安定的に確保できる環境でなければお互い不幸でしょう。糞尿の処理や小屋の掃除なども、環境によっては重労働です。また、身近に相談にのってくれる獣医さんが居るか?も重要です。幸い私は身内に畜産関係に顔の利く人間が居たので、ヤギを診てくれる獣医さんに繋いでもらいましたが、場所によっては見つからないかもしれません。
そんないくつものハードルがあるものの、ヤギとの生活というのは、想像した以上に楽しいものでした。ぜひ考えている皆さん、環境を整えチャレンジしてみてはいかがでしょうか。