シキシマエキマエピクニック 言い出しっぺの呟き(裏決意表明)
大人はずるい。
「昔は商店街があって賑やかだったんだ」
「駄菓子屋行ってビックリマン買ったりベーゴマ、メンコで遊んだもんだ」
「ゲームばっかりしてないで外で遊べ」
「ゲームの中のだけじゃなくて、少しは友達と外遊びに行ったらどうだ」
勝手なことを言うもんだ。
確かに昔は、田舎にたくさんのお店があった。
子どもの小遣いで買えるお菓子やおもちゃもたくさん売っていた。
週刊の漫画雑誌だって200円あれば買えた。
今はどうだ?
買えるのはスーパーかコンビニ。
小遣いは昔と変わらないのに、お菓子や漫画は昔の倍の値段。
昔は、同級生がたくさん居た。
近所だけでも、同級生のグループは複数作る事ができたし、
遊ぶ相手を毎日変えることもできた。
少し仲が微妙になれば、別のグループと遊ぶ事が出来たし、
選択肢に事欠くことはなかった。
今はどうだ?
同級生は広域で、昔の数分の1しかいない。
クラス替えもないから、険悪な仲でも年中顔を合わせなければならない。
友達の輪に逃げ場の一つもありゃしない。
全然違う環境なのに、
いや、全然違う環境にしてしまったのに、
子ども達にだけ同じような体験をさせようとする。
だれがこの環境を作ったのか?
間違いなく僕を含めた今の大人である。
なのに、本当にずるい。
今の大人、40~70歳代の人たちは、
本当に街づくりに無策、無関心だった。
先人の作った街の資源を食いつぶし、浪費した。
自分たちの街が消えていくのを他人事として捉えていた。
そして手当てしない街の過疎化は加速している。
子ども達に環境を整えてあげられなかった大人に責任はある。
僕たちのせいだ。
そう自覚した大人が、責任をとって、街を生き返らせる。
昔に戻るのではなく、今の、そして将来の子どもたちにも
受け入れてもらえる新しい街をつくる。
今の子ども達には間に合わせてあげられないかもしれないけど、
次の子ども達の為には、誰かが土を耕し、種を蒔かなければならない。
そして、この姿を見た将来の大人が、綺麗な花を咲かせる努力を
してくれれば、こんなに素晴らしい街づくりはない。
子ども達には、無数のアイデアがある。
大人がやるべき事は制限掛けることではなく、スポンサードすることだ。
のびのび育てよう。
何もできない大人は、お金を使ってくれれば良い。
それも充分なアシストだ。
子ども達の為に、機会を作る、空間を作る、金を使う。
そんな第一歩目を、このバカ者が踏み出させてもらいました。
「子育てに優しい駅、敷島駅前へようこそ」
来場お待ちしています。