御巣鷹 登山記録 2024.10.23
この夏は、日航123便の話を読む(audibleで聴く)機会が何度かあった。
今更日航ジャンボ機墜落事故の話を見る読むする人は、余程熱心にこの件を追ってる人か、陰謀論者か、と思われてしまうが、そんな事は全然無い。
超軽い、カールのようなフワッとした気持ちで読み始めてみた。
何せ、最終的に我が群馬県で起きた出来事だ。概要くらい、知らないより知っていた方が良い。
すると、もう少し知らなくては。なぞと思い出し、他にも日航123便と関連づく幾つかの本を聞いたり読んだりして学びを深めてみた。
結果、
「これは現場を見なければならない。」
いや、今思えばそんなことはないのだが、その時はそう思ってしまったわけで。
冬になる前の10月のとある水曜日。
御巣鷹の尾根を目指した登山をすることにしました。
ひとりで準備をしながら、たまたま、妻にそんな話をしたところ、妻も一緒に行くという話になり、二人登山と相成りました。
で、当日。
息子を保育園に送りながら、上野村を目指して移動。
先ずは慰霊の園へ。
慰霊碑を事細かに写真撮るのもなんだったので、引きの絵だけですが、お参りをさせていただきました。
そこで詳細の地図も確認できたので、案内に従い御巣鷹の尾根を目指し移動開始。道中の道の駅?で、トイレ休憩と補食をゲットし、いざ登山口まで。
入り口近く、駐車場の行けるところまで、車で登っていきます。
事前のネットや本の情報では、
「一番上の駐車場は道中含めやや狭く、第二駐車場のほうが良いかも。」
などとあったので、移動車がやや大きいハイエースだった事もあり、第二駐車場見えたところで停めようかと思ったのですが、、、
それなりに整った道だったので、行ってみるか~。ということで、一番上の駐車場まで行くことに。
結果、そこには大型バスが止まっていました笑
ちゃんといけるんじゃないか。
あとで振り返ると、第二駐車場から入り口までの距離は相当あり、変に事前情報で妥協しなくてよかった…と思ったのでした。
秋の平日の、出遅れた昼やや手前。車なぞいないかと思っていたのですが、意外や意外、そこにはバスの他に車があり、その後も出たり入ったり。
人が訪れる場所でありました。
駐車場に車を停め、入り口に向かうと、杖と数調カウンターがありました。
海抜1359m。気温は14℃。
人数カウントはセルフ押しです。
杖を持参していない人は、遠慮せず、入り口の杖を借りて登るのがおススメです。
尾根の案内図はいたるところにあります。
非常に整備されていて、ポイントポイントに目印もあり、登山道も歩きやすく工夫されており、地図を見ながらゆっくり上るのがおすすめです。
迷うことは少なく、登り慣れていない方にも配慮されており、歩きやすくなっています。
序盤で、バスで来ていた、大手企業の若手研修御一行の下りに遭遇しました。すれ違いも難なくこなせるほど、通りは整備されています。
「こんにちは~」「ありがとうございます~」などという挨拶は登山に来た感じを醸し出します。
道中、現場では沢山の情報が、随所で確認できます。本を読みながらイメージしていたものがここで具現化できます。
やはり現場を見るのは大事です。
山を登っていくにつれて、個々の墓標や慰霊碑が増え、写真を撮るのもはばかられるエリアになりました。見ると壮絶です。これだけの慰霊のエネルギーが集まる地点というのは、厳かな気持ちとなりました。
頂上の、昇魂之碑と安全の鐘のところにもお参りさせていただきましたが、振り返ると写真もなく。粛々とお祈りをしてまいりました。
ということで、次に写真を撮ったのは、「X岩」でした。
ここは、捜索の時に群馬県警が目印としていたx印を付けたといわれるところです。スプレーというのは風化しないのでしょうか。岩の表皮が崩れ落ち始めているのは認識できましたが、長年風雨にさらされる環境でこれだけ視認できるというのも驚きでした。
さて、ここまでで上り約1時間。
下りは別ルートで、沢山の墓標に立ち止まりお祈りし、を繰り返しながら下山します。
事件に対しての見方は色々かもしれませんが、この現場で多くの方の命が失われたという事実は事実であり、その命の現場を見てどう感じるかは、やはり現場を見るという事の大切さを痛感したのでありました。
ところで、現場には熊よけの鈴が幾つも設置されております。
我々も鈴をつけて登山をしましたが、現場は整備されているとはいえ「山」です。相応の装備をして、時期や天候を考慮しながら向かう事をお勧めします。
下山中、中腹の小屋のところで、管理をされている黒沢完一さんにお目にかかることができました。色々教えていただいたり、小屋に飾られている写真を拝見したり。あれだけの整備をされているには頭の下がる思いです。
来年は事故から40年とのこと。
事故は私が生まれた後の話なんですよね。
風化するには早すぎる事件であり、地元の事故として少し距離を縮めてこれからも関係していきたいと考えています。
ぜひ皆さんも一度。