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旅するキノコ#3 最初のひとり旅

 山陰本線824列車。
 門司を早暁5時22分に発車し、各駅に停車しながら延々五九五・一キロを走りつづけ、終着駅の福知山には23時51分に着く、という列車である。
 特急でも急行でもない普通列車、つまり鈍行列車としては、これが日本での最長距離列車で、一八時間二九分という所要時間も最長となっている。
 乗ってみたい、と思っていた。
「旅の終りは個室寝台車 ーにっぽん最長鈍行列車の旅」(宮脇俊三)

 旅好きの人生を決定づけたのは、おそらくは中学生の時。初めてのひとり旅を決行しました。

 実はあまりにも昔のことで、さらには昔から一貫して面倒くさがりの性質がたたって記録もとっておらず、記憶だけが頼りの思い出話。それでもよろしければお付き合いくださいませ。

 ひとり旅を決行したのは中学3年生の夏だったかな。1986年のことです。部長として活躍していた(本人談)吹奏楽部のコンクールにおいて、狙っていた関東大会に行くことが叶わず、思ってもいなかった夏休みが突然降って湧いたところでの決行だったような気がします。

 ・目的…鉄道に乗り倒すこと
 ・行程…本州を一周すること
 ・期間…3泊4日(車中泊含む)

 というな旅でした。行程は以下の通り。
 1日目:新横浜→(新幹線)→広島→(各停)→下関(泊)
 2日目:下関→(山陰本線・各停)→大阪→(夜行急行きたぐに・車中泊)
 3日目:新潟→(各停)→青森(泊)
 4日目:青森→(各停)→仙台→(東北新幹線)→大宮→(不明)→自宅

 のはずなんですが、実は後半の行程の記憶が曖昧。4日目なんてほとんど記憶がありません。困ったものですね。ですので覚えていることだけ書いときますね。


○新幹線100系に乗りたい!
 広島までは新幹線。本当はぜんぶ各駅停車で行きたかったのですが、時間の都合もありショートカット。0系新幹線もいよいよ疲れてきた1984年10月、ついに投入された新型新幹線が100系でした。これがとにかく尖っていてカッコいい!しかもグリーン車・食堂車は2階建て構造、乗り心地も抜群!ということで、当時は憧れの新幹線でした。実際には1984年の4月には母とすでに乗車済みだったのですが(この時は名古屋まで)、改めて堪能したいということで新幹線を選択しました。0系と比較して、座席間隔も広く、揺れも少なく、とてつもなく感動していたことを覚えています。

○初のビジネスホテル宿泊
 そうしてたどりついた下関。ここで初めてひとりでホテルに泊まるという体験をしました。予約は父にお願いしたものの、とにかく初のひとり宿泊!これは緊張しましたね。もちろんファミレスもファストフードもあまりなかった時代ですから、晩ごはんも駅弁を買ってホテルでひとりで食べることに。何だかとてもドキドキしたのを覚えています。
 びっくりしたのはユニットバス。いまじゃアタリマエの設備でしょうが、なんとその時が初体験。どうやって入っていいか分からず、アタリマエのように浴槽の外に出て身体を洗い、トイレットペーパーを含め室内をびしょびしょに途方に暮れた覚えがあります。もちろん、中学生にトイレットペーパの交換を頼むような胆力もなく…その先はご想像にお任せします。。。

○長距離鈍行列車の旅
 2日目は冒頭に引用した憧れの長距離鈍行列車についに下関から乗車です。機関車が引っ張る旧型客車を何両も連ねた鈍行列車。もちろんガラガラで1両にお客は数人ずつ。クーラーなんてものもついておらず窓は全開、入口のドアも手動でしたね。
 と書いていて調べてみたら冒頭の列車はなんと1984年には廃止されているそうで、じゃ私が乗ったのは何だったのか?という話になりますが、まだmだ長距離鈍行は大量に走っていましたので、きっとそれに乗ったのでしょう(笑)。とにかく記憶をたどってみると早朝の下関から夜までずーっと鈍行列車に乗って山陰本線をひたすらに進んでいきました。昔の列車は、途中駅で30分やら1時間やらの長時間停車が当たり前でしたので、そういった駅では駅前を散歩したり、駅そばを食べたり楽しく過ごしておりました。長距離列車に乗るということは、各駅停車の車内で朝・昼・晩と三食食べることになるわけです。ところが鉄道マニアにとっては夢のような体験。ずーっとワクワクしていましたね。

○寝台急行きたぐに
 ずーっと鈍行に乗っていると大阪発のこの夜行急行に乗ることはできないので、山陰本線のどこかの駅で特急に乗り換えたのだと思います(やっぱり記憶が無い)。そうやってたどりついた大阪駅からは初のひとり寝台列車です。夜行列車の名門「きたぐに」号。数年前に廃止になってしまいましたが、なかなかの伝統列車でございます。1985年には特急から格下げになった583系が使用されていたので、それに乗りました。とにかく当時の私は国鉄型車両では583系が最高に好きで、カッコいい!って思っていましたのでワクワクの乗車体験になりました。

○3日目以降
 実はこの「きたぐに」号乗車以降の記憶がまるっきりないんです!写真も撮ってないし、記録もつけていないしね。
 わたし今でもそうなんですが、旅行が大好きすぎて、旅の前半は、もうそれはそれはワクワクしているんですが、旅が半分終わって後半に突入すると今度は悲しくて悲しくて、という気分になるんですね。ということで、この時の旅もきっと3日目、4日目は家に帰る予感できっと悲しい気持ちになっていたんだと思います。たぶんね。よく「旅は予定を立てている時がいちばん楽しい」と言われますが、わたしの場合は違います。「旅は初日がいちばん楽しい!」だと思います。予定なんてちゃちゃっと立てちゃいますし、なんなら少し面倒くさい(笑)。旅が始まるまでの数日なんてもうイライラワクワクして始末に負えない。で、旅に出たら後半は、家に帰ることを予感してすでにもう暗い気持ちになっている。まあ、そんなもんです。だから旅を楽しめるのは「初日」しかないんですね。本当に面倒な体質だと思います。はい。

 ということで、初のひとり旅について、ほとんど消滅した記憶をたどりながら、書いてみました。

 この次は高校生になります。この先はオートバイの登場です。バイクに乗って西へ東へ、ますますひとりの旅が止まらなくなっていきます。興味のある方は引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。
 

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