懺悔の詩
「人生をリセットできるボタン」が目の前にあったとして、どういう時に使うだろうか。考えてみた。
条件は下記の通り
- 押した瞬間から自分のイメージした時点まで戻る
- 押す前の記憶は残すものとする
- 使用回数は自由。未来を変えることも可能
- その他の制約はナシ
最初に思いついたのは「普段できないことをやってやろう」だ。さぁ何をしてくれよう。
渋谷のスクランブル交差点で脱糞してやろうか。駐輪場のサドルを全て抜いてやろうか。特急列車の連結部分に挟まって仙台くらいまで行ってやろうか。
そうだ、普段スマしているあの女上司の後ろケツを鷲掴みしてやろう。
どうせボタンを押せば元通りさ。気にせずやろう。
後ろから近づこう。あれ、やった後はどうすればいいのか。ガッツポーズでもすればいいのだろうか。
しまった、この角度からだと目が合うぞ。おい、やめてくれ。そんな目で見るな。
僕は目を背けるのか? 目を背けて、すぐさまボタンを押そうとするのだろうか。逃げるようにボタンを押す姿を、彼女はどう見るのだろうか。
思えば反省の多い人生だった。
ふとした好奇心から、瞬間的に一歩を踏み出す僕を「昆虫みたいだね」と同級生は言った。
友人、恋人、親、恩師。あらゆる人間に「刹那的な発動」を行い、そのつど「驚きと失望の顔」を見てきた。
うわああぁ
嫌だ。もう嫌だ。
やめよう。
謝れるなら、謝りたい。謝ったうえで、さらに遡り全ての行為を改めることに使用したい。
そう思った。
しかし、そんなボタンなど、ありはしないのだ。
懺悔をしながら、この先に不幸を生み出さないように、努めながら生きていこうと思う。