生意気が良い、生きがい、活き害
「若いうちは、生意気なぐらいが良い!」良く昔聞いた言葉だが、令和の時代、この言葉には続きがあるような気がしてならない。
「若いうちは生意気なぐらいが良い、でも俺(親)より優秀にはならないでくれ」
情報が無い昭和と違い、令和は、すぐに情報が手に入り、バイタリティーがあれば、自分でホームページを自作したり、物販、トレード、自力で身を立てようと思えば不可能ではない時代だ。
自分で生きがいを見つけ、自分でどんどん調べて、財務、在庫管理、撮影技法、マーケティングどんどん力をつけていく。
生意気を言い換えてビックマウスだけならまだしも、自分で道を切り開いていこうとする者もいる。
その時、活き害(毒親)が活発になる。
自分が学生時代は、知る事も、知ろうともしなかった、財務やマーケティングまで自分で勉強し、ある意味、親が目的とする「子供の自立」へと向かっているが、それは少し違う。
毒親の求める自立とは、「自分の監視下で、自分の社会人としての地位を超えることなく、親が理解できる範囲で自立することを指す。
この時、生き害たる(毒親)を「親の愛」「親として心配だ」「息子のため」という防御不可の最強の剣が令和の息子の「生きがい」を八つ裂きにする。
まして、「発達障害」という理想の息子にあるまじき事実が判明すれば、現実逃避、ヒステリック、自分の監視下に強制軟禁。
なりふり構わず、「親は子供が心配」という無敵の大義名分の剣で狂喜乱舞し、息子を半殺しにし実家に匹釣り込むだろう。
東京で10年、何を言われようと死に物狂いで身に着けた技術を生かす場所も理解もなく、県の最低労働賃金が1000円にも届かない限界集落に軟禁されれば、古き良き日本家屋に天井の梁から降りる蜘蛛のごとく、私の体は、ぶら下がるだろう。
もし、親が見つけたならば、パニックになりながら、「私の生命を思い足にすがるだろう。」
そのすがりが、窒息していた私の首の骨をへし折り、とどめになるとは、一ミリも思わないだろう。
「息子が心配なだけのただの普通の親なのだから・・・」
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