花寺のどかのことは悠木碧に聞け!!!
始めに
「ヒープリは不遇だったと言わせるつもりはない」
ちょっと前にこの言葉が再注目されるようになりました。
きっかけを話すと長くなるので割愛しますが私も大好きでプリキュアシリーズで一番大好きな作品だと声を大にして言う作品、ヒーリングっど♡プリキュアは凄まじい逆境の中戦い続けた作品でした。
新型コロナウイルス感染症の影響で製作が中断。2か月の間放送が休止になりました。
その結果玩具販促のスケジュールも予定通り進めることが不可能になり登場1か月前には追加戦士のキュアアースのCMが流れ始め、3月20日公開予定だった春映画「映画 プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日」は2度公開延期となり10月31日公開となりました。
秋映画の予定であっただろう「映画 ヒーリングっど♡プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo!大変身!!」は秋での公開は出来ず放送終了後の3月20日に公開となりました。同作はTV放送中に連動回の予定があったのですがそれもお蔵入りという形になりました。
その他イベントは中断、中止が入り代替イベントも無観客やオンラインでの開催となり、前作のスター☆トゥインクルプリキュアから始まった感謝祭は無観客オンライン限定開催という形での開催になりました。
こんな状況を見れば誰だって「可哀想」と言うことでしょう。
しかしながら座長を務めた花寺のどか/キュアグレース役の悠木碧さんは力強く「可哀想じゃない」と言い続けてきました。
冒頭の「ヒープリは不遇だったと言わせるつもりはない」
というのも悠木さんのエッセイ「貴方はプリキュア」内で綴られたものです。
悠木さんの文章は時に力強く時に繊細な表現をしていると思っています。
ヒーリングっど♡プリキュアという作品が何を伝えたかったか、花寺のどかというキャラがどういう子でどういう想いでどういう選択をしたのか、
悠木さんは適格な分析をして言語化をしています。
そしてその文章、言葉はスタッフやキャスト、そしてファンを勇気付けていきました。
当記事はそんな悠木さんのお言葉を借りながら花寺のどかというキャラを掘り下げていこうという記事になります。
花寺のどかってどんな子?
悠木さんは「最初ののどか/キュアグレースの印象はどのようなものでしたか?」という質問にこういう回答をしています。
第一印象からのどかのことをいい子と表現しています。
しかしながらそれが作りものめいたいい子という感じを受けたとも言及しています。
私はこの作りものめいたいい子という表現は花寺のどかというキャラを端的に表していると思っています。
ラビリンにパートナーを解消を伝えられた後、現れたメガビョーゲンにのどかは生身で立ち向かっていきます。
そんな危ないことを何故するのか?というのをラビリンはのどかに問います。
のどかは自分は今まで病気で優しくしてもらった、たくさんの優しさを貰った、それを返したいから頑張りたいと答えます。
のどかの優しさは優しさの返礼、自分は優しくしてもらったのだから今度は自分が優しくしなくてはならないという使命感や義務感を持っていると2話のこの問答で分かります。
そもそものどかは1話の段階で少年がワンちゃん(ラテ)がいるからと助けようとするのを母親が静止し逃げていくというのを目撃してもなおワンちゃんを助けるために暴れるメガビョーゲンがいる方向に進んでいくという極めて危険な行動をしています。
のどかの優しさの危うさというのはヒープリの最初から描かれているのです。
そしてその危うさの根幹にある誰かに貰った優しさを返していくという使命感・義務感から来る自分を顧みない優しさというのを悠木さんはのどかに触れた時に感じ取ったのです。
のどかの優しさは危うくて怖いもの
のどかの優しさは自分を顧みない優しさと言えるものです。
ただこの優しさがのどかの根幹にあるものでありのどかを形成するものであるのも事実です。
花寺のどかというキャラを紹介する時皆さんはどう言いますか?
恐らく多くの人は優しい子と言うでしょう。
東映アニメーションののどかのキャラ紹介にもこのような記載がされています。
と公式サイトでものどかはとっても優しい心の持ち主と言われるぐらいに優しい子なんです。
そののどかの優しさについて悠木さんはこう分析しました。
のどかは優しい子、その優しさは過去の経験から来る義務感のような優しさ
その優しさは花寺のどかのアイデンティティでありのどかの根幹に根付いているものである
その優しさがなくなった時、のどかはのどかでいられるのか?という懸念と怖さを悠木さんは感じ取っていました。
のどかの優しさが問われた42話
そんなのどかの優しさが問われた回が42話「のどかの選択!守らなきゃいけないもの」(脚本:香村純子)になります。
前話「すこやか市の危機!!忍びよるキングの影」(脚本:香村純子)の最後でダルイゼンがキングビョーゲンに吸収されようとされボロボロになりながら逃げきり、のどかに助けを求める展開となります。
その際にのどかはその要求を拒絶し、ダルイゼンの手を払いのけて逃げてしまいそこで41話は終わります。
続く42話。
のどかは悩み元気がなくなります。
朝食は全然食べず、学校に行っても閉じたドアにぶつかったり、理科の実験でリコーダーを吹いたりと抜けた行動をしてばっか。
見るからにおかしい状態なので何かあったのだろうとちゆとひなたは思い、こういう時には自分たちの知らないのどかを見て来ただろうパートナーなら話が出来るだろうとラビリンに託します。
ラビリンは帰宅したのどかに問います。
ラビリンは自分のせいでのどかはダルイゼンを助けなかったのでは?と思い、自身のヒーリングアニマルとしての使命を放棄してもいいから、のどかがダルイゼンを助けたいならラビリンも助けると言います。
のどかはラビリンに対してこう返答します。
ダルイゼンを助けなかったのは自分が優しくないから
けど自分があの苦しみをもう一度味わうことになると思ったら辛く怖かっただから逃げてしまった。と答えます。
のどかは誰かが助けを求めているならばそれを助けないといけないという使命感・義務感から来る自分を顧みない優しさを持っています。
それを自分が嫌だからと誰かを助けない選択をして優しさを放棄してしまいました。
だから「わたし・・・そんな優しい子じゃない・・・」と言ったのです。
のどかのことを分かってなかったとラビリンは謝ります。
そして再度のどかに問いかけます。
ラビリンはのどかにダルイゼンを助けたいのか?というのを聞きます。
のどかはそれに対して「そうした方が、良かったんだと思う・・・」と答えます。
それに対してラビリンは本当にのどかがしたいことなのか?とのどか自身の気持ちなのか?と聞き返します。
のどかの義務感・使命感から来る自分を顧みないという歪な優しさを聞いてるのではなくのどか自身が思っているどうしたいか?と聞くのです。
そしてのどかはそれに対して「無理・・・わたし、どうしても嫌! 嫌なの!」と自分が三度苦しい思いをするのは嫌だとはっきりと答えます。
ラビリンはそれを聞いて「だったら、助けなくていいラビ! 悩む必要もないラビ!」と助けない道を提示します。
のどかの気持ちものどか自身も大切にしていい、文句を言うやつがいるならふっ飛ばしてやるとのどかがのどかのままでいられる選択を尊重し他の人からどんなことを言われようとのどかを庇うという宣言をします。
この時のラビリンの言葉について悠木さんはこう述べています。
ラビリンはのどかがのどかのままでいられることを肯定してくれた、のどかがのどかに優しくあってもいいと肯定してくれた。
ラビリンがそんな世界を作ってくれた、そんなラビリンを加隈亜衣さんが演じてくれたおかげでキュアグレースとしても花寺のどかとしても演じ切れたとラビリンを演じた加隈さんに感謝を告げました。
10話「緊急お手当て!メガビョーゲンがいっぱい!?」(脚本:香村純子)
でグレースは目の前のメガビョーゲンのことに集中しすぎて周りを見れなくなってしまったが故にみんなに迷惑をかけてしまいました。
フォンテーヌとスパークルのフォローもあり何とか目の前のメガビョーゲンを対処出来たのですがこの時は同時に別の場所でメガビョーゲンが発生するという状況でグレースの判断は一歩間違えれば取返しのつかないことになりかねる判断でした。
ラビリンの言葉をちゃんと聞いて判断してればみんなに迷惑をかけることはなかったとグレースを反省をし「ラビリン。またわたしが間違えそうになったら、その時はまたちゃんと言ってね。」とラビリンにお願いをします。
ラビリンは「もちろんラビ!」と返答をします。
42話はのどかが間違えそうな時にラビリンがちゃんと言うことで間違った判断をしなくするという話でもあります。
42話の一連のこのシーンはプリキュアオールスターズFでグレースとラビリンが見た想い出のシーンとしても登場しています。
花寺のどかという女の子が持つ優しさのターニングポイントになったシーンであり、公式サイトのラビリンの紹介で「持ちつ持たれつな間柄」と称されたのどかとラビリンの関係が真のパートナーとなった瞬間だと私は思っています。
この後追い詰められたダルイゼンはメガパーツの過剰摂取をして暴走状態になります。
交戦を続けると暴走状態のダルイゼンはグレースに助けを求めます。
グレースは問います。自分にダルイゼンを匿うとなると自分をまたあの苦しみを味合うことになる。それはいつまでなのか?
また匿って元気になったとしても同じようなことを二度としないか?と問いかけます。
ダルイゼンはそれに対して何も答えることが出来ません。
何も返答できずグレースの決意に押され一方的な状況になったダルイゼンはファイナルヒーリングっど♡シャワーを食らい、浄化されました。
浄化されましたがメガパーツを大量に取り込んでいたからなのか浄化しきれずテラビョーゲンとしての最初の姿に戻ります。
そこにやってきたのはシンドイーネとキングビョーゲン。
キングビョーゲンは倒れたダルイゼンを吸収しネオキングビョーゲンとなります。
ネオキングビョーゲンは時が来たと地球を手に入れると宣言します。
それに対してプリキュアたちはそうはさせないと力強く宣言をします。
このシーンでグレースはダルイゼンを見捨てた選択をしたことをネオキングビョーゲンに嘲笑います。
それに対してグレースは「そんな言葉には負けない・・・わたしは絶対あなたを浄化する!」と強く宣言をします。
この宣言の前にグレースは顔を歪めますがこのことに関しては後の部分で語ります。
42話はヒーリングアニマルとビョーゲンズの対比の話
この42話の一連の流れに対して「ラビリンがのどかがダルイゼンを助けないように誘導した」ということを言ってる人を見たことありますがそうではありません。
花寺のどかという優しい女の子の優しさを生かす選択をした、のどかに提示出来たのはラビリンかダルイゼンか?という話であり、ヒーリングアニマルとビョーゲンズ、どちらが人間と寄り添う答えを出せるか?出せたか?という話なのです。
ラビリンはヒーリングアニマルとしての使命感を強く持っています。
1話では人間界にやってきた4匹のヒーリングアニマルのうちラビリンだけが率先してパートナー探しを行ったり、見習いの身であるので単独の浄化が出来ないのにも関わらずメガビョーゲンが暴れているのを止めに単身突撃をしたりしてました。
2話でのどかをパートナー解消を告げたのは危険性があるビョーゲンズの浄化をまだ見習いであるラビリンと一緒にお手当しまうと体力がなく身体を動かす経験に乏しい鈍臭い状態なのどかにやらすのはもっと危険なものになるという危惧からくるものでした。
ラビリンはのどかを想ってのどかに危険に巻き込みたくないからパートナーとして戦ってほしくないと考えたのです。
44話「みんなでお手当て!! すこやかな未来のために」の最後のお別れのシーンではラビリンは「危ない事に巻き込んじゃってごめんラビ!」と最後の最後までビョーゲンズの浄化、地球のお手当にのどかを巻き込んでしまったことを悔いていました。
対してダルイゼンはのどかの優しさを利用することしか考えていませんでした。
グレースの問いに対して何も言い返せず自分を曲げることも出来なかったのです。
42話にいたるまでダルイゼンは悪辣なことをばかり言って自分本位な考えを貫き通していました。
以上のようにダルイゼンという存在はヒープリ内で徹底的とも言えるぐらいに自分さえ良ければいいという自分本位な考えを持った、自分本位な考えしか持たない存在として書かれていました。
24話「いま行きます!お手当てを風に乗せて」(脚本:広田光毅)に登場したネブソックは生み出した創造主であるダルイゼンに懐いていますが自分への承認欲求の強さから来る盲目的な懐き方をしていましたし、キングビョーゲンを崇拝しているシンドイーネはキングビョーゲンのためになるなら平気で他人がどうなろうと構わないし自分さえ捧げるつもりでした。
つまり他人に対して何かしたいという気持ちを持ってるテラビョーゲンも自分本位な考えしか持たないというのに当てはまると言えます。
他人のことを尊重することはせず、自分さえ良ければいいの考えを変えようとしなかった、変える気がなかったが故に負けてしまったのがビョーゲンズなのです。
地球をお手当するという使命を持ったヒーリングアニマルはその使命を曲げてまでも他人の優しさを認め尊重する選択を取れ、対する地球を蝕む使命を持ったビョーゲンズは他人の優しさを認めることも尊重する選択も取れない。
42話はのどかの優しさを使ったヒーリングアニマルとビョーゲンズの対比の話と言えるかもしれません。
ビョーゲンズでもヒーリングアニマルでも人間でもない精霊の優しさ
のどかの優しさに密接に絡んでいくのが風鈴アスミ/キュアアースという存在です。
彼女は地球から産まれた精霊であり、見た目は20歳ぐらいですが中身は赤ん坊に近い存在なのです。
そのアスミが加入して間もなくアスミが何も知らないという状態から始まる話が連続します。
『好き』という言葉を使った
22話「ラテ逃げないで!消える体と芽生える気持ち」(脚本:伊藤睦美)
『可愛い』という言葉を使った
23話「かわいいってなんですか?アスミと子犬物語」(脚本:平林佐和子)
の2話は風鈴アスミという産まれたての精霊が何のためにプリキュアとして戦っていくのか?というのを構成していく重要な話だと思います。
22話ではラテが好きなアスミは心配からたくさん食べて元気になってほしいと昼食を食べきれないぐらい用意し、地球の病気になってほしくないとお昼寝中に毛布をいっぱいかけて暑さで逆に眠れなくしてしまいます。
散歩に行こうとするラビリンとラテに対して外は危険で怪我をする危険性があるから止めに入ってしまいついにはラテ本人から拒絶をされてしまいます。
その後ラテに拒絶されたショックから半透明になってしまったアスミはちょっとした騒動を起こしてしまいますがちゆとの会話から好きとは色々あって「その事ばかり考える、止められない気持ち」というのを学びます。
23話では可愛いと好きの違いって何?とアスミは疑問に思います。
ひなたがお世話している保護犬であるポチットをアスミ以外は可愛いと思いますがアスミは可愛いと感じることが出来ず「人ではない自分では『可愛い』は分からない」またも半透明になってしまいます。
ポチットのために来たドッグランでひなたはアスミに最初はポチットのことを可愛いと思わなかったと言います。
何故可愛いと思うようになったのか?とアスミは疑問に思いひなたに聞きます。
ひなたは「どうしたら仲良くなれるかいっぱい考えてたら、いつの間にか可愛いと思ってた」と答えます。
そこにちゆが「相手を知りたい気持ちを持ち続けてたから、その結果ポチットを守りたくなる気持ちが芽生えたから『可愛い』と思った」と補足の説明を入れます。
アスミは『可愛い』を理解するにはまず興味を持って相手を見ることと理解します。
その後メガビョーゲンがドッグランを襲います。
4人はプリキュアに変身しスパークルとアースは逃げ遅れた人を避難させて行きます。
その中に恐怖から動けなくなってしまった女の子がいましたが連れていた犬が必死にその子を動かそうとしています。
その女の子を助ける際、連れていた犬はアースに向かって何か伝えるかのように吠えます。
アースは「行きましょう!」とその犬に答えます。
メガビョーゲンがメガパーツを吸収し強大になり、先に戦っていたグレースとフォンテーヌはそのメガビョーゲンに動きを封じられてしまいます。
全員避難させ終えたスパークルとアースは加勢をしますがスパークルはメガビョーゲンの攻撃を食らい動けなくなってしまいます。
そのスパークルを助けるためにポチットが怖がりながらもメガビョーゲンに立ち向かい吠えていきます。
そんな勇敢なポチットをグワイワルは「うるさい下等生物」と言い放ち、メガビョーゲンに始末を指示します。
「下等生物ではありません」
間一髪の所でアースがポチットを助けます。
「彼らは人間と共に生き、互いを思いやっている。その姿はとても・・・とても抱き締めたくなる姿です!」
と人間と思い合い共に生活していく動物たちは決して下等生物ではないとグワイワルに言い返します。
23話のラストではアスミは引き取り先が決まったポチットとお別れするのを寂しいと言います。
お別れが決まっているポチットと友達になりたいと思ったアスミは
「ポチット。今更ですが、わたくしは、あなたと友達になりたいと思っています。人とは違う身ですが、仲良くしてくれませんか?」とポチットに問いかけます。
ポチットはそれに答えアスミと友達になります。
この時『可愛い』という概念をアスミは学ぶことが出来ました。
まっさらで純粋無垢な地球の精霊であるアスミがのどかたちから『好き』や『可愛い』というものを学んでいくというのはビョーゲンズが出来なかったこと、しなかったこと、しようとしなかったことだと思います。
このアスミが様々なことをのどかたちから学んでいくというのにも悠木さんは言及しており
ピュアな存在であるアスミが地球をお手当するプリキュアとしてそして一人の女性として成長出来たのは周りの人やヒーリングアニマルたちの力があったから、3人と4匹が紡いだ優しさに溢れた絆がなければ間違ったことを学んできっと人類の敵になってしまっただろうと悠木さんは分析しています。
他者から優しさや好きを学び、かけがえのないことを学んだアスミは43話「キングの進化…!蝕まれたすこやか市」(脚本:香村純子)はある一つの決断をします。
それは自分の身体にメガパーツを取り込んでネオキングビョーゲンのバリアを突破するという作戦を思いつき実行しようとします。
当然のどかは反対します。そんなことをしたらアスミがあの苦しみを味わうことになりますからのどかは真っ先に反対をします。
パートナーであるラテもどうなるか分からないから危ないことをしてほしくないと反対をします。
それでもアスミの決意は揺るぎません。
ラテもみんなも人間界も守りたい、欲張ってもいいというちゆから学んだこと
やってみないと変わらない、失敗を恐れすぎてはいけないというひなたから学んだこと
どれだけ反対されても自分の心も身体も自分のものなのだから自分で決めるというのどかから学んだこと
大切なことをみんなから学んだから、みんなが大好きだから、みんなを守りたいから、だからこそ自分なら出来るはずのことをやりたいとアスミは強く願いました。
アスミがこの結論を出せたのも3人がアスミに優しさを始めとする様々なことを教えたから、周りが優しさに溢れていてそれを守ろうとしてきたからだと思います。
アスミの周りにそんな優しさが溢れているということはそれを教えることが出来たのどかの周りにも溢れているということになります。
もしその優しさを学ぼうとする姿勢を見せたなら?
もしその他人に何かする際に他人の気持ちを考えることが出来たなら?
ダルイゼンがそのような素振りを見せたなら、学ぶ意思を見せたならのどかはダルイゼンを助ける判断をしたと私は思っています。
のどかの選択はプリキュアではなかったのか?
42話で行ったのどかの選択に対して「プリキュアなのに何故ダルイゼンを助けなかったのか?」
と放送当時は紛糾する事態になりました。
悠木さんはゆめのまち公開時のマイナビニュースのインタビュー記事でこう述べています。
ここで重要なのは「のどかならやってくれるんじゃないか」という部分です。
この部分は言い換えれば「プリキュアならやってくれる」という我々視聴者が持っている先入観そのものだと思います。
更に言い方を変えていくと「ヒーローものだからやるはず」「プリキュアはこれをやるべき」「これをやれ」となり、最悪「自分が求めているものをやらないからダメ」になります。
視聴者側はこうだろうという先入観を持って見ててそれをしなかったからおかしい、ダメと思うということです。
のどかの選択は人として尊重されるべきことであるのですが一部の人からはプリキュアとしてはありえない行為と捉えられてしまったのです。
だからこの展開が紛糾したということなのです。
私としてはプリキュアシリーズっていうのは固定概念に囚われず新しいことにチャレンジしていくシリーズだと思ってて、製作スタッフ陣もそういう固定概念に囚われない作りにしていくという意識を持っているのは各種インタビューからも分かります。
ふたりはプリキュア!のキャッチコピー「女の子だって暴れたい」も固定概念への反骨心からの始まりでした。
その反骨心「女の子だって暴れたい」が時代によって変わっていき、その反骨心が新たな固定概念になっていき、それに対しての反骨心を次のプリキュアに出していくというのを製作スタッフはプリキュアシリーズを続けていく上でやっていっているだけなんです。
またプリキュアシリーズというのは
ヒーローとしての使命も重要だが人としての生活も重要である
のを強く大切にしていっているシリーズだと思います。
ヒーローとして正しくても人としての生活が出来なくなるならその選択は正しくないのでは?と常に問うシリーズなんです。
悠木さんが加隈さんへのメッセージで「戦士の姿だけじゃなく少女の姿として、1年演じ切れたように思っているんです。」と述べた部分はプリキュアシリーズで大切にされてきた概念そのものなのです。
だからこそヒープリが固定概念に囚われない展開をしつつもプリキュアとして大切なことをしっかりとやったというのには非常を大きい意義があると私は思っています。
それでも優しくあろうとするのどかの強さ
のどかの選択は非常に大きいインパクトを残しました。
しかしながらこの一件を経てもなおのどかの優しさは変わることはありません。
アニメージュ2021年8月号でヒープリのSDを務めた池田洋子SDはこう発言しています。
のどかはダルイゼンを助けないという選択をしました。
しかしながらダルイゼンを助けなかったことを良しとはしてません。
それはネオキングビョーゲンからダルイゼンを助けなかったことを嘲笑われた時に顔を歪めましたしヒーリングっどプリキュア感謝祭で披露されたキャラクターショー(脚本:香村純子)で
「確かにわたしはダルイゼンを助けなかった。今も気持ちは変わらない!」
「でも、ダルイゼンが苦しんでたのを、そんな風に利用するのは許せない!」
とメガビョーゲンによって生み出されたダルイゼンの複製アバターに対してグレースは自分の選択は変わらないがダルイゼンが苦しんでいたことを利用するのも許さないと断じていることから分かります。
のどかは優しい子、その優しさは過去の経験から来る義務感のような優しさ
その優しさは花寺のどかのアイデンティティでありのどかの根幹に根付いているものである
と最初の方に書きましたがのどかの優しさはビョーゲンズとの戦いで変わることはありませんでした。
のどかの優しさは花寺のどかという女の子の根幹に根付いてしまった優しさでそれを変えるのは花寺のどかという女の子が変わってしまうからです。
悠木さんが述べたようにのどかがのどかに優しくていいという新しい道の提示とのどかがのどかのまま優しくいるために周りが出来ることは何?というのが提示され、のどかはそれを知ることが出来、選べるようになっただけなのです。
そののどかの自分を顧みない優しさが発揮されたのがプリキュアオールスターズFのワンシーンです。
オールスターズFに登場するプーカはあらゆるものを破壊する力を持っていますがそれを恐れており、過去のトラウマからその力を暴走させることもあります。
その力を暴走させて二度もプリズムチームのメンバーに迷惑をかけてしまったプーカはまたやってしまったと強く後悔をしその力を嫌悪します。
悔やむプーカにのどかはプーカの手を躊躇いもなく握り「大丈夫」と優しく語り掛けます。
プーカの手にはまだ破壊の力が宿っていてのどかの指先も破壊されていきます。
それを気付いたプーカは必死でのどかの手を払いのけようとしますがのどかはそれでも優しく「大丈夫って言ったでしょ?」と語りかけてプーカを落ち着かせます。
ラビリンも続いて「大丈夫ラビ!」とプーカに語りかけていきます。
このシーンについて同作の監督を務めた田中裕太監督は
このシーンはのどかの自分を顧みない優しさ、のどかの強さがプーカの心を救ったシーンと言えます。
パートナーのラビリンものどかがやりたいことを尊重し、一緒に大丈夫と語りかけています。
プーカの破壊の力でのどかが傷ついているのもラビリンは分かっているでしょう。
それでものどかがやりたいことを尊重しプーカを助けるという選択をします。
このシーンはヒープリで築き上げたのどかとラビリンの信頼関係が出たシーンだと思います。
完全な余談になりますがこのシーンを劇場で始めて見た時に私は「やめてほしい!」って思いました。
のどかの指先が消滅の力で消えているのが見えてたのでこのままだとのどかがまた苦しんでしまうという気持ちになったのです。
痛みに耐えてまでも優しさを振りまくという非常にのどからしい選択であるですが私としてはもっと自分を大切にしてほしいなという気持ちが出てきてしまったシーンなのです。
因みに同作でパートナーのラビリンを演じ、虹ヶ丘ましろ/キュアプリズムを演じた加隈亜衣さんも
と私と同じような気持ちで見ていたようです。
最後に
「ヒープリは不遇だったと言わせるつもりはない」
と綴られたエッセイから3年以上の月日が経過しました。
あれから新型コロナウイルス感染症も収束に向かい、様々なイベントが復活していき声出し応援も解禁されていきました。
2024年1月20日から2Daysで
「全プリキュア20Th Anniversary LIVE!」
が横浜アリーナで開催されました。
21日にヒーリングっど♡プリキュアのプリキュアを演じた
悠木碧さん、依田菜津さん、河野ひよりさん、三森すずこさんの4名が参加するという発表があり私を始めとするヒープリファンは色めき立ちました。
ようやくみんなに会える
そんな気持ちを私は抱きました。
ヒープリはコロナ直撃の影響でそういうファンの顔や声を見るイベントを殆ど行えず、4人が公の場で勢揃いしたのも映画ヒーリングっど♡プリキュア ゆめのまちでキュン!っとGoGo! 大変身!!の完成披露舞台挨拶の場ぐらいでした。(当時の記事)
もちろん声出しOKのイベントは全プリキュアライブが初です。
これは行くしかない、行って今までの想いを全部ぶつけてくるしかない!と思い一目散に席の予約をし、見事当選しました。
全プリキュアライブの気持ちを書くと一つ記事に書き上げないといけないぐらいに長くなってしまうので割愛しますが、あの時の会場で感じた1万人のプリキュアのヒープリへの愛は他のプリキュア作品にも負けず劣らずおっきい物だったと思います。
全プリキュアライブ終了後、悠木さんはInstagramを更新しました。
ひろがるスカイ!プリキュアの虹ヶ丘ましろ/キュアプリズム役としてもヒーリングっど♡プリキュアのラビリン役としても参加した加隈亜衣さんを入れたヒープリ組の写真を添えて上げられています。
ヒープリは不遇ではありません
ヒープリを大好きだと言ってくれる人たちはたくさんいて
今までそれを見ることが、聞くことが出来なかっただけだったんです。
私はふと何でここまでヒープリを好きになったんだろうと考えたことがあります。
悠木碧さんが出てるから?敵を全員倒して終えたから?HUGっと!プリキュア放送途中からリアルが大変でいまいち熱が入らなくなってしまったプリキュアへの熱を再度入れてくれたから?
某掲示板で実況活動をし始めたのがヒープリの時期だから?
と色々考えてました。
実は私は放送終了後、ヒープリに対して辛辣に的外れな攻撃してくる人たちと口論をしていた時期がありました。
それに対する返答をするために再度どういうことでどういう意味を持ってのどかたちはその選択をしたのか?というのを考えていったのです。
そして何を言いたかったのか、何を伝えたかったのかっていうのが分かりました。
その時に自分はヒープリが大好きになってた、心の肉球にキュンって来てたんだなと自覚しました。
そんなヒープリへの大好きの気持ちを理解してからプリキュアへの見方、視聴方法が変わりました。
この作品は何を伝えたいか、何をやりたいのかを考えながら見るようになりました。
そしてそれを表現するのに他の作品を下げる必要は全くないということにも気づきました。
22話で大好きを学んだアースがシンドイーネに対してこう言いました。
自分が大好きなものを大好きと言うのに誰かの大好きを下げる必要も傷つける必要もどこにもないんです。
本当にそれが大好きならその大好きが何故大好きなのかを語れるようになった方がいいに決まっているのです。
それに気付かせてくれたヒープリが大好きでそのヒープリで花寺のどかというキャラが一番大好きなんです。というかプリキュアで一番大好きです。
もちろん他のみんなも大好きです。
そんな大好きな気持ちをちゃんと伝えていかなければいけないとも思っています。
ヒープリは理解をするのに難易度が高い作品だなとは思います。
自分もここはどういう意図だったんだろうと思った時は結構ありました。
悠木さんのインタビューを読み返してそうなんだな、そういうことなんだなって気付かされたこともありましたし悠木さんの言葉を聞いて更に理解度を深めることも出来ました。
ヒーリングっど♡プリキュアという作品を一番愛しているのは悠木碧さんだと思います
花寺のどかというキャラを一番理解してるのは悠木碧さんだと思います
なので
花寺のどかのことは悠木碧に聞け!!!