今日の言葉(その4)

今日の言葉:採取場所・ネットの海
「顔が好きなんだよね」

 好きなタイプを答えるときに、著名人だとか芸能人、相手がわかってくれそうな人を挙げるときにやっぱり顔で答えている気がする。でも、恋人を顔で選ぶって明言すると、なぜ皆一様に眉をひそめるんだろう。顔だけで決めるなんてことは実際にはあり得ないのに。顔が良ければなんでもいいなんてことはない。けど、やっぱり話すにも、一緒にいるのにも、一番見るのは相手の顔なのだから、自分の好きな顔を選ぶのはあたりまえなのに。私だって、顔を褒められたら嬉しい。取り立てて美人ではないけれど、コンプレックスになるほど自分の顔が嫌いだったりはしない。どうせなら、私だって顔で選んだって言われたい。誰しもそう思ってるんじゃないのかな。

 金曜日の夜。仕事を終えたサラリーマンで混雑する老舗の大衆居酒屋。がやがやとした喧騒が逆に居心地の良さを与えるようなフロアの隅っこで、4人掛けのテーブルに向かいあってグラスを傾けていた。乾杯のビールが終わり、口当たりのまろやかな純米酒はもう3杯目も終盤に差し掛かっていた。喧騒のテンションに合わせて交わされていた会話もひと段落し、壁に貼られた今日のおすすめの酒を眺めてふわふわとした酔いを甘受している。
「……うん、顔が好きなんだよね」
「え? 誰の?」
 脈絡も、主語もないので聞き返す。
「見てて嫌じゃないっていうか、ふと、ああ好きなんだなって思う」
「んんん? 何の話? 誰の顔?」
「きみの」
「は!? どうした、酔っぱらった?」
「酔ってるよ、そりゃ」
「ま、まあそうだけど……どうしたの急に」
「いや、ぼーっと見てたら、口に出ちゃったから」
 あまりに平然と言ってのけるので、こちらのほうがうろたえる。だけど、嫌じゃない。でも、こう面と向かって言われると、照れる。素直に、ありがとうってサラリと言えるほど、言われなれてはいない。けど、明らかに酔いではなくて、嬉しさでじわっと身体が火照る。
「あ、あたしも好きだよ、君の顔」
「そうだったっけ?」
「え……なにそれ」
「きみの好きなタイプじゃないでしょ、確か」
「それって……芸能人とかのこと?」
「そうそう、もっとシュッとした感じのが好きじゃなかった?」
「それはそれ、これはこれじゃない」
「なんだよそれ」
「なんだよって、こっちこそなんだよ、だよ。急に顔が好きとか言い出して、どこが好きなんだか……」
 動揺をごまかしきれずにグラスを空けて、追加を注文する。対面もそれに乗った。どこが好きなのか聞いてみたいが、間が空いたことで聞けずに黙っていると察したように言葉が続く。
「目、かなー。うん、目だな。その目に見られてるのが、いい」
「へ、へぇ……」
「そっちは?」
「え? あーうん、なんというか……全体的に……嫌いじゃないというか……」
「はは、やっぱり顔が好きなんじゃないんだろう」
「そ、そんなことないって……あ、でも、声とセットで好きかも」
「へぇ、セットで」
「見た目どおりの声がちゃんと出てくるっていうか、うまくいえないけど」
「ふぅん、おもしろいな」
「おもしろい、かな。……てか、なんなのよこの会話!」
「いいじゃん、たまには」
「もう、酔っ払いすぎだよ」
「口説いたほうがいい?」
「バカ言ってんじゃないの!」
 
 こんな会話も喧騒にまぎれて隣のサラリーマン4人組には聞こえてないだろう。顔が赤いのだって、それこそこのフロアの8割はみんなそうだ。だから、素直に喜んだっていいんだ。けど、それはしない。お冷を1杯貰って、ふぅと息を吐く。
「帰ろう、もう呑み過ぎ。お互いね」
「今日は俺が奢るよ」
「いいよ、別に。ちゃんと割ろう」
「俺のほうが兄貴なんだからさ」
「双子なのに兄妹もくそもないでしょ」

 同じ顔して、お互いの顔が好きとか恥ずかしくて仕方ない。でも、同じ顔だから、少し違うから、それを一番分かり合えてるから、嬉しい。
 他の誰かにも、こんな風に言われたら、同じように嬉しいのか比べたことはないけれど。

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