『ラブという薬』の感想。

この本については珍しくちゃんと文字にしたい。
読書メーターの感想欄では足りないので、久々にnoteを開く。

一時期とても仲良くしていただいたことのある、ほっしーが本を出す。
しかも、いとうせいこうさんと、とワクワクして本を手に取り、ページをめくった。その1を読み終えたときに、これは急いで読んではいけないな、と思っていったん閉じた。けれど今日の僕はお腹を壊していて、トイレに長々といるときは本を持っていたいから、もう一度この本を持った。ほっしーの部分はほっしーの声で再生され、いとうさんも知り合いではないけど、何度も舞台やTVやCDで声を聞いているので、脳内で声が再生されつつ読む。そういう中で読み続けていると、ちょっとなんだか内容が頭に入らなくなった。

トイレを出て、やっぱり買ってきたばかりで一気に読もうと思ったのが良くなかったかなと、閉じた表紙を見ると、オオクボリュウさんのイラストが目に入る。「あ」と思った。ちょっとほっしーという知人という視点が強すぎたかなと。このイラストがハンドパペットとして、いや、彼らが実は手にハンドパペットをしてるとして、その対話を読むといいかもしれないと。今でいうところの『ねほりんぱほりん』じゃないけど。その「あ」だ。

そうしてこたつでお腹を温めながら読んだら、結果一気に読めてしまった。

読みながら、ずっと前の会社の後輩のことや、最近一緒に仕事をしている人を頭に浮かべていた。「読んでみるといいよ」と、とても言いたいけど、きっとこの本をそのまま渡しても、拒絶するであろう人たちだ。そんなに辛いなら、お医者に行けばいいのに。人を傷つけたくないと思いながら、棘がある言葉しか発せられないなら、お医者に行けばいいのに。僕がそう思っている人たちだ。けど、読み終えたときには、読んでみるといいよって言わなくていいやって思えた。それって結構重要なことに思える。もしゆっくり話す機会があれば、傾聴してみよう。それだけでいいんだって。

この本は「怪我をしたなら外科に行くような単純さで、つらいなら精神科に行こう」という本なのだけど、それは他人が言うことでもないんだって。これは「星野先生といとうさんが言っていることで僕が言うことではないのだ」と。対話でも言われてた通り、押し付けたりしても呪いになるだけで、呪いはそりゃ拒絶されるものだなぁと。これを読んでよくわかった。
読み終わったときはもう二人はハンドパペットじゃなかった。この置き換え現象はよくわからないけど、そう感じたことなので書き留めておく。

ほっしーの曲、歌声や話、文章がとても好きで、ファンでもあり、知人としてもよくしてもらったけれど、ほっしーの星野先生の部分はあまり話したことがないので、わからなかった。
けど、この本で星野先生の一部であり、考えとかスタンスが少しだけど、さらに知れたのもとてもよかった。『いろいろな目線』の裏話じゃないけど、ほっしーがどういう気持ちでどう行動したのかも知れてよかった。でも、僕はまた彼に会う機会があっても、先生の部分はあまり聞かないと思う。それで、いいのだ。もう本で話してくれたから。

こんな体験ができる本であり、やっぱり薬である本だった。
何かにつけて読み返したら、何度も気づきがありそうな、それこそ僕にとっての常備薬になりそうだ。

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