需要と供給
母親はモノが捨てられない。
もうそれ絶対いらないでしょというものもとっておく。お肉が入っていたトレー、掛けもしない時計、草履、賞味期限の切れたガパオライスの素…。
母親がガパオライスを作ってくれた記憶は私の中には無い。
片付けてよ、なんでこれとっておくの?と母親に聞いてもあまり納得出来る返事は帰ってこない。使えるから。いつか必要になるかも。そんなことばかり。
どうアプローチしたらいいか分からない。
実家はゴミ屋敷になり、7月に取り壊されることが決まり、我々子供たちはひぃひぃ言っている。
母親と父親の関係はそんなに良くない。
父親はいつも愚痴をたらしていて、改善すればいいものの、言うだけだ。そんな状態に子供たちももう話を聞きたくなくなっている。
ただ母親だけは何故か聞いてあげている。スゴすぎる。父と母は仕事の関係上同じ家には住んでいないが、母親が休みの日になると食材を買って父親の家に一泊してくる。あのよく分からない愚痴と過去の栄光を喋るだけなのに。
ただふと思ったのは、きっと母親は昔の父親に惚れていて、その思い出の品をとっておいてる、もしくは、父親に必要とされるために物を取っておいているのではないかとおもう。父親の役に立つことが母親の最大の喜びなのだ。
話を聞いて欲しい、助けて欲しい父親。話を聞いてあげる、何かやってあげることで自分の必要性を見出す母。需要と供給がマッチしている。
ただそんなことをしても父親の為にはならない。皆が自分らしく自分を満足させる為に生きることこそ、相手のためになるのだ。
とりあえずモノが溢れてひぃひぃ言っている。
やだ、やだ、もう、何年も前の缶詰を掘り起こすのなんていやだあああああああ!!!!!!