いまは亡きひとに思いを馳せ、自分にも語りかける
すると、
亡きひとは、ただ寄り添いともに穏やかな空間を共有する
空間という認識さえ違和感がある
時間と空間もなく、とても不思議な感覚
癒えたと思える部分は、実は鞣されたのであって
自身の視点が広角になっただけなのかも知れない
亡きひとと繋がりながら、鞣された感覚の中で
継承された想いも感じることができる
人生の意味を断定することはナンセンスなのかも知れない‥
時間と空間を認識しながらも、時間と空間を超えたところを感じ、人生の意味がすべての瞬間にこそあることを認識し続けることが私には自然なことと思える