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遥かなる星の国 〜半世紀前のシンガポールに住んでいた〜 vol.1⭐︎シンガポールってどこ?
赤道直下の島国
シンガポールは漢字で、新加坡、あるいは星港、と書く。
かつて、私はこの美しい国際都市国家シンガポールに住んでいた。
今から45年前のこと、私が小学5年のとき、会社から帰宅した父が突然、シンガポールに赴任することになった、と宣言した。なぜか単身赴任という選択肢はなく、最初から家族同伴で期間は3年と決まっていた。
今は渡航なんて珍しくもないかもしれないが、当時の我が家は誰も海外旅行はおろか、飛行機にだって乗ったことがなかったから大騒ぎになった。しかも行き先はシンガポール、だって。どこ?それ。誰に話してもそう訊かれてしまう。
マレー半島の先端にある淡路島と同じくらいの大きさの島国だって。へえ、そんなに小さくて国なの? 赤道直下? 熱帯? なら、年中暑いんだねー。みんな何食べてるのかな。ジャングルとかあったりする? 怖い猛獣、いるんじゃないの。
祖母にいたってはその話を聞いて「あんたら、今度、〇那へ行くんか?」と訊いてきた。「〇那ってどこ?」と尋ねると「ほら、あの、頭、真ん中残して剃って三つ編みにして長く垂らして‥」と言う。
それって、もしかして弁髪のこと? おいおい。いつの時代の話だ、それ。いやいや、絶対違うから。
とにかく、45年前の、私の周りの大多数のシンガポールに対する認識はその程度しか無かったということだ。
父の手紙
そんなことにはお構いなくあれよあれよという間に話は決まり、まず先遣隊として父が1人で出発した。
当時はネットなどない。ファックスもない。国際電話はバカ高いから簡単にはかけられない。通信手段は手紙しかなかった。慣れない異国の地で父は寂しかったのだろう。週に1回くらいのペースで手紙が届いた。
父の手紙には、ちまちまといろんなことが書かれていた。シンガポールでは洗濯物は水平じゃなくて垂直に干してあるとか、リンゴがピンポン玉くらいだとか、バナナが親指サイズだとか。一人暮らしの間、家事をしてくれているアマさん(マレーシア語で女中さん、の意味か?)に味噌汁の作り方を教えて作ってもらったら、いきなり具にトマトが入っていて閉口したとか。幼稚園児の描くようなイラストが添えてあることもあり、私たちの中のシンガポール像はますます混沌としてきた。
出発する前に父が買っておいてくれたシンガポールのガイドブックが一応あったけど、それを見てもさっぱりイメージが湧かない。私たちが住むのは観光地ではないのだ。ガイドブックの、政府観光局が選んで載せているきれいな写真やテンプレな情報はあまり役に立たない。
カチカチのおにぎり
半年ほどで慌ただしく準備を終えて、母と私が父の待つシンガポールに向かったのは6年生の夏休みの明けた9月のことだった。
パスポートの手配や予防接種など事前準備もバタバタで、当日、搭乗の手続きをするのも飛行機から下界を見るのも機内食を食べるのも、何もかも初体験だったはずだがあまり覚えていない。当時は伊丹空港(当然だが、関西空港はまだ無い。念のため)からシンガポールまでの直通便はなくて、香港で乗り換えた。香港の空港に着陸するときにやたら山が近くて怖かったのと、ものすごく蒸し暑かったのを覚えている。
シンガポールに着いたのは夜で、父が空港まで迎えにきてくれた。その晩は、多分、会社が手配してくれたホテルに宿泊した。そのホテルもまるで印象がない。
ただ、誰が用意してくれたのかわからないが、部屋に夜食があった。ケーキを入れるような紙の箱におにぎりが2つ、ゴロンと入っていた。海苔も何も巻いてないソフトボールくらいのまん丸なおにぎり。表面はカチカチで、かじるとすっごく硬かった。
見た目だけでなく、中身もソフトボール。おそらく、これは日本ではおにぎりとは呼ばない、米飯の塊。かぶりついた歯が抜けそうだった。
これは、えらいところに来た、来てしまった。そう思ったのはたぶん、このときが最初だった。(続く)