今更ドはまりした「ちはやふる」の3つの魅力的構成要素について

 3週間前、ルーティンでアニメを見ていた私は、当時見ていた作品を見終えて、次に見るアニメ作品をdアニメストアで探していました。
 「そういえば、友達がちはやふるめっちゃ面白いって言ってたな、題材はかるたって聞いたけど、かるたでどうやってそんなに面白くできるんだろうか」 たまにはこういうアニメを見るのも悪くないか、途中で飽きたら別の見ればいいし、それくらいの気持ちでちはやふる(第一シーズン)を見始めました。 そこから3週間で、アニメシリーズ70話強を見終え、続きが気になりすぎて既刊44巻まで一気に読みました。
 ここまでハマった作品は久しぶりだったのもあり、せっかくなので感想記事を書こうと思って今に至ります。個人的に思ったことをつらつらと書きますので、共感いただける部分と違和感ある部分あるかと思いますが、予めご了承ください。 あと、一部ネタバレを含む記載があるかもしれませんので、まだ未読、未視聴の方は、漫画でもアニメでもいいのでぜひちはやふるというコンテンツを摂取してからお越しください。

1.作品の概要と魅力的な構成要素

 ちはやふるは、一言で紹介するなら「王道スポーツ青春モノ」です。
 主人公の綾瀬千早は、小学生のとき、福井から転校してきて友達ができない綿谷新の部屋に行き、成り行きでかるたをすることになります。そこでかるたの面白さに気づいた千早は、幼馴染の真島太一と綿谷新と3人でかるたをするようになり、とても楽しい日々を送ります。
 しかし、中学に上がるときに、新は福井に帰ることになり、太一も千早とは別の学校に行くことになります。
 そんなこんなで中学ではかるたとは縁遠い生活を送っていた千早が、「高校でこそかるたをやる!」と、競技かるた部を作ろうとするところから、物語は始まります。
 ちはやふるを知らない多くの方は「かるた???え、競技って何???」となると思いますし、「かるた部で部員集めるとか無理でしょwwwそんなにかるたに興味ある高校生おらんよwww」と思うことでしょう。私もそう思ってみてました。しかし、我々と同じように、最初はかるたに興味がなかった高校生たちが、千早の圧倒的熱量に炊きつけられる、あるいは巻き込まれるといった形で揃った部員で、かるたの高校選手権を目指したり、千早はかるたの日本一であるクイーン位を目指したりしながら切磋琢磨する作品です。
 ちはやふるが特に面白いと感じる要素として、以下の4要素があるかと思いました。そのため、次項以降では、これらの要素を深堀していきます。
①「競技かるた」そのものの魅力と伝え方
②静動入り交じるバランスの良い演出
③キャラクターの成長と「敗北」の描き方

2.競技かるた?なにそれ?から始まるギャップを丁寧にかつ自然に埋める説明の上手さ

 ちはやふるの面白さを支える根幹の一つに、「競技かるた」そのものの魅力を効果的に伝えている、という点が挙げられるかと思います。
 お恥ずかしながら、私はこの作品に触れるまで、競技かるたというよくわからんものがあるのは知っていましたが、その中身については、全く知りませんでした。読む前に持っていた漠然としたイメージは、「まあいうて速く取ったほうがええんやろ?」というものでした。
 ちはやふるは、そんな漠然としたイメージしかない私に、競技かるたの、魅力をこれでもかと伝えてくれました。「速く取る」ためにどのような練習があり、どのような戦略があるのか、そもそも札の配置や送り札の存在自体が、私にとってはとても新鮮に映りました。
 かるたという全く知らない世界だったからこそ、「なるほど、こんなスタイルもあるのか」「感じを良くするためにこんなことをするのか」など、新しいキャラが出てくるたびに、あるいはキャラクターが壁にぶつかるたびに、登場キャラとともに驚き、「どうやって対抗するんだろう」とワクワクしました。
 特にマイナーな競技やゲーム、趣味など、普段関わらない未知のコンテンツを題材にした作品では、このような発見と驚きをキャラクターと一緒に感じ、新しいことを知るためにも続きが読みたくなる、という効用があるかと思います。
 しかし、マイナーコンテンツを扱うというのは、ある意味諸刃の剣です。なぜなら、基本的に視聴者や読者などの受け手には一切の下地がないことを前提にしなければならないわけですから、そもそも受け手が興味を持つきっかけを作らなければいけませんし、興味を持ったところでわかりやすく魅力を伝える必要があります。このあたりの「説明」の部分がくどくなりすぎると、テンポが悪く冗長になってしまいますし、少なすぎると受け手が置いてけぼりになります。ちはやふるが素晴らしかったのは、最初の方での競技かるたの「説明」はほどほどにしつつ、試合などの中でキャラクターたちが説明を補完しながら物語を進めていった点です。そうすることで、説明としてくどくならずに、かるたをする中で何が大事かを受け手が必要なタイミングで把握することが出来ます。みんなの試合や練習を追っている中で、受けては自然とかるたの難しさや魅力を吸収することができ、物語をより楽しむことができる、というわけです。

3.かるたのダイナミックさの「動」と心理描写の「静」のバランスの良さ

 ちはやふるでは、練習や日常の風景をそこそこにし、どんどんと大会を行っていきます。つまり、基本的には試合がメインになるわけです。そして、その試合の描写のメリハリが、とても心地よく、受け手を飽きさせない構成になっています。
 かるたには、取りの部分では明らかに「速さ」を競う動的な部分になっています。アニメでそれがいきいき描かれているのですが、漫画でも見開きページやコマ割りなどを駆使してダイナミックに描写されています。しかし、ちはやふるの素晴らしいところは、動的な部分だけではなく、むしろ「静的」な部分にあると考えています。ちはやふるでの試合中の静的な部分では、おもに以下の2つが描かれています。
・読手が札を読む前
・選手たちの心理描写
 読手が札を読む前の緊張感ももちろん素晴らしいのですが、札を取った(取られた)あとの心理描写が特に素晴らしいですね。かるたは1音の瞬間の勝負なわけですから、精神的な動揺の機微などがすぐに次の取りに反映されるわけです。自分が得意としている札を取られた、相手に右下段を抜かれた、一字決まりをうまく取れた、札一枚一枚にも、そのようなドラマがあり、選手たちの喜怒哀楽や葛藤、思いが詰まっているわけです。
 また、心理描写だけでなく、札読みの一字目が読まれるまでの間を意図的に長く取るような演出も多く見られます。これについては、おそらくまさに競技者が主観的に体感する時間を受け手に共有させるような仕掛けとなっているわけです。一字や二字で勝負が決まる世界だからこそ、その一瞬に選手が全力で耳を傾けて集中する、そんなはりつめた雰囲気を受け手にも感じてもらおうという演出かと思われます。
 このようにして、「取り」の描写と「取ってから次を取るまでの間」の描写のメリハリが、試合を続けて見ても受け手を疲れさせず、かつ飽きさせないようにしていると思われます。

4.敗者を敗者として終わらせない、誰だって誰かの物語の一部分という魅力的なキャラクター

 ちはやふるの魅力の大きな部分を占めるものに、キャラクターの魅力と成長が挙げられると思います。先述した通り、主人公の千早は3度の飯よりかるたが好きなくらいのかるたバカなわけですが、誰だってはじめからそうなわけではありません。部員を集める過程で、過去にかるたをやっていたけども挫折した人や、かるたのかの字もないような人たちを勧誘し、なんやかんやで部活に入れるわけです。
 そういった、千早の熱量に半ば強引に「巻き込まれた」人たちは、最初からかるたについて真剣なわけではないのです。あるいは、真剣にしようとしても、自分の信条であったり、あるいは周りとの才能の葛藤に思い悩むわけです。
 ここからまあなんやかんやあってそれぞれの悩みを解決して成長していく!みたいな作品は、ちはやふるに限らず多くの王道作品で見られる展開です。では、ちはやふるは何が特に魅力的なのか、それは「挫折」と「敗北」の描き方かな、と私は思います。
 ちはやふるの登場人物は、ほぼ全員が誰かに負けています。主人公の千早はもちろん、主人公が目指しているクイーン位の若宮詩暢も、名人の孫で主人公にあるたを教えた綿谷新も、もちろん瑞沢高校かるた部の面々も、必ず負ける描写があります。かるたは心理的な側面が大きな作品だと先程申し上げました。身体的なコンディションだけでなく、精神的なコンディションにも大きく左右されますし、前日や当日にどんな出来事があったか、どんな心情の変化があったか、というのが、そのまま試合展開に反映されるような描写が多く見られます。

 そして、どんな強いキャラだとしても、負けることで、「まだ強くなれる部分がある」余地を残している、ということが、その先の展開をさらにわくわくさせます。ちはやふるは、キャラクターが負けることで、「次はどうすれば勝てるのか」という成長の指針をキャラ自身が模索するキッカケを与えます。結果として、登場キャラクターの多くが、かるたに対して、ひたむきで、真摯な姿勢を取るようになります。

 このような状況が、主人公サイド(いわゆる瑞沢高校かるた部など)だけでなく、ライバル校や敵となるキャラについても、それぞれ丁寧に描写をされるわけです。高校選手権では、高校生活というタイムリミットがある中での、各校の意地とプライドをかけた戦いが行われ、名人位、クイーン位では、高校生だけでなく、主婦やご老体などが、それぞれのバックボーンやハンデを背負いながら、時には主人公たちと共闘し、ときには主人公たちの前に立ちはだかるようになるわけです。高校という枠組みに収まらないことが、それぞれのキャラの関係やバックボーンに深みを出しているわけです。

 最後に、私がこの作品でもっと好きなキャラクターである、真島太一について少しだけ魅力を語りたいと思います。
 真島太一は、一言でいうと「文武両道イケメン野郎」です。学年で常に1位の成績、中学の時にはサッカー部で、ルックスはイケメン、まさに初見では非の打ち所がないキャラクターに見えます。実際、私が最初に見たときには、「こんなキャラおらんやろwwwさすが少女漫画www」となったわけです。しかし、そんな単純な話ではなかったのです。
 太一は小学校のころから千早、新と知り合いで、新とはなんだかんだの因縁があったりしつつも3人で仲良くかるたをやっていました。しかし、中学は千早とは違う進学校に進みます。高校では地元の瑞沢に進学し、千早と再会します。当然かるた部を作りたい千早は太一をかるた部に誘いますが、太一は乗り気ではありません。太一は、かるたの先生である、原田先生に対して、こんな言葉をこぼします。

「でも、分かってるんすよ、俺は。俺は、青春全部懸けたって、新より強くはなれない。」

 このセリフからもわかる通り、太一は何でも器用にこなすスーパーマンであるにも関わらず、ことかるたにおいては、ある種のあきらめがあるわけです。家庭の教育方針として、「勝てる勝負だけしなさい、勝てない勝負は降りなさい」みたいな方針であり、勝つことにこだわってきたため、同年代の高校生キャラたちと比べてもかなり達観したようなものの見方をしています。
 そんな太一に対して、原田先生はこう返します。

「青春を全部懸けたって強くなれない?
まつげくん、懸けてから言いなさい。

 こうして、太一はかるた部に参加することになります。しかし、この真島太一は、とことん「敗者」として描かれます。才能・ツキ・めぐり合わせ、そういったものがない、努力しても努力しても、A級に上がれない、そんな風にもがき苦しむさまが、前述したスーパーマンぶりとの対比でさらに鮮やかに映ります。そして、彼がかるたを続けるために、あるいは、かるたで強くなるために、どれだけの努力をしているのかが、随所でちらちらと小出しに紹介されます。そんな風にして物語が進行していく中で、彼は「超絶イケメンのスーパーマン」から「周りのことを常に見ながらひたむきに努力するめっちゃいいやつ」へと受け手の印象がどんどん変わっていきます。そして、新と千早との気持ちのぐちゃぐちゃした部分を見せたりして、ただの「いいやつ」に終わらせない、非常に人間味のあるキャラクターとしても描かれるわけです。
 こんな風に、いろんな思いを抱えながらも努力してきた彼が、大事な試合で勝ったりすると、わがことのようにうれしかったです。

 ここでは最も好きなキャラクターのみ紹介しましたが、ちはやふるでは、キャラクターの人間としての解像度が高く、受け手がキャラクターに寄り添って、キャラクターとともに一喜一憂できる演出、仕掛けがありとあらゆるところにちりばめられており、気が付けば作品に没頭している、というわけです。

5.おわりに

 以上、ここまで簡単にちはやふるの魅力について述べてきました。正直、どれだけの言葉を尽くしてもこの作品の魅力を語るには足りないので、「いいから読め(見てくれ)」という結論になってしまいます。
 漫画だと44巻、アニメだと75話(総集編が入るため実質は72話程度)と、今から追いかけるには少し躊躇するかもしれませんが、とりあえずアニメはシーズン1の15話までだけでも見ていただければと思います。きっと見終わるころには、続きが気になって仕方なくなっているでしょうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?