『メイクアガール』を観終えた率直な感想
1/31にメイクアガールが公開されて最初の日曜日、劇場で舞台挨拶中継とセットでやっていたので、観に行ってきました。
劇場に行く前にSNSで致命的なネタバレなどを踏むことなく行けたのですが、行く前から割と賛否が分かれていたり、言葉に詰まっている感想が目に入ったりしたので、ある種「一体何がお出しされるのだろうか」というワクワク感をもって観に行きました。
観に行った結果、あなりにも「言いたいこと」が多くなってしまったので、感想をまとめようと思います。
映画の内容にめちゃくちゃ言及してネタバレバンバンしますので、観てない方はぜひだまされたと思って劇場に足を運んでからこちらに戻ってきていただければと思います。
あと、1回しか観ていないので間違った内容を含んでいる可能性も高いですが、現在の認識と感想なのでご容赦ください。来週観に行った時に追記修正するかもしれません。
総評
観ている最中、特に序盤中盤はかなり「あーこれやりましたね」と思っていましたが、なんだかんだで最後は満足して劇場を後にすることができました。ありがとうございました。
とにかく0号ちゃんがかわいい、これだけでまあ加点要素が深いわけではありますが、なんだかんだで終盤のやりたい放題しているシーンからラストのワンカットのところに至るまででかなり「やりたかったこと」とか「書きたかったこと」みたいなのを巻き返したのかな、という印象です。マジで0号ちゃんが中心にあって、彼女が魅力的に動いているシーンはかなり楽しめました。
一方で、作品の根幹の一つでもあると思われるSF要素部分は、お世辞にも出来がいいとは言えませんでした。世界観の説明に時間を使わずに、なんとなく近代的ロボットがいるんだろうなということしかわかりませんが、一般生活にどの程度浸透しているんだ、とか、ソルトがどういうことができてどういうことができないのか、とか、ほかの科学技術はどの程度進行していて、とかがあんまり読み取れません。明くんの周りにとんちきなマシーンが最初に一部描写されていましたが、その中で書かれていたものはどちらかというとSFの生活を想起させるものではなく、明くんのキャラクターを印象付けるためのものです。
また、冒頭で申し上げた0号ちゃんも、例えばいわゆるロボット3原則などを忠実に守ったり、などといった伝統的なものではなく、一応所有者に危害を加えようとした際に制御が働くようにはなっていますが、結局ある程度の加害はできるようになっていますし、何より彼女を心を会得していくまでのプロセスがあまりにも「なり」になりすぎていて人造人間であることを忘れさせます。ただ、SF要素としてはあまりにも諸々を端折ったこの部分も、本作の映画という限られた時間の中で描きたかった内容を書こうとするのには、必要だったのかもしれません。
SFを簡略化して何を書こうとしたのか
あくまで個人的に一度観ただけの印象ですが、本作をSF映画としてみると、上記の通り世界観やロボット周りの設定に粗さが目立つことになると思います。
ただ、観ている途中で自分の認識を修正したのですが、本作はあくまで「人間のマイナスな部分と向き合ったり、そこから人間的成長をする個々のキャラクターを描く作品」であり、その物語を動かすために乗せた内容として、SFの要素をのっけたのかと思います。明くんなどはものすごいわかりやすいですが、それ以外の登場人物も人間的にどこか「目につく」部分があったりしながら、あー、人間ってこうだよなぁと思いながら、それでも前を向いたりなんだかんだで過ごしたりしている、というものなのかなと思います。
そういった中で、監督が舞台挨拶でおっしゃっていたのですが、「0号ちゃんが人間的な部分を獲得していくなかで、いい部分だけでなくマイナスな部分も獲得していって、それがソルトとの関係性の変化に表れている」という部分がなるほどと思いました。つまり、人間とはどういう存在か、というのを、ゼロベースの記号的なキャラが「獲得」していく、という描き方をすることによって際立たせることができます。食事のシーンで階段下で一緒に食事をとっていたソルトに、最後は召使のように(丁寧にではありますが)ものを頼むようなシーンでは、それ自身が彼女が人間性を獲得したことを象徴するそれであるわけです。そして、この人間性の獲得という部分は、SFで妥当性をもって説明する部分が極めて難しい内容です。私もぼちぼちいろいろな作品を観てきましたが、ここに100パーセントの納得感をもって説明している作品はほとんどないのかなと思います。それくらい、AIと人間性というのは距離が遠いものだと思っています。なので、本作でもそれに納得させるような説得力を持たせることはできませんでしたが、逆に、そこを説明くさく時間を割くのではなく「こういうものだ」ということで話を進めるのが、ある種取捨選択の結果なのかなと思っています。
この作品に一つだけ言いたいこと
ただし、SFを簡略化したことによって、作品に大きく弊害が出ていると感じた部分があります。
それは「明くんがバカっぽく見えてしまう」ということです。頭いいキャラがバカっぽく見えてしまうのは、あまりにも作品全体の締りを悪くし子供っぽくしてしまうのですが、本当にここが目につきました。
彼の大きなコンプレックスである「研究がうまくいかない」という部分ですが、失敗をした、という言葉を連呼し、同じようなシーンを何度も流すことにより試行錯誤をしていることを描写しようとしているんですけど、その試行錯誤が「失敗した中身」に言及するような描写がないため、ただ闇雲に何度もやっているように見えてしまっています。それでいて一人で苦しんで0号ちゃんに八つ当たりするわけですから、「な、なに?」みたいな話になってみている一が置いてけぼりにされたような印象があります。母の研究の内容も「一部だけ理解した」みたいな描写がされていたのですが、論文とかの形にはまとまってなかったんかなぁみたいなところなどがとても気になりました。まあ母も天才だったので体系的に何かをまとめていない、みたいな話なのかもしれませんが、受け継がれたメモリが他人がぱっとみて解読できないようになっているという部分がいまいち現実感がなかったように思います。(ただこのあたりはちょっと自分の理解の問題な気もするので、2週目観に行くときにもう少し注意してみようと思います)
それ以外にも、(まあこれはSF要素とは直接は関係ないのですが
彼女ができればパワーアップする、という短絡的な因果関係に飛びついてしまう部分であったり、精神状態や気分がパフォーマンスといまいち結びついていない点などは、もちろん本人がまだ子供であるという幼稚性から考えたら仕方ないのかもしれませんが、それにしたって天才として書こうとしているキャラクターから考えるとあまりにも論理的でない部分です。正直この話をするためにここまでの文章を書いたのですが、SF要素が簡略化された結果、肝心の主人公のキャラクター性の魅力を損なってしまったのが残念だったのかな、と思っています。
終わりに
ということで、メイクアガールは人間ってこういう存在だよね、こういう行動するよね、こう成長するよね、という要素を書こうとしてSFを乗せた結果少しいびつになった作品なのかな、という評価です。ただ、ラストの0号ちゃんが明くんをマジでボコボコにするシーンなどは「論理的に説明できない」人間らしさを描いていて鮮烈でしたし、トータルでは楽しめた作品でした。
ラストシーンの種明しが2週目特典のブックレットに書いてあるらしいので、来週も観に行こうと思います。