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戦時中に起こされた人工地震

今夜は戦時中にアメリカによって起こされた人工地震のお話をします。
もう、知っている方も多いと思いますが、私自身が改めて脳裏に焼き付けるために書いておこうと思いました。それと、まだ知らない方のためにというのもあります。下手くそな文章ですが読んでくれたなら嬉しいです。

2007年(平成19年)内閣府の報告書

1944年(昭和19年)12月7日13時35分頃
マグニチュード7.9の昭和東南海地震が発生。
静岡県御前崎市と三重県津市で震度6を観測。
死者行方不明者は1223名でした。

そして、その37日後の1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分頃
愛知県三河湾でマグニチュード6.8の直下型地震三河地震が発生しています。

内閣府の防災情報のページというのがあるのですが、平成19年(2007年)3月「災害教訓の継承に関する専門調査会」報告書には、1944年の東南海地震と1945年の三河地震が一緒になって出ています。

それにしても、こんな大切なことを60年以上も黙っていたなんて、何かおかしいですよね。やっぱり、下の写真が示すように人工地震だったからなのでしょう。

人工地震の波形(NHK)

報告書①(1944年東南海地震、1945年三河地震)

:防災情報のページ内閣府

第2章 東南海地震の被害と救済
三重県においては熊野灘沿岸の津波被害。
愛知県においては埋立地である軍需工場が集中する地区での被害。
静岡県においては軟弱な泥質からなる沖積平野地区において住家被害が見られるなど被害の様相は様々であった。

第4章 三河地震の災害の概要
三河地震はプレート内活断層から発生した地震の典型例で明瞭な地表地震層の出現多数の前震等が確認されており、岡崎平野南部や三ヶ根山地周辺に最大震度7の局地的な大被害をもたらしたが、東南海地震と同様、「隠された地震」であった。

第6章 戦時下での地震
東南海地震及び三河地震による被害は甚大で軍需生産力にも大きく影響したため、地震に関する資料は極秘とされ戦時報道管制の下、被害に関する報道は厳しく規制された。

地元紙においては、物資配給・住宅対策といった被災者の生活支援に関する記事について出来うる範囲での報道が行われた。

以上、大雑把ですが、報告書の内容はこんな感じです。

NHKスペシャル番組終戦記念日特集

2011年8月10日深夜にNHKで放送された「封印された大震災、愛知・半田市」でも1944年12月7日の東南海地震が取り上げられました。この番組では、東南海地震が米軍によって引き起こされたものであることを、いろんな角度から証明してくれていました。こんなお話をNHKがやっちゃっていいものかと(日本はまだ米軍の占領下にあり、言論の自由はない)思った人も少なからずいたようです。余計な心配かと思いきや、やっぱりヤバかった。

放送日に消されてしまった夫婦

放送日に合わせて制作に関わった元アナウンサーとその妻を殺して見せしめにしたのです。米国に逆らえばこうなるんだと・・・。反日NHKの中にも勇気のある人はいたんですね。おかげで、私も真実を知ることが出来ました。

アメリカの報復

昭和東南海地震が発生したのは1944年12月7日です。
真珠湾攻撃は1941年12月8日未明(米国時間は7日)でしたから、
あれから、ちょうど3年目になります。

また、12月8日は日本軍のマレー半島攻略3周年にあたり、大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とされていました。この日は、大戦の詔勅が出された記念すべき日だったのです。

これは偶然なのでしょうか?違います。
結論を言ってしまえば、これは偶然ではなくて計画的に引き起こされたものでした。その根拠となるお話をしていきます。

1990年代以降の大地震は全て爆発波形

まずは波形です。人工地震の波形は下図のようになります。
東南海地震、三河地震とも爆発波形でした。(下のほう)

1990年代以降の大地震は全て爆発波形

早すぎる報道

米国のマスメディアは東南海地震を大々的に報道。

アメリカでは、日本列島中央部に地震が起きたことが、すぐに把握されていました。特にNYタイムズは8日、9日と大々的に報道しています。

12月9日の記事では「東京は地震による津波で軍需産業のダメージを認める」というもので次のように書いています。

NYタイムズ

「日本政府は大阪、名古屋、浜松、静岡、長野、そして清水を含む巨大な軍需生産の中心が、その壊滅エリアにあることを明らかにしたが、損害は最小限だったとした。「地震は深刻だったが、被害はさほどではない」と。混乱について述べることなく、およそ24時間後に発表。
米国、英国、インドの地震学者たちは、彼らの地震記録から、その地震は「かつて記録された最大級の1つだ。」と述べた。彼らは、津波、火災、そして直接地面が動くことによる破壊は圧倒的で、疑いなく1923年の関東大震災を超えるものに違いないと確信した。」・・・・とあります。さらに、

「戦争情報局(米国)によると、日本の広報担当者は、その地震は東京と横浜地方での地滑りで、いくつかの家屋やビルが倒壊したが、ほとんどの他の場所では「ただ、窓が割れたのみ」にとどまったと話したと言う。」

「しかし、まったく違った意見が、地震の権威であるニューヨークにあるフォーダム大学の主任地震学者ジョセフ・リンチ氏により出されている。彼は木曜日の地震は、日本の東から西にかけての太平洋沿岸から100マイル内陸にまで影響を与えたはずだと述べた。」・・・とあります。

同じ12月9日のNYタイムズの記事の中で、リンチ氏は「水の壁の脅威」と題して「津波が日本の海岸を襲ったとすれば60~70フィート(18.3~21.3メートル)の高さの恐ろしい水の壁になったに違いないと予想した。」

リンチ氏は「我々の記録では津波が一度きりということはない。今回の地震は4時間以上も、ここで記録され続けたから、津波が連続して押し寄せていたに違いない。木曜日に記録された地震の型は、日本人に最も恐れられているものである。彼らは、それを津波と呼び、高波の原因となる日本特有のものである。」と述べています。以上、12月9日のNYタイムに書かれていた内容の一部です。

何かおかしくないですか?たった1日しか経っていないのに、こんなに書けるものですかね。NYタイムズ以外の報道機関もたくさん書いているんです。まるで、記者が現地で準備していたかのように詳細な内容を書いています。そして、地震の専門家らの解説もとても詳細ですよね。これは、恐らく記者というよりも軍部の人がずっと情報収集をしていたんだと考えられます。
「人工でやった」なんて口が裂けても言えないので、その辺は隠してうまく報道したのだと思います。

愛知県半田市立博物館

ここでです。愛知県の半田市には半田市立博物館があります。ここに書かれていることですが、愛知県は死者数が438名と最も多かったことがわかります。軍需工場が被災したことが被害を大きくし、中でも、中島飛行機(半田市)の工場では建物が倒壊し153人が亡くなりました。死者には女学校や中学校から動員された10代の学徒が96人も含まれていました。

津波で亡くなった生徒たち。

ゼロ戦のエンジン生産に大打撃

中島飛行機と言えばゼロ戦です。この名戦闘機を開発したのは三菱重工業ですが、ゼロ戦のエンジンには中島飛行機の栄発動機を採用していました。
当時の中島飛行機は、世界有数の航空機メーカーで東洋最大でした。

米国が攻撃目標としていた、三菱重工・安立電機・中島飛行機などの工場乱立地帯がピンポイント的に壊滅的な打撃を受けました。
「大地震が起こったのが軍需工業地帯だったことは、いかにも出来すぎでおかしい」と当時から、度々、噂されていました。

津波で亡くなった生徒たち。

2011年8月10日深夜の「NHKスペシャル」

NHK名古屋放送局が制作「封印された大震災~愛知・半田」という終戦記念日特集NHKスペシャル番組が全国ネットで放映されました。

軍需工場に勤労動員された方の証言です。(戦争証言アーカイブスより)
土屋嘉男さんの証言「当時ね、どういう地震なのか、震源地はどこなのか、何もわからない。ずっと分からなかった。そして分からないときに数日経ったらB29が来てキラキラと。見たらビラ。当時、ビラは拾っちゃいけないってなってた。でも、僕は好奇心があるから、走って行って、山のふもとまで行って拾って見たら、これがまたショックだった。毛筆で、筆で「地震の次は何をお見舞いしましょうか」って書いてあった。」

インタビュアーが「じゃ、米国は知っていた?」と聞くと、
土屋さんは「知ってる。しかも毛筆ですよ。これがショックだったの。あれ、毛筆。米国人、日本人がこれを書いたなら達筆とは言えないけども、筆で書いて。それが印刷されているんですよ。」

ドラゴンキャンペーン作戦

Q.日本では秘密にされていたわけですよね。でも、米国は知っていたんですね。とインタビューアー。

土屋さん「知っていた。そうしたらその次にビラが来て、これも拾っちゃいけないんだけど、僕は拾った。そうしたら「必死増産、我らが食べる」って書いてあった。一生懸命働けって。食い物は俺たちが食ってやるって。この2つはよく覚えてる。」・・・・以上。

土屋さん以外にも、多くの人々がこのビラを読んでいました。実際に起きていたお話なんです。

一方、アメリカ側では、この地震の状況を心理戦として「ドラゴンキャンペーン作戦」と名付け、宣伝ビラの投下作戦を米軍が実行したのでした。

ダメ押しの空襲で名古屋は地獄と化した

津波で亡くなった生徒たち。

津波被害の資料となる、地震の3日後に撮影された米軍機による航空偵察写真が残されており、連合国側は状況を全て把握し、特に軍需工場などの戦略拠点の被害状況を注視していたことがわかっています。

地震6日後、12月13日夜には津波の被害にもさらされ惨事となっている名古屋地域の航空機工場を中心とする一帯に米軍は大規模な空襲を行っていました。

人工による三河地震が発生

そして、その1ヶ月後、1945年1月13日午前3時38分内陸直下型の三河地震が発生しました。こうして、原爆投下の前には、米国による人工地震の実験が日本で行われていたのです。(実験を兼ねた本番でしたが大成功でした)

1930年代から人工地震という言葉が新聞の記事の中にでも見つけることが出来ます。1936年の読売新聞ですが、これは資源を探るために起こす地震について書かれています。

1936年読売新聞

1945年1月9日の読売新聞の記事

さらに1945年1月9日の読売新聞に「アメリカが人工地震を研究中」という記事がありました。その4日後には三河地震ですからね。
下の写真は1942年~1943年頃に日本に投下されたビラのようです。米国はやる気満々だったことがわかります。

左は1942~1943年頃投下されたビラ

アメリカは「プロジェクトシール」という日本に地震を起こす計画を立てていました。そういった流れの中で、東南海地震と三河地震は引き起こされたわけです。

2005年4月に米国で公開された機密計画書

軍事基本計画 日本への心理戦

この報告書には第二次大戦末期の1944年にカリフォルニア大学のバイヤリー教授を中心とする地震学者たちが総動員され、「日本近海のどこの海底プレートに強力な爆弾を仕掛ければ、人工的に津波を起こせるかシュミレーションを繰り返した。」と書かれています。

※ここで言う強力な爆弾とは、当時、開発間もない原爆のことです。

また、この文書には「日本本土攻撃作戦の副題が付けられ「悪魔の攻撃」と呼ばれる章では、「日本人の目を覚まさせるには地獄に飲み込まれたと思わせる必要がある。そのためには、地震を恐れる日本人の特性を徹底的に突くべし。地震攻撃に勝るものはない。」と定義し、この一連の報告書には第二次大戦の終戦方法について「人工地震兵器で津波を起こして日本を降参させて終戦するか、原爆を落として終戦するか」と会議された記録もあります。

さらに「日本の周辺にある海底プレートをピンポイントで爆破すれば、巨大な津波を発生させることが可能となる。」とも書いてありました。

そして、この機密計画書の最後には、「地震・津波攻撃の目的は日本人をパニックに陥れることで、神国日本や軍部独裁に対する不信感を醸成することにある。」と記されています。

大雑把ですが、私の知っている事はだいたいこんな感じです。これだけでは人工地震とは言えないと考える人もいるかと思います。そのような人がいたとしても、これだけの要素が揃っていた事実を脳みその片隅に置いておいてくれたなら嬉しいです。それはそうと、どうやって人工地震を起こしたかについては私も断定できるようなお話を聞いていません。核を使用したのか、それともニコラ・テスラの発明したものを使用したのか、どっちなのでしょうか?知ったかぶりして書いたつもりが、肝心なところが抜けていました。
バカですね。今更、資料を探す時間もないので、次に移りたいと思います。
とにかく、

ニコラ・テスラの発明

こういった技術を発明したのが「ニコラ・テスラ」という科学者でした。
Xの「イーロン・マスク」の「テスラ」という会社は、このニコラ・テスラさんの名前からとったそうです。

ニコラ・テスラ博士は、巨大なテスラ・コイル(1900年頃に発明)を使って、地球上のどこでもエネルギーを取ることが出来る「世界システム」という壮大な構想を持っていました。

ニコラ・テスラは地球の磁場から発生するフリーエネルギーを発明、誘導電動機、交流配電、蛍光灯、無線通信、機械装置の遠隔操作など革新的な発明をしました。こういった中で地震兵器の理論も構築していたようです。
つまり、100年以上も前に人工地震があり得るお話になっていたということです。

ニコラ・テスラ

天才テスラさんが確立したフリーエネルギーというのは、使っても減ることのない無限で、しかも無料にできるエネルギーなんですね。
テスラさんは地球上の人々が、このシステムによって豊かな生活を送ることを望んでいたようです。でも、そんなシステムが出来てしまえば、石油などで大儲けしようと企んでいる連中にとっては死活問題になります。そういったこともあり、テスラさんは潰されてしまいました。あれだけ人類に貢献するような発明をしながら、隅っこのほうに追いやられ、死んだ後にはフリーエネルギーの技術とかもFBIに押収され、大資本家らに奪われてしまったのです。石油が売れなくなると困るので、その素晴らしい技術は封印されたままになっています。


このピラミッドのお話は結構長くなりますので今夜は止めておきます。
最後までお付き合いくださり、ほんとに有り難うございました。

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赤坂亜紀乃
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