犬も歩けば棒に当たる。
このご時世ペットブームなのかたいがいの家庭に一匹は犬か猫がいる。
その反面外では野良猫はともかく野良犬を見る機会が減った。
愛護団体だか殺処分だかが動いているからだろう。
これが良いことなのか悪いことなのかは分からないが犬が飼い主と散歩しているのを見るのは良いものだ。
糞処理をしないのは論外だが(JKはその瞬間を撮影してほしい。)
そんな時にふと思うのだ、
「犬も歩けば棒に当たる。」
ということわざを。
そもそも犬が鉄柱やら木にぶつかってる瞬間を見たことがない。
なんでこんな例えになったのかが分からない。
少しこのことわざを調べてみよう。
犬も歩けば棒に当たる
【読み】 いぬもあるけばぼうにあたる
【意味】 でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことのたとえ。
「犬も歩けば棒に当たるの解説」
「棒に当たる」とは、人に棒で殴られるという意味。
本来は、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないというところから、でしゃばると災難にあうという意味であった。
現在では、「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという、反対の意味で使われている。
(引用:http://kotowaza-allguide.com/i/inumoarukebabou.html)
何か棒に当たるという事ではなくて棒で殴られるという意味なのね。
これは知らなかったという人のが多いと思う。
実際知らなかったし。
こんな事したら徳川綱吉もぶち切れですわ。
ちなみにこのことわざが生まれたのは江戸時代の頃らしい。
この時代の野犬はやれ人にかみつく食べ物を奪うでまさに天敵だったわけ。
それをした綱吉がかわいそうに思い生類憐みの令を発布したのかも。
農民からすれば迷惑な話さ。
マジ憐み。
そんなことより棒にぶつかるもんだと思ってたわたくし。
せっかく考えた「ヤクザに肩ぶつかって金とられる。」という現代版の例えが使えなくなったわけですよ。
だって犬を棒でたたくなんて発想普通ないじゃん?
いくら愛犬精神が全くないわたくしでも流石に野良犬を殴るなんて発想はないです。
しかしわたくし考えた。
ヤクザだってぶつかって来るやんって。
だからこの場合の解釈をちょっと変えよう。
「ヤクザに肩ぶつけられ金とられる。」
やべぇ天才。
でもこの例え不幸過ぎない?なんの過失もないじゃん。
マジ天災。
この言葉の意味は「でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。」
バーベキューではしゃいでいたら隣のグループのちょい悪にぶつかってマジギレされるみたいな感じかな?
でもことわざの表面から見たら、
「外歩いてたら急に殴られた」
みたいな感じにしか受け取れないよね。
今時田舎でもない限り野犬に襲われないし、都会の人から見たらただの虐待に見えるわけで。
やっぱり「ヤクザに肩ぶつけられて金とられる。」は秀逸だと思う。
しかしこのことわざもう一つ意味があるらしく、それが
「じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことのたとえ。」
ヤクザに当たっていいことなんてまずないからさっき例えは使えない。
てか犬が殴られることがなぜ幸運になるのか。
全く分からない。
そもそもこの解釈は犬を棒で殴らないようになってから使われるようになったらしい。
勝手やな・・・
そもそもこの解釈ではまず良いことは起こらないよね。
だって”もしかしたら”の話なんだもん。
こんな例えはどうでしょう?
「コンビニ入ったら強盗が居た。」
まぁまずまずの不幸だよね。その後にあるのは脅迫と緊縛だけさ。
でも行動次第では世間からヒーローと呼ばれるかもしれない。
まぁ、わたくしがこのことわざから導き出した本来の意味は、
「悪いことなんてそうそう起こらないからまずはやってみな。」
てこと。
今時急にぶん殴られることなんてないし、やってもやらなくても急に世間の評価は変わらないよ。
じゃあ自分の経験値上げたほうがいいよね。
今頭に浮かんでいることやってみようぜ。
当たって砕けろ!相手がヤクザでも!
ちなみに同じ使われ方をする「猿も木から落ちる」は実は全く違う意味。
まあそれについてはまた次回。
ここまで読んでくれてありがとう。
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