これは恋ではなくって
ただの遊びよベイビー、という歌詞を思い出す。
noteで創作大賞が開催されていると知って、色々と紆余曲折しながら書いたりごねたり思考をあれこれとこねくり回してみたが、どうやら期日までにまとまりそうもない。
何故だ。仕事なら期日も初校も守れるというのに。
まだまだ趣味の範疇という意識が強いのだろうか。
とはいえ、理屈をこねてもどうしようもならない。
時間は物理と同じで、過ぎてしまえばどうしようもないのだから。
夢は恋と似ている。
ずっと追いかけてもいいし、たくさん追ってもいい。
思えば10歳の頃、いきなり観ていたアニメを深く知りたくなり、近場の生協でアニメージュを買ってもらったのが全ての始まりだった。
魔神英雄伝ワタル2だったと思う。
主人公の少年とヒロインを大人化したパロディ表紙のアニメージュを買ったのを覚えている。
近所の書店で何冊もアニメ雑誌やガンガン系の漫画を立ち読みした。昔は本格的に本を買うとなったら、田舎では個人書店に通うものだった。神社近くの小さな書店。中学校の坂下を少し入った場所の馴染みの書店。自転車を漕いで行く少し大きな書店はグリーンブックスといった。どれも今はもうない。
グリブ(上記書店の略)には一番お世話になった。
当時はラノベ黎明期だった。スニーカー、富士見ファンタジア、スーパーダッシュ、コバルト文庫。自分はワタルのノベライズが出ていたスニーカー文庫から足を踏み入れ、色々なシリーズを飛び飛びに読んだ。
ロードス島戦記、フォーチュン・クエスト、妖魔夜行、虎王伝。スレイヤーズが流行って周囲は富士見派が多かったように思う。ウチでも姉が読んでいた。
よくあるラノベ好きな子どもだった。
学校では大判の書籍を読んだ。ドラゴンクエストシリーズは高屋敷先生から久美先生になり、その流れで久美先生のMOTHERノベライズも読んだ。ライトノベルレーベルからの出版ではなかったと思う。あれから、普通の文芸文庫を買うハードルも下がった気がする。とにかく活字が好きで、ゲームも好きだったので「自分でも書こう」と思うのはごく自然な流れでもあった。
高校以降は、専門通いながら二次創作にひたすら没頭した。
オリジナルはほぼ書かなかった。
知り合いと書いた同人誌でオリジナルの短編書いた程度。そのグループで手製の本を作り、地元のコミケにも行った。売れなかった。
そりゃそうだ。地方で全員無名でしかもオリジナル合同紙は厳しかった。
本数冊作る時も、複数人で作るから色々とまごついた。
当時、真剣に同人誌制作の姿勢について叱ってくれた友人とは今でも交流がある。ありがたいことだ。
振り返ると随分ダチも少なくなった。コミュ障なので仕方ない。
思えば個人では同人誌一冊出したことがない。
金がなかったし、ノベルの同人誌は売れない。触れるジャンルがメジャーでもハマるキャラや内容がマイナー系と、理解者100人に1人案件が多すぎた。癖が強い。
最初はFC2の個人ブログ、次はpixivでひたすら好きを壁打ちノックする日々。
別の誰かが読んで足跡なりイイね!なりを残していくと、深海の底で暮らすクジラの如き生活が潤った。
リアルで繋がる友人とも何度か作品を通して交流し、時には共用のブログで作品を投稿しあったりもした。
社会人になってからも、書く事が他者とのコミュニケーションとなりコミュニティとして機能した。
なので、当然というべきかトラブルも人間関係のいざこざもあった。
ふとした瞬間に糸が切れると、書き続けられなくなる。
「なんでこんな事してるんだ?」となったらもう思考停止だ。
意味がない事をしていると自問すると、必ず意味がなければ書いてはならんのか?と疑問が全力で反撃の空手チョップを繰り出してくる。喉をえぐられる思いである。なら、意味がある執筆なら良いのか?という答えの延長線に「一次創作」があった。
二次創作を何故するか?という問いがあるなら、
「そこに同じ考えの誰かがいるとわかるから」というのがある。
自分がまさにそれで、作品を通して見知らぬ誰かに創作を通じて話がしたかったのだと思う。今でもこのコミュニケーションは変わらない。作品は同じ癖を持つ誰かを喜ばせる為に置いておく。そこに残されるハートマークで、自分は喜びたい。
一方通行同士でも、関わり合えるコミュニケーション。
自分のようにトークがうまくない人間には、昨今のSNSや各種コミュニティアプリは自分の言葉を載せておける良い展示場であり交流スペースとなっている。
とはいえ。
もうこれも長く続けられそうにない。
大人になり、生活を優先せざるを得ない日が遠からず来そうな気がする。
執筆を生計の一部に出来ればと思うようになったのは、二次創作すら不自由な時間の縛りに感じている証拠なのだろう。
ならすっぱりやめられるのか、と訊かれたら答えはやはりNoではある。二次創作にかけた時間を一次創作に費やせていればあるいはモノに〜と、誰かに御託を並べられても「それは君がそうしなさい、私はこれが必要だった」としか答えられないのである。
あらゆる執筆の時間は幸福であり、悩ましく、また単純に面白い。
寸暇を惜しんで何かに没頭する経験の楽しさは、体験したものにしかわからない。
それが知れたのだから、その全てと今までも「ヨシ!」としてやりたいのだ。
今でもこうして文章を書いている。
これはもう恋と呼んで差し支えないと思うほどに。ただし、何に恋してどう成就させれば正解なのかは、どれだけ試行錯誤しても答えは出ない。
これは恋ではなくってただの遊びと言えたらよかった。
ただの遊びでも、一生「書きたい」「書かねば」を抱えて生きるのだろうな、と思っている。そして、止めはしても辞めはしないのだろうなとも。
その遊び時間が、一体いつまであるのかなと漠然と思いながら。