『バビロン』映画感想文・ネタバレあり
先日、現在公開中の映画『バビロン』を観ました。
監督はデイミアン・チャゼル、配給はパラマウント・ピクチャーズ、年齢制限R15+です。
主演はブラッド・ピッド、マーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ(公式クレジット順)。
観終わったあと、うまく感想が言えなかった。
結論を言えば「好き!」という気持ちです。何度も反芻してしまいます。
自分の理解が追いついてないところもあります。
それでも「見てよかったな……!」と言う気持ちです。
前置きが長くなってしまう……。
一言で言えなかったので自分の気持ちを整理するために感想をまとめたいと思います。
全部一個人の感想です。個人の偏見と思い込みにまみれた戯言です。
ネタバレ・エモバレあります。
気になった方はいつか映画の方を観てみてください〜。もしよければ……!!
たくさんの人のいろんな感想を読みたい。。
公式の本予告動画です(YouTubeに飛びます)
個人的にはこの予告動画も好きです
◆あらすじざっくり
1920年代〜のロサンゼルス・ハリウッドが舞台です。
サイレント/モノクロ映画からトーキー/カラー映画に移り変わっていく時代に運命を動かされる人達の物語。
映画を作りたい男マニー、スターになりたい女ネリー、サイレント映画界の大スター・ジャック。誰もがそれぞれの夢を見て、酔い、溺れていくようにして物語が進行します。
◆観た感想
(1)キャラクターが魅力的で好き(マニーとネリーが特に好き)
ジャック(ブラッド・ピット)
サイレント映画界の大スター。離婚と再婚を繰り返している。ダンディなおじ様。ずっとすごい作品を作り続けたい。友達想い。
ネリー(マーゴット・ロビー)
映画界の大スターになって地元のやつらを見返したい。大胆で恐れ知らず。破天荒だけど人を惹きつける魅力と胆力、演技力がある。
マニー(ディエゴ・カルバ)
映画を作りたい。ジャックに気に入られ、助手になる。映画を作るためになら割と何でもやる。メキシコから移民してきた。
他にも魅力的な人はたくさん出てきます。
例えばシンガーのフェイ(リー・ジュン・リー)もすてきでした。
オリエンタルな雰囲気で男女問わず魅了する歌手でありジャックの仕事仲間。強くしなやかで思いやりがあるところが好きです。
サイレント映画の字幕を書く仕事をしつつ新人女優ネリーを見守る目が良い……。
なかでも特に、個人的にはマニーとネリーの関係性が好きでした。
物語の序盤、ジャック主催の屋敷ごと使った大掛かりなパーティーの片隅で二人は出会い、夢を語り合います。
「映画を作りたい。大きな流れの一部になりたい」と語るマニーと、ネリーのきらきらした表情がなんとも言えずきれい。
二人の友情と縁はここから始まり、ネリーは女優としてロサンゼルスで大ヒットし、マニーもまた映画作りのキャリアを重ねていきます。
サイレント映画からトーキー映画に時代が変遷するなか、そして映画を商業として売るなかで、二人の友愛の関係も移り変わる。その様がかなしく刹那的で私は好きです……。
マニーってそう言う人だよね、とか、そもそもネリーってマニーのこと好きなの? とか。
色々思ったことはあるのですが、そこまで含めてとても好き。互いを否定しない友愛を感じました。
ディエゴ・カルバとマーゴット・ロビーの演技もすごかった……二人とも存じ上げなかったんだけど、すてきな俳優さんだ……。
(2)音楽と映像ショットの音合わせが気持ちいい
作中のパーティや映画撮影で何度も登場したジャズ隊のシーン、大好きです。
特にトランペット奏者のシドニー(ジョヴァン・アデポ)の演奏がかっこよかったです。
序盤の豪華絢爛かつ猥雑な狂乱パーティーのシーンで一気に引き込まれました。
浮かれ狂う集団の有象無象の中で、金管を真っ直ぐ高く掲げ演奏する演者達の姿、印象的です。
あと各シーンのショット、動きに合わせて鳴る音の演出が軽快で見ているだけで体が動き出しそうになりました。ぐいぐいと先に先に引き込まれます。
BGMが流れたり途切れるタイミングも絶妙だな〜、と思いました。
(3)「映画は高尚な道具ではない」
映画が始まって数分後、スクリーン越しに大量の汚物を頭から被ったような気がします……
ジャック主催の一晩のパーティーシーンも、派手で煌びやかで迫力がある反面、汚い・性的・アウトな描写が多い……
(これから3時間ここから逃げられないのか……。
と思いつつも、でも映画館で観るときのその場限りの逃げられなさってなんか好きです)
観客を選びそうなシーンがところどころにあって、もはや露悪的の領域。
人間誰もが所持する汚さを大袈裟に見せているように感じました(私の思い込みかもしれません)。
どんな意図があるのか気になり、頭から離れませんでした。以下帰宅後に悶々と考えたことです。
①ジャックの映画愛
作中中盤でジャックは舞台俳優の妻と口論をする。
台本読みをするジャックは、横から指導しようとする妻に向かって「お前に何がわかる」みたいなことを言います。うろ覚えですみません。
映画は大衆のもので、お金がない若者でも映画館に行けばその一時だけ現実を忘れて夢を見ることができる。映画はどんな人にも開かれたものである。と語られます。
②品の良し悪しとは
また、物語の中盤でネリーは上流階級の人々が集まる社交界に参加することになります。
表面的には品良く知的、高尚な会話を楽しんでるように見える人達だけど、そこにはネリーへの値踏み・拒絶心があります。
そのシーンから浮き出すあさましさ・品のなさの描写がすごい……。ネリーのことをジャッジできる立場なのか? と思ってしまいました。
自分も、序盤の治安最悪パーティーを酷いと思うのは簡単だけど、じゃあ言うほど自分という人間は上品なのか? と思いました。
そう思うと序盤の悪趣味でカオス的な世界観は「映画は高尚な文学の道具ではないんだ」という意志の裏返しのように感じられました。
閉ざされた藝術ではなく、映画はもっと人間に肉迫した生々しいものだと見せつけられたような気がします。
露悪的な演出は、自分だけはきれいだと思っている人を風刺しているようにすら感じました。
ちなみに、ここまでぜんぶ自分の個人的な思想なんだと思います。
目を背けたくなるようなシーンの数々に、自分の解釈をしてしまいました。
監督さんが語ってる公式の資料を探してみたい。
そもそも映画を作ってない私が語るなよ問題です……!!!
※話がそれるけど、ミシェル・ウェルベックの『ある島の可能性』を読んだときや、園子温監督の『地獄でなぜ悪い』を観た時のことなどを思い出しました。
ナンセンスを強調して描けば描くほど、逆説的に自分が大切にしたいものが浮かび上がってくるような気がします。
(4)映画への憎しみと愛を感じた
作中の人物目線で見たとき、サイレント映画が流行らなくなりトーキー映画が主流になっていく流れの中で映画製作者は様々な事情に頭を悩ませます。
結果的にみんなばらばらになり、孤独になる。
それでも映画産業は発展し、環境は豊かになっていく。
新しい人が次の時代を作り、過去の人は自分が“終わった”ことを受け入れざるをえなくなる。
作り手は苦しむ一方、観客は作品を享受するだけ。
そんな構図を見てしまった気がしました。
産業の発展に付き纏う功罪の一端を見せられてしまった気まずさのような……。
ここまで発展してきた映画のこと、もしかして罪深く思ってる……? 憎んでる……? と、一瞬思ってしまいました。でもたぶんそうじゃなくて。
物語の最後、それでも映画館に足を運んだ人は映画の中に失った過去の自分を見つけます。
もう会えない人であっても、映画を観れば次元を超えてその時代のその人に会うことができる。
作る痛みを負っても、映画の持つ引力の強さ・不条理な大きな力に惹きつけられて離れたくても離れられない。そんな映画への複雑な愛のように感じました。
◆まとめ
ここまで読んでいただきありがとうございます。
『バビロン』、とても強烈で好き勝手な感想をたくさん書いてしまいました。偉そうにすみませんでした。
大きな時代の流れに比べると、一人の人間の一生や成せることは小さくて儚いな、とも感じました(だからといって何もしないのは自分がさみしいです)。
今後、映画業界でまた大きな革新が起きて、そしたら今とはまるきり違うものになってしまうかもしれない。というかもう変わりつつあるのかな……
そんな、いつか来る別れを覚悟してしまうような映画でした。それでも個人的にはとても好きです。マニーとネリーの二次創作したい……(?)
今度『雨に唄えば』も観てみよう……! と思いました。楽しかったなあ。ありがとうございました。
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