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全部を知ろうとしなくていい、全部を好きになろうとしなくていい

SNSで見たホビたんソロアルバムリリースパーティーの日のテヒョンさんがかわいくて仕方がない。ホビたんのストーリーに映っていたスマホで動画撮影しているテヒョンさんの後ろ姿がもう既に愛しかったけれど、写真で顔を見たらやっぱりかわいい~!なんかこの日のテヒョンさん、丸っこくてくまさん感すごくない??笑顔のテヒョンさんを見たら「チョコチンパン(チョコ蒸しパン)」という呼び名が本当にぴったりだなと、そしてこの呼び名かわいすぎて天才だなと、改めて思いました。


さて、Chapter2の発表から一ヶ月が過ぎましたが、今後の自分への忠告?として書いておきたいことが今回のタイトルです。
バンタンやテヒョンさんのことを好きになればなるほど、新しく知ることも増えてきて、好きになる前より少なからず彼らについて詳しくなりました。でも私は、決してテヒョンさんマニアになりたくて知ろうとしているわけじゃない。みんなに知識を披露したくて詳しくなりたいわけでもない(推しの良さを広めたい気持ちはあるけれど)。その人についてたくさんのことを知っていることと、好きであることの熱量は必ず一致するわけではないと思っています。
バンタンを好きになる前のおたく時代から、「推しについてめちゃくちゃ詳しくて毎回たくさん現場入ってるけどなんかいつも怒ってる人」と「最近好きになったばかりで推しのこと全然分かってないけれどとにかくすごく幸せそうに推しを見つめている人」を比べたら、私がなりたいのは後者だなと思っています。前者の人もそれが自分なりの幸せな推し活なのかもしれないけれど、なんかこう、怒っているのは周りのせいと見せかけて実は自分で自分の首を絞めているからのようにも感じて、苦しいんじゃないかなって思うのです。
日々、流れてくる情報も増えつつあるけれど、全部を追う必要はないよなって思ってます。全部追っていたら追うのが目的になっちゃって一つ一つを上手く消化出来なくなる。
私は自分が良いと思ったものは繰り返し見たくなる人間で、前のnoteにも書いたけれどエムカのYet To Comeのテヒョンさんのチッケムが好きすぎて、公開された日から一ヶ月間、毎日必ず一回はYouTubeを開いて見ていました。残業で帰宅が夜遅くなっても、出張先のホテルでも見てた笑。そういう性格なので、全部を追うことは出来ないって分かってるんですよ。だけどたまに自分の軸がブレている時に、謎の欲が沸いたりもして、あれ?結局何をしたいか分かんなくなっちゃったな…と途中でなりがちなので、どうかこの先も情報に溺れないで、と自分に言い聞かせたいです。
あと同じようなことだけど、全部を好きになる必要はないことも大事。推しの全てが好きだという人は素晴らしいけれど、自分の中で好きのグラデーションがあるからこそ推し活はより面白くなるのだと思っています。あ、これは好きじゃないな、そんな琴線に触れないな…と思ったら一旦離れてもいいと思う。…その人について詳しかったり長年応援していればいるほど、離れるのは難しかったりするのですが。
これは本当に自分に対して忠告したいことなのですが、今書いた「離れる」が「もう一切見ない」みたいな極端な発想になってしまうのは危険だなと思っています。「推しについて好きじゃない部分がある自分を受け入れられない」「こんなんじゃ推しって呼べない」となってしまうと、その人のことをそれなりに好きでも、好きじゃない部分に対して余計に目が行ってしまって結果的に未練ある形で離れるしかないみたいな……。すごくすごくもったいないって思います。もし推しの好きじゃない部分があったとしても、私は自分に嘘をつかずに正直でいたい。ある意味それが「受け入れた」ということになって、ネガティブなようで、これからの自分を楽にさせるかもしれないし(後から「やっぱり好きになった」も全然アリですからね)。そして自分が思う好きなところをずっと大事にしたいなと思います。
…まあ、ここまで書いておいて、テヒョンさんに関しては「好きな要素が多くて困る」ことのほうが圧倒的に多いんですが。さっき書いたように好きなものをひたすら繰り返し見て楽しむ低燃費おたくなので、テヒョンさんのVlogを見たとき「テヒョンさんがドライブで流してる曲を一つ一つチェックして聴いてVlog繰り返し見ていたら2022年が終わりそうだな」って本気で思った。


Vlogのテヒョンさん「やっぱり新しい歯ができた後はとうもろこしでしょ!」
私「そうなの?????笑」