希望という名の道をゆく
ドラえもんで一番好きな登場人物は、のび太のおばあちゃんだ。
わたしの記憶の限り、彼女は数ある中の、ある1話にしか登場しない。
「未来からやってきた」と少々頭のおかしいことをいう、メガネの小学生の話をすぐに信じる人である。
「おばあちゃん、信じられないかもしれないけれど、僕は孫なんだよ」
とのび太がいうと、
「やっぱりねぇ、そうじゃないかと思っていたよ」などという。
「おばあちゃん、僕を疑わないの?」とのび太が聞くと、
「何をいっているの。おばあちゃんがのびちゃんを疑うわけないでしょう」
と、しょぼしょぼの目で笑うのだ。
「おばあちゃーーーーん!!」
のび太はその膝にオイオイと泣き崩れる。
マンガはここで終わる。
そんなうろ覚えのセリフと映像が浮かぶのは、
きっとこの夕焼けのせいだろう。
漁村生まれの母は、夕焼けをとても愛している。
和裁士の彼女がつくる西陣帯のリメイクバッグがあまりにも美しく、「ネットショップでもつくってみるか」という話になった。
名もなき主婦の手仕事に、はじめて屋号が必要になった。
「好きなものの名前をつけたらいいよ。なにかある?」と聞くと
「夕焼け」と彼女は答えた。
「じゃあ、ゆうやけ、でいいよ」
そういってお昼を食べて帰ってきたら、ネットショップの名前は<ゆうやけkaban>になっていた。
「何を売っているかがわかった方がいいと書いてあったからね」
律儀にもネットショップ開設のFAQを読み込んだという彼女は、少し誇らしげにそう言った。
そうしてささやかな手仕事の帯バッグのお店は、その日から「ゆうやけkaban」という名になった。
「加藤登紀子さんっているでしょう? 歌手の」
「うん、いるね」
「あの人が、前にTVで言っていたのよ。
ゆうやけは暮れていく太陽の、最後の美しい時間だって」
「ふーん、そうなんだ」
わたしはさっくりと相槌を打った。
でも本当はその場でワンワン泣き出したい気持ちでいっぱいだった。
このささやかなやりとりで、いつか来るであろう母の死が思いっきり現実味を帯びて立ち上がってしまったからだ。
なにそれ。
なんでそんなこというの?
まだ生きてるじゃん。
まだ生きてるのに、なんでそんなこというの?
わたしは悲しいよ。
いやだ、悲しい。
そう言ってそのまま、わーーーーーん! と母の膝に泣き崩れたかった。
どうしても許せない。
暮れていく太陽の、最後の美しい時間、というフレーズがどうしても許せない。
なんだよそれ。怒りとも悲しみともいえない強烈な気持ちでいっぱいになる。この手の中にある西陣帯のポーチを美しいと思えば思うほど、涙が止まらなくなってしまう。
こんな風にわたしの解釈は、勝手に涙があふれてしまうほど悲観的だ。
「ゆうやけ」を死の象徴にしているのは、母ではない。
わたし自身だ。
そのことに気づくと、今度はそんな自分を責めたくなる。それを抑える。さらに意味をつけ、悲しんで、怒ってもっと自分を痛めつけることもできるだろう。
この一人芝居はなんなのだろう。もううんざりだ。
これではどこまでもいっても「わたし」の世界しか見えてこない。
それを今は少しつまらなく思う。
「それ、どういう意味?」と一言、聞きさえすれば、また変わっただろう。
自分ではなく、母の中にある「ゆうやけ」にもっと触れられただろうに。
いまはそう思う。
祖父は漁師、祖母は看護師だった。
とても貧しい漁村の暮らしの中で、家の手伝いと姉弟の面倒に明け暮れながら、幼い母は何度も海に沈む夕日を眺めたのだろう。
2人でいると、彼女はその時浮かんだことをぽろりぽろりと話す。
たいていは昔話だ。
同級生たちがみんな高校へ進学する中で、クラスで一人都会へ就職したこと。
クラスメートたちがみんなでアルバムを一冊プレゼントしてくれたこと。
本当は家族と一緒にいたかったけれど経済的に叶わず、「行きたくない」の一言を誰にもいえなかったこと。
何度も聞くにつれて、14歳の女の子が一人で、家族に見送られながら列車に揺られて旅立つ光景が、わたしの胸に広がるようになった。
それを思うとき、ああ、この人はどれだけの苦労をして、いま目の前にいるのだろうと思う自分がいる。
そしてどれほどの思いで自営業の父の仕事を手伝い、家事をこなし、2人の子どもを育て、いまここで笑ったり泣いたり、帯でバッグやポーチをこつこつと仕立てているのだろう、と思うのだ。
いま涙を流しながら書いているこの気持ちに愛とか感謝とか、そういう名前はつけたくない。
そのどれでもない。そんなもんじゃない。
そんなもの、小さすぎてきゅうくつだ。
名前なんて、いらない。
ただ目の前に、母がいる。
家をでてから10年以上、多忙な仕事にかこつけて、家によりつかなかった自分を思い出す。それがいまは、共にこうやって過ごせる時間を人生を、わたしは選んでいる。
そう気づくと、またどうにも涙が出て止まらない。
家族だから、とか、産んでくれたから感謝、などと無理やりに思う必要はないと思っている。掛け値なく、本当にそう思う。
だから、わたしはわたしの奥から湧き上がる、この強く強烈な感覚とあふれる涙を信頼するしかないのだ。
ここにあるものを一言で表すことができたなら、どれだけ便利だろう。
言葉は不自由だ。だからこそ、言葉にする価値をこの胸にいつもきらめかせてわたしは生きている。
母が丹精こめて手仕事で仕上げた、美しい西陣帯のポーチをみていて、みたことのない大きな夕日が胸に広がるように感じるとき。
生きて会うことのなかった、厳しかったという祖母の存在。
亡くなる前日に「やりたいように生きたらいい」と言いながら、一緒に日本酒をたらふく飲んだ、祖父の顔。
そんな風景が浮かぶのは、母の手仕事からわたしが得ている、家族の巡りの一部なのだろう。
夏の太陽はゆっくりと暮れていく。
真っ赤な空、燃えたぎるように海に沈む光の玉。
今日という日が暮れていく瞬間だ。
そしてそれは、
人生の終わりとは無関係である。
いま、そう決めた。
空には白く光る、薄氷のような三日月と、
気の早い一等星がすでに輝いている。
そして夜空が彩る、美しい時間が始まるのだから。