脳みそがスイカになった男の話
いつもの道が、やけに汗ばむ。
昨日から食欲が落ちて、甘い飲み物ばかり飲んでいる。それが急激に湿度の上がったサインだと気づいたのは、最近のことだ。日本の梅雨は、俺の体力を目減りさせる。
降りそうで降らない薄暗い雲をみていると、胸でぴちょん、と水滴の音がした。
どうにも嫌な気持ちになるのは、湿度のせいだけでもない。
あの日、俺は相当浮かれまくっていたと思う。
放課後に友達とバカ騒ぎをして、いざ帰ろうとした時のことだ。靴箱をあけると小さな手紙が入っていた。開くと「好きです。つきあってください。T子」とだけ書かれていた。
なんだよ、あいつ。
T子はクラスの中でもよく話す、数少ない女子の一人だった。
なんだよ、かわいいところあるじゃん。
ぶっちゃけ、俺の顔はかなりニヤついていたと思う。
そうか、そうだったのか。別にそれほど好きでもなかったけど、そういうことならまあ、考えてもいい。
次の日、休み時間の隙をついて、一番前だったあいつの席に近づいた。机にひらりと手紙を投げて、ぶっきらぼうに俺は言った。
「付き合ってもいいぞ」
ハッと顔をあげたT子の顔が今も忘れられない。
目を見開き、まるで未知の生きものを見るようなあの感じ。するとT子は机に突っ伏して、大きな声で泣き始めた。
え、なに?なに?なに?なんで?
あっという間に人だかりができ、教室は一瞬でカオスに包まれた。女子の制服の壁に阻まれ、T子の姿はもはや見えない。
俺はというと、頭の中はウルトラパニック状態。それでも平然な顔を保ち、なんとか教室の隅っこに退避して眺めていた。
先生も加わり、ようやく事情があきらかになった。
手紙を書いたのはT子ではなかった。
T子を嫌う女子のグループが、T子になりすまして俺に手紙を書いたという。T子は俺の言葉でそれを一瞬で悟り、ショックで泣き出した。起こったことは以上だ。
それからのことは何も覚えていない。
きっと学級会的なものもあっただろう。先生もコメントしただろう。誰が書いたのか、判明したのかしていないのか。それさえも記憶にはない。どうやってそれからの日々を過ごしたのかさえも。
卒業するまで、T子と話すことは二度となかった。きっとクラスの日常はそのまま、平穏無事に過ぎていったに違いない。これほどまでに、何ひとつ覚えていないのだから。
なんで俺だったんだろう。
まあ、T子とよく話していたからだろう。
にしても。にしてもだ。
俺のこの、まんじりともしない気持ちはなんだ。
どこにぶつけたらいいのか。
いや、ぶつけずとも、どう着地させたらいいのか。
いまなら、めちゃくちゃ考えてしまう。
いや、いまだからか。
中学生だった俺は、あの時何を感じていたんだろう。きっと15歳なりにたくさん思ったのではないかと推測する。
その感情がどこに格納されているのか、いまはもう自分でもわからない。
でもまあ、いい。
平凡だと思ってきた自分の人生、こう考えると意外にそうでもない。
こんな経験したやつ、他にいるか?
いるなら会って飲みたい。
いや、俺飲めないから、ウーロン茶で語り合いたい。
そんで一緒に笑い飛ばす。それでいい。それがいい。
そんな時間があってもいいんじゃないのかね、俺って。
駅が見えてきた。
いつの間にか、背中にTシャツがぺったり張り付いている。
今年の梅雨はまだ始まったばかりだ。
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