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自分に価値がないと感じるときにしていること。

経験上、そういうときは

「自分に価値がある」

という幻想をみているときだ。


そして、それは自分だけではない。


人のいのちには価値がある。

生きていることに価値がある。

どんなことにも価値がある。

みんなそれぞれ価値がある。


なんだろう、これは。

誰が言ったんだろう。


わたしはなんでこれを信じているのだろう。


いまとなってはよくわからない。

刷り込まれているだけといえばそうだろう。


とはいえ、自分には価値がないと本当にずっと長く信じてきたし、苦しんできたし、それなのに恥ずかしくてばかみたいで誰にもいえなかった。


よくよくみていくと、ただ根拠もなくそう思ってきたのだった。


ある意味、思考停止の、おばかさんである。

ある意味、天才である。

根拠なく、自分を痛めるほど信じ抜けるほどに。


こうして書いていても、我ながらどうしようもなく恥ずかしさが募るばかりだ。


あるとき、友人に話したら

「どっちかに決めたら?」

彼女はそういった。


「価値があるなら、ある。ないなら、ない。

 どっちかにしたらいいよ」


なるほど。

わたしはすぐにその助言を採用した。

ならばこうしよう。


「わたしには価値がない」


人のいのちには価値なんてない。

生きていることに価値なんてない。

どんなことにも価値なんてない。

みんなそれぞれ価値なんてない。


そう思うと、さぁーっと胸に風が吹き抜けるように感じた。

いいな、これ。

笑い出したくなるほどにやる気がでた。


だって価値なんて、どこにもないんだぜ。

自分でつくりさえしなければ。

そう思うと、わたしは喜びのあまり、踊り出したい衝動が湧きあがった。


どれだけお金儲けても

けっこんして幸せ家族を築いても

愛していても愛されていても

生きていても死んでいても

幸せでも不幸でも

そこに価値は、なーんにもない。


なんて自由なんだろう。


すべてに価値がないと思うと、

わたしはもっと遊びたくなる。

自由に生きたくなる。


そう。

わたしは

「すべてに価値があるのだから、

 自分にも価値がなければならない」という幻想のもと、

 誰かに「価値があるね」「役にたってるよ」「すごいよ」

 といわれることをやらなければと勝手に思いこみ、

 勝手にやりつづけて、勝手に疲れて、

 勝手に時々死にたくなっている自作自演の大根役者だ。

 つねに自分よりも人の評価や判断に、

 重きを置いている人間なのだ。


 価値がない自分って最高だ。

 

 わたしはこの考えをとても気に入っている。


 それでも1日に何回かは訪れる、

「こんなことにして何になるの?」

「1円にもならないことして何になるの?」

「こんなことをしててもいつかお金なくなって、

 一人で孤独死するんじゃないの?」

「わたしのやっていることに価値なんてない」

という思考が湧き上がるたびに


ああ、わたし、また価値があるって思ってるんだなあ


と思い出すようになった。


すると幻想がとけて

新しい幻想が始まる。


同じ幻想をみるのなら、

自分がホッとくつろげるほうがいい。


それがわたしにとっては

「すべてに価値は、ない」

なのだ。


2つあるから葛藤する。

ひとつにしたら、まあるくおさまる(こともある)。


そして、

「すべてに価値がある」

のほうが楽に感じる方は、
ぜひともそちらを採用していただきたい。

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