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『わからない』をわかる。
「わからない」が原因で嫌な思い出になったことが僕には沢山ある。
小学生の頃、音読で読めない漢字が出てきて黙り込んでしまい、教室の雰囲気が気まずくなったこと。中学生の頃、多分両想いだと思って告白したけど全然そうではなかったこと。高校生の頃、なぜツーブロックが校則で禁止なのか教師と言い合いになり職員室で泣いたこと。
いずれも僕は「わからない」という場所から脱して「わかる」という場所への移動を目指していた。それが一連の「わかる」という行為なのだと考えていたからだ。
だけど自分がなぜ「わかる」という場所に行きたいのかわからなかった。つーか、なんでわからないといけないのだろうか。
だって、わかんねぇのはわかんねぇじゃん。でもわかりたいと思ってんじゃん。
今日、僕がやってるバンドのLINEに完成できずにいた新曲の歌詞を送った。割と、いや、かなり最高なものができた。とっても苦しい想いをしたけどその分、めちゃくちゃ良い歌詞になった。
帰ってきた返信は「いいね」という一言のみだった。僕はもっと歌詞の内容についてみんなと話したかった。どこがこうだとかこういう考えってこうだとか。褒められたいとかじゃなくて、自分ならば他人が死ぬ思いして書いた歌詞に対して「いいね」の一言で終わらせることは決してしない。
歌詞のイメージをみんなと共有したい。果たしてみんなは僕のように歌詞を自分の中に落とし込めているのか。僕はなんでメンバーがこの歌詞の良さをわからないのかなぁ、と思った。
僕はその反応に対して怒りとか残念だとかではなく衝撃を受けた。それは、自分が他人に「わかる」を要求していると思ったからだ。僕の歌詞が他人から見て、いいものか悪いものかはわからない。たしかに歌詞とかってメロディーラインに比べたら、好き嫌いがわかりづらいかもしれない。
かといって「センス」という魔法の言葉で片付けるのもナンセンスだ。
結局「センスがある」とか「センスがない」とかがいつも自分を苦しめている。
ただ、僕は自分の歌詞を他人から評価されようとした。考えるだけでつらい。そっか、この歌詞の良さがメンバーにはわからないのか。なんて心の中で何度も思った。
ドラム飲み会、ベース飲み会、バンドマンの飲み会っていろいろあったと思うんだけど、メンバーにデモを送っても感想が一言も送られてこないコンポーザー飲み会ってのが切実に必要だと思うわ。もちろん、オンラインでいいんだけど。
— Gotch / Masafumi Gotoh (@gotch_akg) June 26, 2021
世界中の作曲してないバンドマンに送るけど、俺たちコンポーザーが待っているのは、ここをこうしたいとか、あそこがいいねとか、そういう音楽的な言葉なのよ。「いいメロディだね」でもいい。「ありがとう!!」じゃないからな。
— Gotch / Masafumi Gotoh (@gotch_akg) June 26, 2021
僕の好きなアジカンのゴッチだってそうなのかと衝撃を受けた。「ありがとう」や「いいね」から先の、一緒に曲をつくりあげる人がどのように思っているかの、共有することがいかに大切か痛いぐらい理解できた。
でも、「わかんねぇのはわかんねぇじゃん」って思ったあの時の僕を思い出したら妙に納得した。というか笑けてきた。頭ん中で自分と自分との対立になったからだ。
僕はなんとなく「わからない」をわかったかもしれない。「わからない」は「霊感」だ。
夏休みの心霊番組で見かける除霊師や霊媒師以外、「霊感」ってあってもなくてもどっちでもいい。別に霊感があったところでめちゃくちゃ褒められることはないだろう。逆に霊感がないことをカミングアウトすれば大勢から非難を受ける霊感ハラスメント社会でもない。霊感は持とうとして持てないし霊感自慢するやつってほんとどうでもいいと思う。
そんなもんだ。ということだ。対して変わりはない。わかってもわからなくてもどっちでもいい。それくらい残酷で外道なのが「わからない」を「わかる」行為だと思う。だって極悪な犯罪人の動機について「わかろう」とするニュース番組はないだろう。差別や偏見をする人の気持ちを「わかろう」と僕は思えない。
じゃななんで「わかりたい」と思うのだろう。
僕は自分自身がわからない、からだと思う。
自分が向いている方向がどっち向いているかわからないからだ。僕は、自分の意見に自信があるとき、他人が想っていることがわからないと、その考え自体が悪いことだと決めつけてしまう。逆に自分の意見に自信がない時、自分と異なる意見に対しては「わかろう」とすることが多い。
じゃあ僕は、歌詞を送った際のバンドメンバーに対して、反応が「いいね」の一言だったことに対して怒りや悲しみではなく、その考えを「わかろう」としたんだ。だから、いまこうして長々と文章を書いているんだ。
じゃあ、長々と文章を書いた結果、僕は新曲の歌詞に自信がないということが分かった。は?なんだよそれ。歌詞に自信のない恥ずかしい気持ちをただ誰が見てるかわかんないnoteに露呈させただけかよ。
国語の音読も好きな女の子に告白したこともツーブロック禁止の校則も、全部僕は自信がなかったんだ。だから「わかる」という行為をしようと思ったんだ。バンドメンバーに送った新曲の歌詞にだってそうだ。
自信がない。
だから僕は「わからない」を「わからないまま」でいようと思う。そして「わかりたい」をわかりたいと思う。
そしてもう一度歌詞を考えようと思う。
明るい赤ちゃんpresents
「滅茶ラテ」
7月23日(金)スポーツの日
open/start: 18:45/19:00
Act.
明るい赤ちゃん
zo-sun park
hometown fairground
各バンドで
取り置きお待ちしております!
明るい赤ちゃん/めちゃ滅茶
みんなで作った最高に楽しい曲です。
ネオくん、川上さん。ありがとう!