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最後列

いつも絵では一番になれなかった。
私は絵を描くことが好きだったが、『絵画コンクール受賞者発表会』でも、いつも私の名前は呼ばれなかった。
ただの一度も呼ばれなかった。
それでも好きだから描いていた。
下手くそな癖に、本気でイラストレーターになりたい、と思っていた。
しかし、小学校5年生の時に斜め後ろの席に座っていた女の子の描いた絵を見て「あ、負けた」と思った。
アニメーションタッチの繊細な綺麗な絵だった。
負けたと思った。
それ以来なんだか描くことが嫌になってしまって、二度とちゃんとした絵を描くことはなかった。
今も絵を描くときはどこかおどけて描く。
「下手くそでしょ〜」と笑いながらおどけて描く。

私は体育も、算数も、国語も、理科も、家庭科も、音楽も。何もかもできない子だった。
いわゆる落ちこぼれだったと思うけれど、何故か周囲は私を「秀才」と言った。
真面目だけが取り柄だったんだと思う。だからみんな私のことを「頭がいい子」と勘違いしていた。
実際はもう、小学校低学年の頃のようなテストの100点は取れなくなっていた。
周囲の私に対するイメージが崩れないように、一生懸命頑張っていたけれど、どこかで、もう限界だなと思った。
そうして私は学校に行かなくなった。

大人になってもどうしようもなくしんどくてたまらない。

学生時代、私たちは点数をつけられて、できている順に並ばされたが、私はいつも最後列だった。
大人になった今だってそうだ。
私はいつも最後列からみんなを見ている。
みんなの後ろ姿をみて、凄いなあ、と思い眺め続けている。

今までそんな最後列の自分を認めることができなかったが、最後列は最後列で最高に眺めが良いものだ。とここ最近やっと思えるようになってきた。

後ろを振り返ると誰もいない恐怖というものもあるけれど、でも、できないからこそ、救ってもらえる時もある。救ってくれる人の優しさに触れやすい。

プライドはいつだってない。
私は何もできない、そんな子だ。
でも、そんなプライドがない自分が好きだ。

今、学校で劣等感を抱えている人がこれを見ていたら。
ぜひ知ってほしい。
最後列に並んでいながらしんどくも、こんなに幸せな大人もいるということを。

そんな甘い話じゃないことはわかっているが、頭の片隅に「こんな人もいるんだな」と、置いてくれたらなと思う。

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