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美術館で画家たちに嫉妬して泣いた私

日曜日は、事業所がお休みだったため、美術館に行きました。

美術館で思ったこと。
それは、ただただ「『劣等感』を感じた」ということです。


西洋の古い歴史的価値のある絵が飾ってあるコーナーはまだ大丈夫でした。
私は、西洋のそういった古い文化が好きなので、半ば興奮気味でそれらをみていました。

しかし、一般人の創られた現代アートコーナーで、不覚にも「劣等感」を感じたのです。

みんな、努力に努力を重ねて、その美術館に、やっとやっと自身の絵を飾ってもらっているんです。

だから絵の勉強もしてこなくて、なんの努力もしていない私が、絵を描ける人たちに嫉妬したり劣等感を抱えることは「失礼」です。

失礼なんだけれど、私は四方八方の壁にぎっしり飾られた現代アートの絵たちの中心で、嫉妬と劣等感の感情の渦に飲み込まれながら....いつの間にか、泣いていました。

周囲の人々は、私がうるうるしているので、感動で泣いたとでも思っているようでした。

違います。
私は、絵を描ける人...いや、自分を表現できる人たちに嫉妬しているのでした。
それも激しく。
それで泣いていたんです。


私は書きたくないですが、小さい頃から「自分を表現すること」を「禁止」されて大人になりました。

だから...分析したところ、多分「自分を表現している」画家の皆さんに嫉妬していたんだと思います。

自分ができないこと、自分ができなかったことを、堂々とかっこよくやっている。
その姿が眩しすぎて、泣きました。

結局、私はその美術館を去りました。

美術館に行くと、いつもこんな風になんとも言えない気持ちで帰るよなあ、そんなことを帰り道、トボトボ歩きながら、考えていました。


家に帰り、ある人にその恥ずかしい胸の内を暴露して、「なんで絵が描ける人に嫉妬するのだろうか」「どうしたらいいだろうか」と言いました。

すると、その人は

「過去に囚われるな」
という意味深な一言を言うだけでした。

でも「確かに、私は過去に...生い立ちに囚われているのかも知れない...表現を自由自在にすることを奪われたことにいつまでも囚われてはダメだ」と気づきがありました。


その後は「よし、前向きにこの嫉妬心をパワーに変えようじゃないか!」と思いました。
インターネットで調べて、ふと「通信制大学の芸大に入ってみよう」と思い立ちました。
「piasuはハイテンションになっているんじゃない?」と笑われてしまうかも知れません。
しかし、通信制の芸大に入ろうと思ったのは、ずっと昔からです。
そのずっと前から行きたいなあと思っている「通信制芸大」は、ライティングを学べるのでした。
しかも美術品を批評したりするアートライティングが学べるのです。

私は、もう絵は描けません。
でも、ライティングならこうやってできてる。
きっとアーティスティックな画家たちに憧れたり、嫉妬したりするのは、そこに「私が本当に欲しいもの」があるからだ、と思いました。
だから、ライティングという形にせよ、アートに関わることで、自分が「本当にしたいこと」ができて、「嫉妬心」も薄まるはず。

するとどうでしょう。
なんと嫉妬心はなくなり、ワクワク感が湧いてきたのです!!
むしろ、あの現代アートの絵たちをもう一度みに行きたい!と思ったくらいでした。


という感じで、私は「嫉妬」や「劣等感」の感情をなんとか乗り越えました。

今は通信制芸大に入るかは別として、これからは、アートを学ぼうと思っています。
今は幸せです。

嫉妬と劣等感を私は感じやすいのですが、これから嫉妬と劣等感を感じた時は、対象となる人をじっと観察して(ジロジロ見るわけではなく、頭で観察)、その上で、「自分はこの人の何を欲しているのか」という作業をしてみよう、と思います。

色々学びのあった日曜でした。

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