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続・誰にもわからないであろう気持ち。

小学校の時、わたしはクラスで一番重いランドセルを背負っていた。

なぜか。
置き勉をしなかったからだ。

置き勉とは、教科書やノートを学校に置いていくこと。

学校の先生が禁止していたことだった。

でも、みんななんとか先生の目を盗んで、学校に教科書やノートを置いて帰っていた。

今考えたら、大人たちもそれを黙認していた。

わたしは「大人に嫌われる」ということがとてつもなく怖くて、だから毎日毎日、10冊ほどの教科書たちをランドセルに無理やり詰めて、長い通学路を歩いていた。

そんな風に誰よりも努力家なはずの女の子だった。

だから何もかも報われるとおもっていた。


でも、実際は

「真面目すぎる」「要領の悪い」「可愛くない」「気持ち悪い」「不細工だ」

散々そんなことを言われた。


男の子からも女の子からもモテて、クラスでチヤホヤされるのは、いつだって「可愛くて」「人を惹きつける魅力がある」そんなこ。


一方、わたしは大人たちには可愛がられていた。

「なんていい子なんだろうか」

そんなことを何回も言われた。


わたしは今でもそうだけれども、大人が喜ぶことは手に取るようにわかる。

笑顔のタイミングとか、大人の煽てかたとか、大人が喜ぶセリフとか。

そういうのは手に取るようにわかる。

それで実際、大人はいつも喜んでくれる。

「なんていい子なんだろう!」
「こんなにいい子いないよ!!」


わたしはいつだって、大人に見捨てられたら終わりだとおもっていた。

生きるか死ぬかの問題だった。

だから、だから、必死だったのだ!!

いつも大人の顔色を伺って馬鹿みたいだ、と気づいたのは13の時だった。

大人の顔色を伺って、大人に好かれたとしても、なんの得もないなとその時初めて気づいた。

それより、同世代の人から注目を集めたかった。

でも。
わたしは中学に上がっても高校になっても、そして大人の今も。

大人には可愛がられるけれども、同世代の人には「すごくぞんざいに扱われる。」


たくさんの努力をしてきた。
血の滲むような努力を行ってきた。

でも誰も振り向かない。
誰も称賛の言葉を向けない。
誰もわたしを認めてくれない...!


わたしは、ひとつだけ夢をかなえるよ、と誰かに言われたのなら、きっと「誰か、誰かひとりでもいいから、たったひとりでもいいからわたしを丸ごと求めて愛してくれる人が欲しい」と頼むだろう。

でも、努力で手に入らないものはたくさんある。


わたしはきっと生まれつき....「人から愛されない」「人から必要とされない」。

そういう星に生まれてしまった人なのかもしれない。


最近はそんなことばかり考えてしまって、正直、病む。

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TANOSHIKA 𝕡𝕚𝕒𝕤𝕦
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