外の世界がこわいという気持ち

私は「外の世界」...つまり世間に対して人とちがう見方をしていると思っています。

外の世界をひとことで表すのなら「こわい」という言葉です。

もっと噛み砕いていうと、「こわい」「恐ろしい」そして...「何をされるかわからない場所」という感じでしょうか。


生い立ちのことは本当は書くのは勇気が要りますが、私は3才の頃、母親と心が離れている時期があり、その期間はたったの数ヶ月だったのですが今でもそのことが根深い心の傷になっています。

で、その「母親と心が離れている時期」に、親以外の他人からいきなり叩かれたり、暴力をふるわれたことがあって、20年経った今もその傷が身体に残っていて、とてつもなくこわい思いをしました。

その頃から、外の世界を「人にいつ危害を与えられるかわからない、とてつもなく恐ろしいこわい場所だ」と思うようになりました。

今でも突発的に人から嫌なことをされると、あの頃と同じような恐怖が襲って来て、「こわい!」という気持ちでいっぱいになります。


この外の世界に対する「こわい」という思いさえなくなれば、どんなにいいだろうか、と思います。


今通っている就労継続支援A型事業所では、ほとんど変なことやこわいこと、突発的な恐怖を感じることは起きません。

ただ、一歩外の世界に出てみると、レジ打ちのお兄さんとか、ケータイショップのお姉さんとか、そういう人のちょっとした仕草でさえ「今のなんだったんだ?」「攻撃されるのでは?」「こわい」という思いでいっぱいになってしまいます。

このままでは、一般就労ははるか夢のまた夢...のような感じがするのです。


黙っていましたが、実は最近ある取り組みを始めています。

それは、「心の中にいる3才の自分」に優しく声をかけてあげる...ということです。

心理の先生に勧められて、毎日やっています。

こわいことがある度に、その「心の中にいる3才の自分」が酷く恐怖心を持ち、震えている気がします。

その時は、「大丈夫だよ」「怖かったね」「ここに私がいるよ」と声をかけています。
そうすると、だんだん心が落ち着いてくるので、頑張ってやっている感じです。


こわいことってたくさん起きて来たし、きっとこれからもたくさん起きてきます。

世の中優しいひとばかりじゃないのは当たり前のことなんだと思います。


私はもう少し「生きやすく」なりたいです。

いろいろな意見はあるかと思いますが、私は「生きやすい場所」を人に作ってもらうのではなく、「どこでも生きやすい自分」を自分で作りたいのです。

そういうことも含めて、事業所で、耐性をつけていけれたらなあ...と最近は考えています。

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