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九大創設の地「箱崎キャンパス」閉校と16万7千分の一
昨年秋(2018年)に、母校である九州大学(九大)は、メインキャンパスを箱崎から伊都に移転を完了しました。そして、元メインキャンパスである箱崎キャンパスで今年(2019年)2/8に閉校式が開催されたと知り、2/10に箱崎を妻と訪問しました。妻も九大の卒業生で、私は平成元年に工学部生産機械工学科、妻は平成2年に教育学部を卒業しました。
箱崎キャンパスには1911年に九州帝国大の工科大が創設されて以降、農、法文、理の各学部が設置されたそうです。
なんで伊都みたいな田舎に移転するのー
という声をよく聞きますが、僕らが卒業した平成初期には、施設老朽化などを理由にすでに新キャンパスの移転が決まっていたそうです。当時農学部長を務めていた仲人さん(五斗先生)に聞いたことがあります。
大学はなんとか留年することなく卒業することができましたが、本当ギリギリの成績・単位をとるのがやっとで、今でも追試の夢を見ることがああります(笑)
なので、箱崎キャンパスで、勉学についてあまりいい思い出はありませんでした。
一方、時を経て、いろんな方との繋がりがきっかけで、2004年に九大知的財産本部に移籍することになり、なっなんと、箱崎キャンパスが職場となりました。
そして、2010年には、九大の特定関連会社(九大が100%株式を保有)である産学連携機構九州の代表取締役に就任することなり、頻繁に足を運ぶことになったのが、
九州大学本部、通称「赤煉瓦(あかれんが)」でした。
産学連携に関するプロジェクトに関する打ち合わせ、総長や理事への報告等、定期的に足を運んでいました。
階段を登ると、右手に扉があり、その奥に理事室、さらに左手一番奥に総長室がありました。ここにくると緊張して身震いしたことを今でも覚えています。床には赤い絨毯が敷いてあり、旧帝大の威厳を感じることができる空間でした。
記事によると、箱崎キャンパスは、107年間で約16万7千人の学生を排出したそうです。その中には、宇宙飛行士の若田さんやシーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠さん、「世界の中心で愛を叫ぶ」の原作者である片山恭一さんや、世界的に有名な研究者である新海先生など素晴らしい方々がたくさんいらっしゃいます。
一方、九大の子会社(特定関連会社)というのは一つしかなく、その社長(兼務ではなく専任)を務めた九大OBは、実は私一人なのです。
つまり、16万7千人分の1
大学をギリギリの成績で卒業した僕が、そんな確率で母校と付き合うようになったことは、まさに奇跡と言っていんじゃないかなと思います。
そういったこともあり、僕にとって箱崎キャンパスは、学生時代だけでなく、自分の人生の変革期を過ごした非常に思い出深い場所となったのです。
なので、閉校は非常に寂しく感じました。
ただ、過去を引きずっていても仕方がありません。約50ヘクタールのこの場所が、九州だけでなく日本にとって有効活用されることを期待しています。
100年間お疲れさまでした。そしてありがとう!箱崎キャンパス