母というひと-033
小説家の帚木蓬生氏の作品で(タイトル失念しました)
「疾患を持って生まれた子供の母親は、例外なく自分を責める」
「母親のせいではないのだが」
と書かれた内容に出会った時
私は胸を打たれた。
母の姿を間近で見て、痛いくらいそれが理解できていたから。
母の、自身への責めは、息子への愛着ともなって行く。
例えば、私が3歳の頃。
母と兄と私の3人で海へ行ったことがある。
母はカナヅチ、兄は火傷の跡を見せるのが嫌で水着を拒否し
二人とも浜から動かない。
私は逆に、小さな頃から水が大好きだったので
一人で海へ入っていた。
気付いたら、ずいぶん沖でうつ伏せになっていた。
自分がどこにいるか分からず
何がどうなったか咄嗟に理解できなくて、急いで母と兄を探すと
さっきよりも、ずっと二人が小さく見えた。
そこで初めて、波にさらわれたのだと気付いて怖くなった。
「おかあさん!」
叫ぶが、声が届かない。
何度呼んでも、振り向いてももらえない。
母はその時、兄にアイスを食べさせていて
私の姿を時々でも確認しようとするそぶりさえない。
(え、私がどこにいるか心配してないの?)と驚きながらも
幸いにも遠浅の浜だったので、なんとか立ち上がり
何度も波に転かされながら、二人の元へ戻って
波が来て、連れて行かれて、怖かった、というようなことを
必死で母に訴えようとした。
怖かった。だから慰めて欲しかった。
そして、娘を探さずに怖い体験をさせたことを
反省して、謝って欲しかった気持ちもあったように思う。
母には伝わらなかった。
笑いながら「へーそうね」と一瞬だけ振り向いて
すぐに「あーん」に戻り、アイスを兄に食べさせ終えた。
さて、最後までそれを黙って立って見ていた私の頭の中で
どんな言葉が出たでしょうか?
答えはこちら↓
(何が「あーん」よ!6歳の、しかも男の子に!自分で食べられるでしょうが!)
要は「バカかこの二人」と思ってしまったわけだ…
3歳くらいだと、まわりが思うよりもっともっと考えているもので
きっちり判断もつく。
私は母に期待するのをやめ
甘やかしを受け入れている兄のみっともなさ(と見えた)から目をそらし
また一人で波打ち際へ行って遊ぶことにした。
学習したので、足首くらいしか深さのないところを選んで。
その帰り道、兄がぐずり始めた。
母が怒り出した。
私は少し離れて見ていた。
すると、怒った母が、手に持っていたものを地面に投げつけた。
見ると、それは私が母方の祖母から買ってもらって大事にしていた腕時計。
あまりのことに絶句し
慌てて取り上げると、一番細い針が取れて、ぶらぶらしている。
長い針も、ジッ、ジッと変な動き方をした。
(こわれたんだ)
悔しすぎて
言葉がうまく出ないけど、必死に抗議の意を示そうとした。
「おこらせたのはおにいちゃんなのに
なんで、わたしのとけいをなげるん?
なんでおにいちゃんのものをなげんの?
おばあちゃんがかってくれたのに」
返って来たのはいつもの言葉。
「やかましい!」
それでもう、黙りこんだ。
黙ることしかできないと、その頃はもう知っていたから。
時計は宝物箱に入れて、そのあと何年も持っていたが
繰り返す引っ越しの中でいつの間にかなくなっていた。
長いこと、そんな母の八つ当たりが悔しくてたまらなかったが
母はその頃はもう、息子を厳しく叱ることも
間違いを正すことも
一人で放っておくこともできなくなっていたのだと
自分が大人になってからやっと分かった。
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