だから“麗”に還る
2024年11月23日。人生初めての大秘めフォト展。
生憎文字通りの「ありのままの私」の写真はお蔵入りになり、今より一つ若い私の写真が展示された。
それを見て正直に感じてしまった。
「出す作品を誤った。」
なぜなら、絶対麗度に挑む前の写真だったから。
プレミアム級の秘めフォト京都偶数月通常回に撮影した、42歳の私の最後の姿。
2024年4月20日。たまたま誕生日前だったから、
「これは参加しなくては」
と挑んだ。
天狼院名古屋と全く違う日本家屋で自然光の舞台。ポージングの多いプログラム。参加3回目。大人数で個性豊かな参加者が集う初めての秘めフォト京都。
様々な要因で緊張して撮影は苦戦しまくったが、スゴくステキな作品に仕上がった。
だけど、本当に展示するべき作品は、絶対麗度以降の悩みまくった姿だと感じた。
絶対麗度を始めて、何をそんなに悩んだか。
3月から毎月どこかの秘めフォトに参加する私に、松下さんはクーポンと絶対麗度を薦めて下さった。正直に言うと、
「プレミアムも参加できるから課金しよう。」
が本音だった。
でもやるからには真面目に取り組もうとFacebookに目を通した。
そこからが絶対麗度の本番だった。
まず絶対麗度セッティングシートを提出しなくてはならなかったが、2024年は結局未提出で終了した。
目標を描くことが苦手で仕方なかった。
描くだけなら自由にも関わらず、自分に対し不安、諦観、罪悪感。不信感故に書き出すことをできなかった。いや、やらなかった怠った。
秘めフォト参加の為に、自分を磨く努力はしていた。
人生初めての挑戦を楽しむ自分は、推し活に勤しんでいた去年の自分とは最早別人。
しかし明確な目標、本当になりたい姿に関しては、解像度があまりにも低かった。
原因は「生身の女である自分」から逃げていたから。
長年「不細工」を容認してしまったことは、同時に女である自分を諦観したネグレクトであった。
諦観は「女性」を拒絶し、求めることに罪悪感を与えてきた。
絶対麗度はガーターデビューと意気込んだものの、セクシーなランジェリーを身に着ける自分をどこか嘲笑っていた。
「他の参加者様みたいに、お前はなれないよ。」
と。
だから麗ライティングも、10月までは書けないでいた。
セッティングシートができていなかったのもあるが、参加者の皆さまは文章もまた秘めフォトだったから。
皆さん、プロだったんですか?騙していたのですか?と疑う見事な文章。
しかし上手さ以上に一番堪えたのは、皆さま自分のことを赤裸々に正直に手掛けられていたこと。
「こんなの無理だ。」
読みながら頭を抱えた。書きたくなかった。
自分は、女として恥ずかし過ぎる存在じゃないか。
吐き出せなくては、成長できないのか。
彼女たちと同じ場所に立てないのか。
「短くても出せば変わるよ。書こう。」
それは9月の秘めフォト同窓会。
まともなこと何一つできない後ろめたさと、他の参加者様といちいち比べて良い被写体になれない自分に悩んでいた時に彼女は仰った。
秘めフォト参加も、ジャーナル、ライティングも積極的な彼女の言葉は、余りにも説得力があった。
翌月からはライティングをAIの力を借りながら頑張った。
SNS自体は書きたいことをおかまいなく書く性分だから、ジャーナルは空気を読まず書いていた笑。それを元に生成AIと共に自分を掘り下げていく。
秘めフォトでの体験は「書きたいこと」「言いたいこと」ばかりだった。上手いこと出せなくて伝えていないことが余りにも多過ぎた。
書きたいことを好き勝手に書きまくるのは、苦では無い。
だから、書きたくなかった最大の原因である自分のコンプレックスを晒すことができた。
書き切って読み上げて頂いた結果、良い意味でどうでも良くなっていた。
苦労しながら続けた絶対麗度の一つの集大成が、全裸の「ありのままの私」であった。「零」であり「麗」の姿。
仕方ないのだが、本当の大秘めフォト展は絶対「麗」度である、あの写真だった。
そんな苦しくも楽しい努力を積み重ねてきたというのに、本社の上司は一方的に、
「まだ若いから整形しとけ。」
と容赦なく浴びせてきた。
以前の私なら激しく落ち込み孤独に呪っていたが、今は秘めフォトを応援して下さった従業員さん含め店内に笑い話として共有。彼女は、
「こんなにキレイなのに、失礼じゃん」
と真剣に怒り、店長は、
「だったら渡航費含め全部出せだよな。」
と清々しい快答。
あの人の言うことだから、気にすんなな感じで。
思えば仕事も、絶対麗度前は接客業だというのに平気でイライラしていたし、言動もルーティンで酷く雑だった。
仲間には嫉妬と嫌悪をしまくっていたし、過去の恨みつらみで会社そのものを諦めていた。
今は不思議な程に、仲間にもお客様にも落ち着いていられる。
決して汚い気持ちが無くなった訳ではないけれど、何事に対しても客観的に振舞える様になった。どうしてあんなに平気で子供でいられたのやら。
詳細は省くが、まともに連絡もせず帰りたくなかった実家にも数年ぶりに帰省することができた。
それはきっと、変わりたいと本気で真剣に望み、総てを曝け出す絶対麗度の皆さまと共に、たった1人の本当の自分を求めることができたから。
彼女たちに出会うことができて、本当に良かった。
書いたら変われましたよ。ありがとうございました。
だから、2025年は今一度「麗(れい)」に還ることにする。
今度こそ何にも囚われない全裸の自分で、自由に絶対麗度を求めたい。