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「魂の殺人」されても生きていかなきゃならんのよ

※この記事はもう本当にずっと以前に、怒れる元気は出てきたがまだ気持ちの整理がついていない頃にそれこそ嘔吐に近い形で書いたものです。犯罪被害者の怒りや絶望的なもの敢えてそのまま載せますので、気分悪くしたらごめんなさい。ただこんな気持ちになるんだということを記録しておきたいだけで他意はないです。

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社会契約という考え方がある。とてつもなくざっくりいうと我々は社会に守ってもらう代わりにルールや法にみんなで従うことになったという考え。
でもじゃあ社会が守ってくれなかったとき、守られなかった人間がどう感じるのか、想像したことがあるかよ。いざ自分が「守ってもらえなかった」とき、そしてそれが何回も起きたときの裏切られた、また裏切られたという思いと、この世のすべてが吐きそうなくらい気持ち悪い感覚。道を歩くのも怖くて、部屋にいても気が休まらず、指が震える感じ。生きているのが、親や家族にも申し訳ないと思う静かな絶望。

面と向かって話すと平気なふりをして乾いた笑いばかり出てくる(だってそうしないと差別するじゃないか)から、今日はこういうことについてここだけで感じたまま赤裸々に書こうと思う。

社会契約を破ったものが現れて、それが明らかになったとき、被害者はすぐ公に引きずり出される。彼らは毎日律儀に社会のルールを守っていたにもかかわらずだ。そして調査のプロセスでは、思い出したくもないようなおぞましいこと、自分が蹂躙された瞬間、自分の存在が否定されて完全に相手のあらゆる欲を満たすものとして扱われた、社会から放り出されて相手の完全な支配下に敷かれた瞬間について何度も何度も何度も何度も、同じことを、詳細に、時にはその時の姿勢や服装まで再現させられながら、自分の口から話すように言われる。こんなこと誰のためにやってんだよ。少なくとも被害者のためでは絶対ない。ただ社会をつつがなく運用するのためのプロセスに参加するよう強いられている。その社会は自分を守ってくれなかったくせにだ。あと「相手にどんな処罰を望みますか?」なんてくだらない質問も聞かないでほしい。いまさら何?ていうか誰だよ、遅れてきて何正義面して仕切ってんだよ。もう起こった後なんだよ。なら最初から助けろよ。それか放っておいてくれ、たとえ私がそいつを焼いたとしても。

さらなる皮肉は、心もマヒするほどさんざん聴取をされてやっと、加害者に「任意の」調査が行く多いパターン。それまで奴らは、ルールを破ったにもかかわらず、のうのうとよろしくやっているわけである。地獄。なぜ被害者ばかりが2次3次の蹂躙を受けながらの時間を払わねばならないのか。そのうち涙も出なくなって、ただ淡々と、時には愛想笑いなんか混ぜつつ話せるようになってくる。耐えきれないときに麻痺するように人間のあらゆる部分はできている。すると「意外と平気そうじゃん」なんて言い放たれたり、「そんなことはネタで笑いにすればいい」「加害者から金をとってやれ」なんて言ってくるやつが出てくる。

気持ち悪い。悪気無いならますます気持ち悪いな。お前は社会に裏切られたことあるのかな。裏切られると思ったことあるのかな。裏切られてなおこんな社会で生きていくしかない自分に嫌気がさすことあるのかな。お前は自分の体のすべての細胞から一刻も早く出て行ってほしいほど怖くて気持ち悪い相手が持っていた金を手に入れて心からうれしいのかな。お前が、笑い飛ばせることだとか、決める権利あるのかな。本当はこんなこと、まだぎりぎり崩れていない自分の身の一番回りの小さな社会にまで感じたくなんかないのに、地獄が地獄を生み、誰もかれも信じられなくなる。そんな感覚わかる?あなたの奇異なものを見る黒目の輝き一つが、話のタネにしてやろうとするとき少し上がる口元の一縷の動きが、手のひと振りが、また被害者を喰いものにしているのわかる?そういう奴はみんな同じ顔をするの、知ってたかな。加害者と同じ、今にも笑い出しそうな不気味な顔。今度鏡で見てみてよ。

そんなこんなで散弾銃のように散らされた弾はいつまでも誰かの刺激でうずいてなくなることはない。もちろん、それと同じくらい寄り添ってくれる人、麻痺した自分の代わりに怒ってくれる人だってたくさんいる。でも何年たっても、そのことを知っている人知らない人から喉を潰される痛みに慣れるわけじゃない。いつか自分や自分の大事な人が同じように地獄に落ちたとき、自分がどんなに無神経に無自覚に、相手の脈打つ心臓を脈打ったまま踏みつけすり潰していたか、そのあともその心臓で生きていかねばならぬ人を見ていなかったか、知るときがくればいいななんて そんな他人の不幸を願う人間にも本当はなりたくなんてない。

「こういう」犯罪は魂の殺人なんて巷では言うらしい。でも問題はたとえ魂が殺されてても踏まれた心臓で生きていかなきゃいけないってことだ。自分で蘇生して、無理なら半死半生のままでも、また残った弾を無自覚に抉られて地獄の底に落ちかけてもなんとかやっていかなければいけないんだ。こんな目にあっても、より良い人間にはなりたい。まるでフラッシュバックするようなこの症状をもう乗り越えたとか一生言えないと思うけど、それでも喜びや幸せを諦められるわけでもない。なにもかも終わらない。たとえ社会がプロセスとしてのあいつの処罰を終えたとしても。

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