春眠
春になると思い出すのが目黒川の桜だ。夜を埋め尽くすむせ返るような桜並木のなか、深夜、暗闇の一歩先を確かめながら進むように一緒に歩いた相手を思い出す。
わたしが夜の公園が好きだというと、その人は、なんでそんなに自分と君は似てるんだ、とぼやいた。その人とは大学で出会ったが、別に特に何の名前もない関係だ。でもそういうさよならすら言わないような相手に限って、何年も経ってなんとなく思い出しもする。
今はもう解体されたらしい段々になっている大教室は、その頃はまだ古めの棟の5階にあって、高い天井と巨大な黒板がどこか大聖堂じみていてその無駄のある作りが私は好きだった。まだ春は遠い時期にたまたまその人も同じ一般教養をとっていた。学期終わりの講義は早めに幕を閉じ、去っていく同期の後ろ姿を見送る。次の講義は2コマ先。わたしは生ぬるい光の差し込む教室で空きコマの潰し方を考えあぐねていた。次の時間、この教室は使われないらしかった。
暗転。ふと眠った。神様がそう命じているみたいに、抗う気の起きる間もなく眠りに滑り落ちた。そして次に幕が上がった時、もう講義室はがらんどうになっていた。
暮れ始めた日の光とグレーがかったガラスの窓に囲まれた巨大な教室は、部屋自体の呼吸が聞こえそうなくらい静かだった。ただ自分の向かいにいるのが誰かだけは、わたしはなんとなくもう知っているのだ。
何を言ってもお芝居みたいになりそうで、石のようにずっと黙っていた自分は今考えれば白々しかった気もする。でも叱られる前の子供みたいにこっそり視線だけをもたげると、その人の頬には窓から差し込んだ光がかすかに当たっていて、光の中には埃が少し遊んで時間がきちんと流れていることを示していた。指先がわたしの、だらしなく伸ばしたままだった手に、とてもとても近かった。
そこからどんなことがあったのかは想像に任せるけども、とにかく2人はその日の最後、夜の目黒川の前に立っていた。何度も言うけどその人と私はそんなに親しい仲じゃなかったから、なんだかおかしな気分だったのを妙に鮮明に覚えている。ただこういう時に何が起こるのかわからなくて、それこそ川に落ちた桜の花びらみたいに流れに身を任せてしまうことが人生にはある、と思う。とくにもぎたての桃みたいに繊細で柔らかくて瑞々しい学生時代には。
目黒川は私のバイト先の近くで、帰り道によく通っていた。でもここまで夜の桜並木の中に足を踏み入れたことはなかった。隣を歩く、黒い水面と同じ色のふたつの目はどこをみているのかわからなかったけど、砕いた水晶をみたいな光が黒目の端で歩幅に合わせてちらついていた。
何もなかった。ただ私たちはもう提灯も消えた目黒川沿いを、一歩一歩踏みしめるように歩いていた。
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