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レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ 53

「それでは、行きましょう。ジャン、旦那様のことをよろしくね。」
「かしこまりました。奥様、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
 侯爵家の使用人に見送られながら、アンは馬車に乗って出かけていく。
「奥様、顔色がお悪いようですが、本当にお出かけしてよろしいのでしょうか。」
 馬車の中で、侍女が心配そうな顔をしてアンを覗き込む。
「ええ、大丈夫。昨日あまり眠れなかっただけ。図書館に行くのが楽しみで、寝つけなかったのかもしれないわ。」
「まあ、奥様。小さな子供みたいなことをおっしゃって・・・。」
 アンは侍女とくすくす笑いあった。
「気分が悪くなりましたら、絶対に教えてくださいませ。何かありましたら、もう旦那様は外出の許可を出さなくなりますから。」
「ええ、分かっているわ。」
 そう言いながら、アンは外を見た。見覚えのある通りに、ほんの少し緊張が走る。もう少しで図書館に着くだろう。

「奥様、ようこそいらっしゃいました。」
「こんにちは。今日もよろしくね。」
 図書館の職員に案内され、誰もいない部屋に通される。机の上には、既にいくつかの本が並べられていた。
「前回おっしゃっていた本を集めました。どうぞご覧ください。」
「どうもありがとう。・・・意外と多いのね。もっと少ないかと思っていたわ。」
「関係者が多いものですから、人々からの証言を集めると量が多くなりますね。お知りになりたい内容かどうかはわかりませんが。」
「そうね。それでは、見せていただこうかしら。」


 ノーサンバランド公爵ジョン・ダドリーは、ジェーン・グレイの叔父であるアランデル伯爵によって捕らえられ、処刑の前日にカトリックへの改宗を誓ったものの処刑された。
 メアリー女王は、彼の処刑をもって終わりにしようとしたが、民衆はそれを許さず、ジェーン・グレイと夫ギルフォートの処刑を求めた。二人は反逆罪で有罪になったものの、すぐに刑は執行されず、再びロンドン塔にある建物に収監された。メアリー女王は、権力争いの犠牲者であるジェーン・グレイに同情しており、ギルフォートと一緒に暮らすことは許さなかったが、彼女が侍女をつけ不自由のない生活をすることを許した。
 しかし、メアリー女王とスペイン王太子フェリペの縁談が持ち上がると、プロテスタント派の人々中心に婚約に反対する反乱が各地で起きた。その中でも最も大きいものだったトマス・ワイアットの乱の中に、ジェーングレイの父サフォーク公爵ヘンリー・グレイがいた。ジェーングレイと共に逮捕されたものの、メアリー女王の特別な計らいによって釈放されたサフォーク公爵だったが、ジェーン・グレイを旗印にして反乱を起こしたことをメアリー女王は激怒し、周囲はジェーン・グレイを処刑することを望んだ。
 最後までジェーンを処刑することを躊躇っていたメアリー女王だったが、カトリックに改宗したら許すといった温情をジェーンが拒絶したため、処刑することを決めた。ジェーンがプロテスタント派の旗印となることを憂慮した、苦渋の選択だったと言われている。
 ジェーン・グレイの在位は9日だった。そのため、彼女がクイーンの称号をつけて呼ばれることはない。

(9日・・・たった、9日だった。)
 アンは目を閉じ、涙が零れないように上を向いた。
(わたくしのしたことは、何だったのだろう。メアリー様が女王となるべきだったのに、無理矢理割り込んだ、邪魔者の女王。いえ、女王でもないわね。その証拠に、クイーンの称号で呼ばれることすらない。誰からも望まれない女王、それがわたくしだったのね。)
 アンは静かに本を閉じた。そして、何度も躊躇いながらジェーン・グレイの処刑について証言を集めた本を開いたが、いくつかの証言に目を通したあと、本を開いたままふらりと立ち上がった。
「少し・・・外の風に、あたりたいわ。」
「奥様、大丈夫ですか?お顔が真っ青です!」
 アンが立ち上がると、侍女が慌てて傍に来た。職員もその様子を見ておろおろしている。
「ええ、ごめんなさい。少し休めば大丈夫だから。」
 侍女に支えられるようにして、アンはやっとといった様子で外に出た。
「奥様、あちらにある椅子に掛けましょう。」
 そう言いながら、侍女はゆっくりとアンを歩かせる。
「・・・失礼!」
 その時、誰かとぶつかったようで、アンは思わずよろめいた。
「奥様!」
「大丈夫ですか!」
 足に上手く力が入らず倒れこみそうになったが、危ない、と思った次の瞬間、力強い腕に支えられたのが分かった。のろのろと顔を上げると、心配そうな深い緑色の瞳と目が合った。
「あなたは・・・」
 どうしてここにいるの、と言おうとして、アンは意識を手放した。


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