レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ㊺
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ。」
そう言って、彼女は微笑んだ。仮面をつけているのにも拘わらず、その表情が美しくて、ユーグは思わずどきりとしてしまう。
「店を閉めてしまうのなら、こちらの素晴らしい絵はどうなるのですか?」
「こちらに飾っている絵は、すべてがわたくしのものではないのよ。ですから、本来の持ち主にお返しするだけ。いくつかはわたくしの私物ですから持って帰りますけれど。」
「そうですか。残念、もう少しじっくり見ればよかった。」
「よろしければお近くでご覧になって。残念ながら、あまり絵をご覧になる方はいらっしゃらないのよ。わたくしはとても気に入っているのですけれど。」
「あなたがどの絵よりも美しいからでしょう。」
「まあ、お上手ですこと。」
そう言って、彼女は笑い声をあげた。その姿は少女のように可愛らしく、先ほどまでの艶やかな表情とはまた違ったものだ。
「この店を閉めてしまったら、あなたの信奉者は悲しむでしょうね。」
ユーグがそう言うと、女は首を傾げた。
「わたくしの、信奉者?」
「ええ。あなたに思いを寄せる男も多いと聞きますので。」
「・・・そうかしら。わたくし、そういったことに興味がないから考えもしなかったわ。」
「そうなのですか。」
ユーグは意外というように彼女を見た。この店は、彼女に会うために来るような店なのに、何のために店を開いていたのだろう。
「失礼ですが、この店は、あなたが信奉者と過ごすために開いたのだと思っていたのですが、違ったのでしょうか。」
「いいえ、この店はわたくしと対等に話していただける殿方と過ごすためにつくったのよ。ほら、女性ってどうしても立場が低いものでしょう?たとえそれが王族でも、女性というだけで正しい意見を言っても聞き入れてもらえないこともある。嫌だったのよ、そういったことが。せめてこの場所だけでも、男性と女性が対等に話が出来てもいいのではないかと思ったの。」
「そうでしたか。願いは叶いました?」
「そうね、叶ったかもしれない。でも、わたくしの信奉者が多いのならば、やはり店は閉めるべきでしょうね。」
「それのどこが悪いのでしょうか。むしろ、あなたにとっては都合が良いことでは?」
「わたくしは、殿方の意見がを聞きたいのよ。もしくは、楽しいお話が聞きたいの。わたくしの意見に賛成としか言わない方に、興味がないだけ。あなた、御存じ?王様の御機嫌ばかりとっている国は、どんなに栄華を誇っていてもゆっくりと衰退していくのよ。」
そう言うと、彼女はグラスに口をつけた。
「わたくしは、いろいろな意見が聞きたいと思っているわ。賛成も、反対も。意見をぶつけて喧嘩をしたいわけではないの。ただ、選択をしなくてはならない時に一番良いものを選びたいだけよ。」
「もしそれを王が出来たのなら、その国は最も発展するでしょうね。」
「あなたもそう思って?」
「ええ。残念ながら、それはアーサー王でも難しいかもしれませんが。」
「この国の王になる者たちが皆憧れる英雄ですら難しいものなのね。」
「やはり、人には心がありますからね。それは時として、正しいことよりも優先させてしまうものなのでしょう。」
「そうね。世の中と言うのは難しいものだわ。楽しいことだけ考えられたら、どんなに楽でしょうね。」
「本当に。それは、どの国の王でも一度は同じことを考えるものかもしれません。実際に享楽に耽るかどうか決めるのはご自身ですが。」
女は黙って考え込むような仕草を見せた。ユーグはしばらくその様子を眺めながら、ふと思っていたことを尋ねた。
「私の知り合いが、あなたに一目惚れをしたようなのです。ただ、そのような思いは、あなたにとって御迷惑でしょうか。」
彼女はグラスを見つめたまま、つまらなそうに「そうね」と言った。
「こちらにいらっしゃるお客様の中にも、時々そういう方がいらっしゃるの。すべての方に迷惑だからとお断りしているのですけれど。大体の方には納得していただけるのですけれど、時々困った方がいらしてね。女は結婚した方が幸せに決まってる、なんておっしゃるのよ。わたくし、そんなに不幸なのかしら。毎日が幸せでたまらないと思っていますのに。あまりに一方的に決めつけて怒るものですから、困ったものですわ。」
そう言って彼女は立ち上がり、「ゆっくり絵をご覧になってくださいね」と言って去っていった。
彼女が去ってから、店の客はぞろぞろと帰っていった。私は少しだけ絵を見せてもらう。店員たちは静かに後片付けをしていて、先ほどの女性が戻ってくることはない。絵を見終わると酒の代金を支払い、静かに店を出た。