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輪舞曲 ~ロンドン⑩~

 わたくしは、そんなアン様を冷静に見ておりました。
 アン様のお傍にいる時、今までのわたくしは少し俯き、目を伏せるようにしておりました。少しでも目を合わせたらどのような罵声を浴びせられるか、物を投げつけられるか分からなかったからです。そんなわたくしのことを、アン様は特に覚えることもなく、空気のような存在に思っていたかもしれません。
 しかし、わたくしはあのパーティーの日から俯くことはやめました。アン様がこちらを見なくても、わたくしは顔を上げて真っ直ぐにアン様を見ました。
 ある日、そのようなわたくしに気づいたアン様は驚いた顔をし、怒りで頬を赤くしました。それでも、わたくしは以前のように俯くことなく真っ直ぐに彼女を見つめました。
「その、今している首飾り!それは、ヘンリーから貰った物なの?」
わたくしは、はっきりと申し上げました。
「はい、そうでございます。」
そう答えるや否や、アン様は唸り声をあげながら手にしていた扇子を投げつけました。それはわたくしの頬に当たり、当たった箇所は鋭い痛みを感じました。すぐに赤く腫れあがることでしょう。それだけでは満足しなかったのか、こちらに掴みかかってきました。アン様は、ものすごい力でわたくしのしていた首飾りを引っ張ったので、首が刃物で切られるようでした。アン様の傍に控えていた兵士が、力づくでわたくしからアン様を引き離しました。恐らくヘンリー様の御命令で、何かあったときはわたくしを守るようにと言っていたのでしょう。残念ながら、ヘンリー様からいただいた首飾りが引きちぎられる前には間に合いませんでしたが。
 兵士に取り押さえられてからも、アン様はこちらを悪魔のような形相で睨みつけ、獣のような呼吸の音だけが聞こえてきました。
 その日以来、わたくしはアン様の侍女ではなくなりました。それは、いよいよわたくしに、大きな決断をしなくてはならない時が近づいていることを意味していました。

 あら、そろそろ行かなくては。・・・それでは、ごきげんよう。


 女性はあの日と同じようにすーっと消えていった。私はすぐに扉の近くに身を潜めたんだ。数秒後にノックされることなく扉が開き、掃除用具を持ったひとりの女性が部屋にやってきた。その女性が別の物を取りに行ったのか部屋を出て行った隙に、私もそっと部屋を抜け出したよ。幸い、そのあと誰にも合わずに宮殿を後にすることができた。
 その日宿に戻ると、手紙が届いていてね。それは私をイギリスに呼んだ親戚からだった。『倒れて数日はベットから出られなかった娘だが、このところ日に日に良くなってきている。お礼がしたいので、是非来て欲しい。』という内容だった。私は、そろそろこの事件からは身を引かなければならない時期が来たと分かったんだ。

 次の日の昼過ぎ、いつもより遅い時間だがハンプトンコート宮殿を訪ねた。毎日やってくる私に慣れたのか、受付にいる男は何も言わずに中に入れてくれた。
 見学が終わる少し前の時間ということもあり、帰っていく人々とすれ違いながら宮殿の中を進んで行った。少し暗い宮殿の中は、不気味な気配が漂っている。
 昨日女性に会った部屋へ行こうと階段を登っていたとき、いつの間にか目の前を歩く女性の姿が見えたんだ。私は驚いたが、すぐに「またお会いしましたね、美しいかた」と声を掛けた。前を歩いていた女性は止まり、ゆっくりと振り返った。
「お忘れでしょうが、昨日は素敵なお話をありがとうございました。ヘンリー様のこと、そしてキャサリン様のお話を忘れることはないでしょう。」
「・・・」
「本当はもっとこちらにいたいのですが、国に戻らなくてはならなくなりました。最後に、キャサリン様やアン様ではなく、あなたの話をお聞きしたいのです。この宮殿であなたが、誰とどのように過ごされたのかを。どうか、教えてください。」
私がそう言うと、彼女は少し考えたあと控えめに頷いた。


 わたくしの話?お話しするほど面白いものではありませんが・・・。わたくしは、キャサリン様の侍女として、さらにアン様の侍女として仕えてきました。お二人ともヘンリー様のお妃様でしたが、まさか、わたくしが主人であるヘンリー様の妃になるなど思いもしませんでした。
 貴族とは名ばかりの田舎者の父が、権力を持つためにわたくしを侍女にしました。それだけにとどまらず、キャサリン様を追い出したアン様を見て、父や兄は欲が出たのでしょう。何かとヘンリー様と私を引き合わせ、ヘンリー様に気に入られるためにと、いろいろと指示するようになりました。なんでも、ヘンリー様は簡単に手に入るものはすぐに飽きてしまわれるため、口説かれたからといってすぐに恋人になるのはいけないのだとか。

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