輪舞曲 ~ロンドン⑮完結~
「君は大金持ちの娘と結婚の話を断ったのか!おまけに、相手はかなりの美人のようじゃないか。一体何が不満だったのかい、信じられない話だ。」
ピエールが目を見開いて言うと、ユーグは、やれやれといった様子で溜息をついた。
「君の言う通り、確かに彼女は大金持ちの一人娘でかなりの美人だ。それに語学も堪能で、3ヶ国語は話せるはずだ。」
「そんなに美人で頭の良い女性の、どこが気に入らない?」
「小さなころから欲しいものが手に入るのは当たり前で、自分より恵まれない境遇を持つ人に同情するふりをしながら見下しているところかな。それを本人が自覚していないから質が悪い。もちろん、小さなころから本人も努力して今の実力があるのは認めるけれど、そもそも裕福な家庭でないとそういった努力も出来ないだろう?例えば、明日の食事に困る人に勉強しろと言っても難しい話だ。そういった人と自分は違うと見下すのは違うと思っている。そもそも、努力できる環境が違うのだから。ああいった連中は、自分が簡単に手に入れられないものに価値を見出すから、媚びを売ることのない私に執着しているだけなのさ。今思ったけれど、彼女はどこかの王様にそっくりじゃないか。」
ユーグは乾いた笑い声をあげて、コーヒーを口にした。
「まぁ、親戚としての責務は十分すぎるほど果たしたはずだ。あの娘も、少し前に結婚したとか聞いているぞ。何にしても、興味はないけれどね。」
「冷たい男だなぁ。」
「付き合いたくもない付き合いをずっと続けていると、他の人にとっては大したことがないことでも、我慢できなくなる時がくるものさ。」
「分からなくはないけれどね。」
ユーグは長い足を組み替えた。ピエールはコーヒーの香りを嗅ぎながら、ゆっくりと口に含んだ。
「それよりも、私が気になっているのはジェーン王妃のほうだ。もう何年も前のことなのに、今日のように突然思い出して、やりきれなくなる。」
「どういったところが?」
「彼女は敬虔なカトリックの信者で、神への祈りを欠かさなかった。性格も穏やかで真面目、あん・ブーリンのように浪費もしない。確かに、キャサリン王妃と比べると、家柄も美貌も劣るだろう。貧しい貴族の出身だから、王妃となるべく教育も受けていなかったかもしれない。しかし、彼女は自分なりに頑張って、王妃という責務をこなしていたはずだ。子供を出産したことが原因で亡くなってしまったが、今でも神のもとへ行くことも出来ず、あの宮殿で彷徨い続けている。」
「・・・」
「神がいないとは言わないけれどね、あれだけ信仰心のある女性が、その生き方が報われることなく今も彷徨い続けているということに、やりきれなさを感じるのさ。」
「難しい話だね。」
「そう、答えのない話だ。」
「でも、イギリス人は幽霊とか精霊の話が大好きだろう?彼女の存在は、喜ばれているんじゃないか?」
「そうだね。君の言う通り、イギリス人はそう言った話が大好きだ。宮殿を案内してくれた女性も、幽霊見たさに訪れる人が多いと言っていたよ。今回除霊した娘も、幽霊見物に来ていたのかもしれないな。」
「彼女は、亡くなった後も国民のために尽くしているのだね。」
「・・・そう考えると、王妃の鏡のような人だね。」
「僕はね、彼女はそこまで不幸でもないんじゃないかと思ったよ。」
「・・・」
「だって、彼女は思ったんだろう?“神さま、どうか助けてください”って。今は少なくとも、ヘンリー8世から子供を望まれることなく、誰の顔色も窺うことなく過ごせている。」
「子供に会うことは出来ないが、面倒な連中に会うこともない・・・か。」
「そう。幸福ではないかもしれないが、少なくとも、前より不幸ではないかもしれない。まぁ、僕は神のもとで穏やかに過ごして欲しいけれどね。君、彼女を神のもとへ送ることは出来ないのかい?」
「いや、私は神父ではないからね。そういったことは難しいかな。ただ、彼女の場合、天に還るのは難しいだろうね。」
「どうして?」
「彼女の存在を望む、今を生きている人たちの思いが強すぎるからだよ。そういった思いは、せっかく天に還ろうとしている魂を、地上に縛り付けてしまう。」
「幽霊となった彼女を望む人が多すぎるのか。」
「歴史に名を遺す偉人たちの中には、思いという鎖によって、天に還りたくても還れないと苦しむ魂もいるほどなんだ。それを想うと、苦しみを感じないだけ、まだ彼女は幸せなんだろうね。」
「すべてではないが、神は彼女の願いを叶えたということか。」
ピエールは、残りのコーヒーを飲み干すと、メイドが淹れようとしたお代わりを断った。
気がつくと、空にオレンジ色が広がっている。
「ありがとう。君のおかげで、有意義な時間を過ごせたよ。答えの出ない問題に遭遇するというのも、たまにはいいものかもしれない。」
友人の言葉に何も返さず、ユーグは頬杖をつきながら、彼が帰り仕度をするのを眺めていた。友人は、帽子を手に取りながら、ふとその手を止めた。
「ジェーン王妃のような控えめな女性だったら、君は夢中になるのかな。」
ユーグは、その質問にくすりと笑うと答えた。
「私はいつも、目の前にいる女性が世界で一番大切な人だと夢中なんだ。たとえ、彼女が幽霊だとしてもね。」
ピエールは、やれやれと肩をすくめて帰っていった。