見出し画像

レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ③

 ユーグは、依頼人が指定した待ち合わせのレストランへ向かった。店員に名前を告げると、心得たように奥の部屋へ案内される。パリでも皆が憧れる高級店で、落ち着いた良い雰囲気の店だ。
「初めまして。」
「初めまして。お待たせして申し訳ありません。」
 個室で待っていたのは、まだ年若い精悍な顔立ちの男だった。立ち上がった彼の背は高く、仕立ての良い上質な生地の青いジャケットは、余裕のある暮らしぶりを表しているかのようだ。
「いえいえ、先ほど着いたばかりですから。僕は、オリバー・キング。ロンドンを中心にいくつか店を持っています。」
「ユーグ・ガルニエです。」
 二人の挨拶が終わると、グラスを置いた店員はいつの間にか姿を消していた。依頼人の男は、ユーグに椅子を勧める。
「ロンドンにお住まいなのに、どうしてフランスに?」
「商談です。僕の店で扱いたいと思う商品がいくつかありましたので。」
「そうですか。」
「折角ですから、何か注文しましょうか。食事は済まされましたか?」
「軽いものを少しいただきたいです。」
 オリバーがベルを鳴らして給仕を呼び、メニューを見せながらいくつか注文した。ユーグがワインを頼むと、給仕は頷いて部屋から出た。
 一瞬の沈黙ののち、ユーグは口を開いた。
「あなたからのお手紙を読ませていただきました。大体のご依頼は分かりましたが、もう少し詳しく教えてくださると助かります。何故、私に依頼したのかも。場合によっては、他の適任者を紹介しますので。」
「そうですね。文章にすると長くなってしまうので、要約して書いてしまいました。かえって分かりにくくなってしまったかもしれませんね。ただ、出来ることなら、やはり貴方に依頼したいのです。」
「それは、どうして?」
男は、口元に微笑みを浮かべた。
「そのほうが上手くいく気がするのです。」


 二か月ほど前でしょうか。私は、取引先の人と食事をした後、もう一度飲み直そうかという話になりました。その人が「他にはない、面白い店がある」と紹介してくれたのが、ロンドンにある小さなパブです。表通りからほんの一筋入り込んだ通りに、その店はありました。特に看板などは無く、窓から洩れている温かな光だけが、そこに店があるのだということを教えてくれていました。連れていかれて僕は拍子抜けしました。酒を出すとは思えない妙な店だったからです。そんな僕を見て、相手は「まあ入ってみろよ」と言いました。彼が言うには、その店は一日11人までしか客を入れず、途中で客が帰ったとしても、後からやってきた客は入れないそうです。一日、きっちり11人までしか相手をしない店、それは昔から決して変わらないようでした。最初は半信半疑でしたが、少し興味があったので入ってみることにしました。取引先の男も、自分が5番目の客かもしれないし、12番目の客かもしれない、店に入れるかどうかは運次第だと笑っていました。
 扉を開けると、服を着ていても筋肉質だと分かる壮年の男が立っていました。どうやら、扉の前にはその男が店番をしている狭いカウンターがあるだけのようで、客の姿は見えません。店番をしている男は、取引先の男と何か言葉を交わすと、私たち二人を中に入れてくれました。カウンターの横にある扉を開くと、中は豪華なシャンデリアがあり、大きな丸いテーブルの周りを囲むように椅子が並べられていました。店番の男は、空いている席に私たちを案内すると、部屋を出て行きました。連れの男が、「ついてるな!」と僕に声を掛けました。どうしてなのか尋ねると、「俺たちで11人目だそうだ」と言われました。幸運なことに、僕たちがこの日の最後の客になったようです。 
 私たちが席に着いたのを見計らって、物腰の柔らかい男が注文を取りにきました。私たちはスコッチを注文し、しばらく雑談をしながら店の中を観察していました。
 店の中は、パブだというのに沢山の絵や彫刻が飾られていました。貴族が好みそうな調度品が多く、そういった雰囲気が好きそうな裕福な客が多いようでした。成金が好みそうな派手さは無く、全体的に華やかですが落ち着いて上品な印象を受けました。また、店員は二人と少ないですが、きびきびと働いているため、特に不便は無さそうに見えます。
 スコッチを飲みながら、私たちは仕事やくだらない話をしました。話をしながら、私は、相手がどこかそわそわしているのを感じていました。「どうしたのですか?何か、気になることでも?」と尋ねました。「ああ、ええ、ちょっとね」と、相手はきょろきょろと部屋を見渡しながら言いました。
 その時、明らかに店の中の空気が変わったのを感じました。それまで白黒だった世界に、一気に鮮やかな色がついたような、空気が変わったというのはまさにこういうことかと思いました。私は何が起こったのかと見回すと、奥で客と話をする女性の後ろ姿が見えました。女性は、紺色のドレスに身を包み、髪の毛を美しく結い上げていました。首筋から背中にかけて見える白い肌はきめ細かく、全体が輝いているように見えました。艶のあるこげ茶の髪には、ダイヤモンドで作られているであろう星形の髪飾りがいくつも飾られていました。
 私の隣にいる男が、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえましたが、それも気にならないほど、私は女性に釘付けになりました。まだ、顔も見ていないというのに。


いいなと思ったら応援しよう!