見出し画像

レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ 58

「奥様の体調はいかがですか。」
「おかげさまで、次の日にはすっかり元気になったよ。しばらくは屋敷でゆっくりさせるがね。」
「それはよかったです。」
 ユーグはほっとしたように息を吐いた。
「わざわざ来てもらって、ありがとう。妻とは知り合いだったのかい?」
「いえ、お見かけしたことはあるのですが。実は、奥様のことで気になることがありましてお伺いしたのです。」
「・・・ほう?」
「私は、今回仕事の関係でイギリスに来たのですが、ある方からお願いされたことがありました。それは、サマーセット侯爵夫人と会わせてほしい、というものでした。」
「・・・。」
「その方は、ロンドンでいくつかの店舗を構える、名の知れた商会の跡取りの青年です。背が高く、なかなか整った顔立ちをしています。本人も、多くの女性から好意を持たれると話していました。」
「ほう。それで、どうして妻に会いたがっているのかい?」
「夜会で見かけて、好意を持ったようです。」
「そうか。」
「私は断りました。確かに私は貴族の知り合いがいますが、知り合いでもない侯爵夫人を紹介することは出来ないと。そうすると、彼はすべてを捨ててもいいから侯爵夫人に会いたいのだと言いました。」
「素晴らしいことだね。」
 侯爵は、まるで眩しいものを見るような目でユーグを見た。その顔に嫌悪感は感じられず、純粋に羨ましいと思っているようだ。
「お嫌ではないのですか?」
「まったくだね。むしろ嬉しいくらいだ。」
 不思議そうにユーグが尋ねると、侯爵は答えた。
「納得いかないという顔をしているね。君も、儂くらい年をとったらわかるさ、」
 そう言って、侯爵は窓の外に目を向けた。窓から見える庭には誰もおらず、庭に咲く花が風に揺られている。
「それでしたら、余計なことをしてしまいましたね。彼は、奥様に会うためなら何でもしそうな雰囲気がありました。奥様が不快な思いをしないよう、お伝えしなければと思ってお邪魔したのです。」
「そうか、わざわざありがとう。それでは、妻が怖い思いをしないよう、護衛の数を増やそう。」
 そう穏やかに言うと、侯爵はゆっくりと紅茶を飲んだ。
「君は知っているだろうが、儂と妻は年が離れていてね。ずっと傍にいてやることが出来ないから、誰か妻のそばにいてくれる男がいないかとよく思っているんだ。この話をすると、妻にはよく怒られるが。」
「仲がよろしいのですね。」
 ずっと黙っていたスコット公爵が口を開く。
「妻は、年の離れた儂に良くしてくれてね。周りからはいろいろと言われているけれど、仲良くやっているよ。儂が死んだあと、妻には幸せでいてもらいたいと再婚を勧めたのだが、もう結婚する気はないと言われてしまった。貴族の男が気に入らなければ商人でも良い、妻が好きになる男と一緒になってくれたら、儂も安心するのだが・・・。」
 そう言って、侯爵は寂しそうに笑った。
「そんな・・・私は、死んだ後に妻が別の男と結婚するなんて、嫌です。考えられません。」
 スコット公爵が叫ぶと、侯爵は優しい目で公爵を見た。
「儂が死んだあと惨めに暮らすくらいなら、誰かと結婚して笑っていてほしいとは思わないか。」
 そう話すと、スコット公爵は黙って俯いた。
「妻は、よく夢を見て魘されているんだ。手を握ってやると安心するようでね。傍にいるのに、どこか遠くをを見ているような目をしている時がある。妻は穏やかに微笑んでいることが多いが、不安定な心を必死で隠している時があるんだ。だから、あの子を一人にしておくのが心配で堪らない。」
 侯爵はそう言って目を閉じ、こめかみを押さえて黙ってしまった。ユーグたちは、その様子を黙って見つめていた。


「今日は来てくれてありがとう。つまらない話をしてしまったね。」
 侯爵はそう言って、ユーグたちの乗って来た馬車が止めてある門のところまで送ってくれた。
「いえ、こちらこそいきなりお邪魔して申し訳ありませんでした。」
 ユーグが答えると、侯爵はその様子をじっと見つめた。
「妻の体調が落ち着いてきたようだから、庭に出ているらしい。ユーグ君、君さえ良ければ妻に挨拶してもらえないだろうか。」
「私がですか?」
「君の話し方は穏やかだから、妻も話しやすいだろう。行ってやってくれないか。」
「せっかくだから、挨拶してこいよ。私も離れたところで待っているから。侯爵、ユーグが奥様に手を出したら、私が殴り飛ばしますからご安心ください。」
 スコット公爵がそう言うと、侯爵はおかしそうに「ふ」と笑った。

いいなと思ったら応援しよう!