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レディ・ジョーカーに祝杯を捧げよ㊳

 その青年はよく買い物している商家の跡取りで、とても気が利くので夫人の一番のお気に入りだった。最近手に入れた大きなエメラルドの耳飾りも、この青年の店で買ったものだ。「貴方は特別ですよ」と言いながら、高額な品物を用意して気の利いたことを言い、それでいて自分に触れようともしないところに夢中になった。他の男たちはあわよくば深い関係になろうとするのだが、彼だけは決してそのようなことはしない。手に入りそうで入らない青年との関係は、今まで感じたことのないほど胸をときめかせる。
 しかし、青年が自分には決して向けることのない熱のこもった視線を、初めて会った侯爵夫人に向けている。悔しくて堪らなかったのと、この女のことを周りにも教えてやろうと思い、子供のような純粋さを装って聞いたのだ。
「先ほどは主人とも楽しそうに話をされていらっしゃったから、何をお話しされていたのかと思いましたの。やはり、侯爵夫人は年上の男性が好みなのかしら。」
 その言葉に周りの人たちは凍り付いたのがわかったが、無邪気な振りをしていた。返事を待っていると、侯爵夫人は首をかしげておっとりと答えた。
「夫は、皆様ご存じのように長く生きておりますから、わたくしが本でしか知らなかった歴史や事件のことを実際に見聞きしておりますの。ですから、そういった話を聞くのがとても楽しいのですわ。まるで、物語を読んでいるような気分になるのです。」
 そう答えた様子に嘘はなく、本当にそう思っているようだった。予想外の答えに「まあ、勉強家ですこと」と言うので精一杯だった。侯爵夫人は自分の周りにいる青年たちを見ても何とも思わなかったようで、ちらりと見ただけで興味がないのが分かってしまった。何を言っても思っていたような反応が返ってこない。未だにうっとりと侯爵夫人を見つめる青年を引っ張るようにしてその場を離れた。
 その後、周りの男たちに機嫌を取られても、夜会の料理や装飾を褒められても、伯爵夫人は少しも心が晴れなかった。何とか滞りなく夜会を終えると、逃げるようにして自分の部屋に帰っていった。
(信じられない、信じられない・・・!どうしてあんな年寄りと結婚して幸せだと思えるの。誰だって、若くて素敵な男の方が良いでしょう?どうしてわたくしを羨ましがらないのよ!)
 苛立っている原因はそれだけではない。商家の青年が、終始サマーセット侯爵夫人のことを聞いてきたからだ。彼は、侯爵夫人が自分の父親よりも年上の夫がいると聞いて驚き、肩を落とした。その様子に、伯爵夫人は更に苛立ちを覚えた。
「あなた、サマーセット侯爵夫人は確かに名門貴族ですけれど、あまり社交界でお見かけしないから良いお客様にはならないのではないかしら。まさか、侯爵夫人のような方がお好きなの?お金目当てで年寄りと結婚したと、もっぱらの評判ですのに。」
 周りの青年たちと、くすくすと笑うように冷やかすと、青年はむっとした様子で言った。
「お金目当てだというようには見えませんでした。所作の美しい、女神のような方だと思ったのです。誰かがあの方に嫉妬して、酷い噂を流したのでしょう。」
 嫉妬、という言葉にどきりとした。気持ちを誤魔化すようにくすくす笑ってみせたが、青年はむすっとしたまま機嫌が直ることはなかった。きっと、明日青年を屋敷に呼びつけても今まで通り買い物できるだろう。素晴らしい品物を「貴方だけに」と言って見せてくれるだろう。こちらが無理を言っても「大切なお客様のために」と言って、融通をきかせてくれるだろう。しかし、自分が考えていたような甘い関係は今夜で終わってしまった。今後、青年と夫人の間には、お互いの姿が見えつつも超えることのできない確かな壁が存在し、ことあるごとにそれを感じるに違いない。いや、むしろ今までだってあったのに、貴族の優しさだからと気にしないようにしていただけだ。
 そう思うと、無性に腹が立って仕方がない。彼の働く商会でも、自分はかなりのお得意様のはずだ。それに、アイヴァー伯爵家の御用達として、社交界では名が知られ始めているのだから、それなりの扱いをするというのが当たり前だろう。それなのに、彼の不注意のせいで自分が不愉快な思いをするというのはいけないことなのではないか。
 今まで何度も、男たちがやってきては自分のもとから去って行った。ある者は結婚し、ある者は別の女のもとへ行った。お互いに、少なくとも夫人は未練を残すことなく彼らを送り出した。自分のような魅力的な女には、すぐにまた別の恋人ができるからだ。
 でも、あの青年が自分のもとから去っていくことだけは許せない。それがどうしてなのか、夫人には分からなかった。
(しばらく彼と会うのは避けましょう。泣いて縋り付くまで許さないんだから。次は、彼が見とれるくらい素敵な姿で会わなくては!まずは、新しいドレスを注文しましょう。)
 酔いが回ってきたせいか、瞼が重くなる。目を閉じる直前、今日着たドレスを注文した店は、あの青年が口利きをしてくれて注文をとってもらえたことを思い出した。
 

 

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