輪舞曲 ~ブロンド⑦~
屋敷の主であるジョルジュが、客人と顔を合わせたのは久しぶりのことだった。この何を考えているのかいまいちつかめない男は、自分よりもずっと早起きして動き始めるらしい。ジョルジュが起きるのは遅すぎない時間のはずだが、一緒に朝食をとることはまず無かった。だから、ジョルジュがぼんやりとした頭で食堂に入っていったとき、日の光を浴びて脚を組み、ゆっくりとコーヒーを飲んでいるユーグの姿を見てとても驚いた。
ユーグはジョルジュの姿を認めると、音を立てることなくカップを置いてにこやかに挨拶した。
「おはようございます。気持ちの良い朝ですね。」
「ああ、おはよう。」
ジョルジュは、かろうじて掠れた声で返事をした。実のところ、驚きすぎて声が出なかったのだ。朝日を浴びて椅子に座る彼の姿が、あまりにも神々しいと思った。舞台俳優のような色男とは違うが、彼もなかなか美しい、猫のような掴みどころのない男だ。
「今日も調べもののために屋敷をうろつきますが、お許しください。」
「ええ、結構ですよ。頼んだのは私ですから。」
「ありがとうございます。」
そう言いながら、彼はコーヒーを口に運んだ。ジョルジュが席に着くと、温かいコーヒーと焼き立てのパンが運ばれてくる。目の前の男は食べないのだろうか、とぼんやり考えていると、彼の心を読んだかのように「私は先ほどいただきましたので」とユーグが言った。
「そういえば、私は今日用事があって、少し屋敷を離れます。執事やメイドはこの屋敷におりますので、何かあれば遠慮なく申し付けてください。」
「ありがとうございます。どうかお気をつけて。」
そう言うと、ユーグはコーヒーを飲み終えたのか立ち上がった。その姿は、パリの社交界で見かける紳士と何の遜色なく優美だと思った。今まで考えたことは無かったが、ユーグの姿は貴族よりも貴族らしいとさえ思う。身につけている服も上等で流行を押さえているし、会話していても不快に思うことは無い。彼は貴族の姓ではないはずだが、小さな頃から貴族として育っているわけでもないのに、ここまで美しい立ち振る舞いが出来るのであろうか。
朝だからか、ぼんやりして考えが纏まらない。そう思っていると、ユーグはつかつかとジョルジュの近くまでやってきて囁いた。コーヒーの香りと、彼の纏っているすっきりとした柑橘の香りが、ほんの少しジョルジュの頭をはっきりとさせた。
「近いうちに、仕事の成果を報告できるよう私も手を尽くしましょう。あなたにも、この屋敷で働く方たちにも、大変お世話になりましたから。それでは、良い一日を。」
ジョルジュは、しばらくの間、ユーグが出て行った扉をぼうっと眺めていた。
朝食の時にジョルジュと話したユーグだが、仕事の進捗状況を聞かれることが無く安心すると共に少し拍子抜けした。この調子なら、頼んでいた梯子のことすら忘れているかもしれない。先日、ユーグたちが梯子で屋敷の裏の2階を覗いていたことなどを、誰かが主人に伝えるかもしれないと思っていたのだが、その心配はなさそうだ。
(まぁ、今はそれで良いかもしれないけれど。)
そう思いながら、ユーグは2階へ続く階段を軽い足取りで登っていった。
手すりには所々に細かな細工がしてあり、また、艶もあることから代々この屋敷の持ち主が丁寧に手入れさせてきたことを伺わせる。新しい主人にも、この屋敷を美しいまま維持してほしいものだ、と思って溜息をついた。
(いけませんね、他人の事情に口を出すのは)
関係のない他人から口を出されることの煩わしさは誰よりも分かっているはずなのに、とユーグは苦笑いした。
ユーグは執事に確認を取り、屋敷の中を調べる許可をとった。執事は、主人が使っている執務室と寝室に入ることは駄目だが、それ以外の部屋なら自由に見て良いと許可してくれた。人手が足りないのか、ユーグに見張りと思われる使用人をつけることがなかったため、好きなように歩き回ることが出来た。
念のため、先ほど屋敷の1階から調べてみたが、特に変わっていると思われるところはなかった。2階にも来てみたが、違和感を感じるところはない。
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