表し方のひとつ #人生のプレイリスト 3.5
音楽とともに人生を振り返っているシリーズ4回目です。
4回目だけど、3.5。
3と4の間。
シリーズ3までの間、意識の表に上がってこなかったのですが、幼稚園の頃から中学生頃にはピアノを習っていたのでした。
特別に人生のどこかのシーンに入り込むほどの曲、あるいは感動などがなかったからか、プレイリスト一次選考もれ、となっていたようです。
言い換えると、ピアノがあることは「日常」だったのかもしれません。
同時に、クラシック音楽があることも、普通のことでした。
どちらも、母の嗜好です。
ピアノを習いたかった母が、自分の子供に習わせた。
クラシック音楽が好きな母が、レコードをかけていた。
私自身はたぶん、ぱっとしない出来だったんだろうなと思います。
リズム感も音感もあんまりないし、よく知らない曲を練習するモチベーションも持てなかったのだなと今は思います。
きらいではありませんでしたが、他に好きなことを見つけ出した思春期頃からは、顕著に練習しなくなっていったように記憶しています。
あまりにも練習しないので、月謝の無駄ということで強制終了となりました。
そんな子供でしたが、ピアノを通した体験が助けてくれたこともいくつかありました。
小学校の音楽の授業は楽勝。
大人になってからは、疲れている時には「言葉」のない音楽を聴いたりします。
特に、音過敏に困っていた頃、回復期にはクラシック系の曲から元気をもらったように思います。
もう一つ気づいたことがありました。
ピアノの習い事をやめた後になって、自分で弾きたい曲の楽譜を買って弾くようになったのですが。
弾きたい曲というのが、ゲーム音楽のピアノアレンジで。
これは、「好き」の表し方だったのだなぁと。
好きだから弾きたかったし。
好きだから描きたかった。
別のnoteに書いたことがありますが、私は感情が押し込められている(らしい)ので、好きを表す媒体が必要だったり、好きであることを語る代わりに、弾いたり描いたりしていたのだなぁと。
いくつかの「点」が、つながった気がします。