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新エートス建国 ~とびきり素敵な住み家のつくりかた~ (第1章)

『ゆるゆる国』と『きっちり国』のおはなし

 むかしむかし、『ヒポポン国』とかつて呼ばれた国がありました。その国から、現在の『ゆるゆる国』と『きっちり国』にあたる二つの新国家に分かれていった頃のお話。

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第1章 子は社会の宝、「新・家族」法-(前編)

  トゲアリトゲナシトゲトゲは、もう自分がよくわからなくなっていました。まるで迷子にでもなった気分です。

 「ああもう。どっちに行けばいいのかなぁ。僕、どうしたいんだろう?」

 今までは自分で決めなくてもよかったことを、急に決めなくちゃいけない。そんな大きなことを言われても。…迷っちゃう。
 「僕、今までもいっつもそうだったんだ。本当は、自分のことさえよくわからないんだ」
 この2か月間、さんざん迷いに迷ったのだから、どちらを選んでも後悔はしないのかもしれない。えいやあ!で勢いよく決めてしまってもいいかも。そうすれば、もう迷わなくて済む。
 とにかく、自分では決められない。みんなはどうやって選んでいるんだろう。この集会場でみんなの意見を聞いて、みんながどうやって決めているのか、その様子を見ることができれば、何かヒントが見つかるかも。トゲアリトゲナシトゲトゲは、藁をも摑むような気持ちで、重い扉を押し開けました。

 「子どもは母親と一緒がいいに決まってるじゃない!」
 カンガルーは、かんかんに怒って何度もジャンプしながら叫びました。アマミノクロウサギが、「子どもの世話なんて、2日に1回5分くらい様子を見てあげれば十分」と言うのを聞いて、びっくり仰天してしまったからでした。
 「その間に何かあったらどうするつもり? 母親なのに無責任だとは思わないの?」
 「あなたは、母親神話がちょっと強すぎるんじゃない?」
 アマミノクロウサギはそれだけ言うと口をつぐみました。が、その実、心の中では「あの人はいいわよ。でも、他のみんなも同じようにやって当然みたいな言い方はどうなの? 子どもが生まれたら最後、自分自身の生活は二の次、三の次。お腹ポケットもなしにそれじゃあ、親はくたくたに疲れきって、子どもを産む人なんて、この先いなくなっちゃうんじゃない?」と、そこまで言うべきかどうか、小さくリズミカルな呼吸を整えながら考えていました。
 「24時間ママとぴったりくっついて過ごす時期があるからこそ、立派に自立できるようになるってものよ。赤ちゃんとママは常に24時間一心同体でいるべきよ!」
 カンガルーは興奮のあまり時々強力なキックまで繰り出し始めました。
 「男なんて、子育てでは本当に役に立たないの。子育ては女の仕事、女の闘いなのよ!」
 「おっと、急に矛先がこっちに向いてきたな」
 ここまでの賑やかなやりとりを黙って聞いていたタツノオトシゴは、カンガルーやアマミノクロウサギがいるほうを静かにゆっくり見やりました。「ちゃんと子育てしている男性だっているんだけどな。少なくとも俺の知る限り、俺の同級生は全員しっかりやっている。むしろ母親よりやってると言っていい。実際やってみると楽しいし、子どもはみんなかわいいし」と思いつつ、それを口に出して言うことはせずにふわりと漂いました。お洒落なイクメンパパの代表格のように言われることもあるタツノオトシゴとしても、育児に協力的な男性がやっぱり世間にはまだまだ少ないこともよくわかっていましたから。こういう時は、ふんわりやり過ごすのが一番です。
 「あなたはどうなの。あなただって、赤ちゃんは母親の暖かいポッケの中にいるのが一番安全だって思ってるでしょう。」
 カンガルーは、同郷出身者のコアラに話を振りました。おそらく援軍を求めたのでしょう。そのコアラはもぐもぐさせていた口を止め、真ん丸い目でカンガルーをじっと見つめ返しましたが、その後またもぐもぐの続きを始めただけで、ただの一言も喋りませんでした。
 もうこうなると、違う意見なんてとてもじゃないが言い出しにくい。何とも言えない空気がピリピリ張り詰めてきた中、口火を切ったのはサバンナ育ちのリカオンでした。リカオンは耳をピンと立て、
 「わかるわ、カンガルー。あなた、いつだって一人で立派に子どもを守ってあげていて、すごいわ」と穏やかに言い、カンガルーの様子を見つめながら注意深く続けました。
 「私なんて、自分一人だったらとてもじゃないけど、うちの子、ちゃんと育ってくれていたかどうか、てんで自信がないもの
 「あら、……ええっと、もしかして、先天性のご病気か何か、おありだったの?」
 「ううん、そんなじゃないのよ。ごく普通に元気に生まれてきたわ。とってもうれしかったし、私がこの子を守らなくちゃと思ったわ。」
 「そうよねえ。母親ですものねぇ。あ、あなた、じゃあご実家で?」
 「実家っていうか、私は、言ってみればコーポラティブハウスの共同生活だから。そこの同居人たちがみんなで寄ってたかってうちの子の面倒見てくれてたのよ。うちはいつもそんな感じなの」
 「まあ…」
 リカオンが会場の空気を変えてくれたおかげで、下のほうからも小さな声が上がりました。
 「私も、あの…、私も、子育てって、みんなで協力してやるものだと思うのよね。“子は社会の宝”って言うじゃない?だったらそういう掛け声だけじゃなく、実際に社会全体で子どもを育てるのが本筋よ。母親がワンオペで孤独に育児を背負い込む必要なんてない。私はこれまでたくさんの赤ちゃんの面倒を見てきたけど、実を言うとどの子も私の子どもじゃなかった。でも、大切な家族だと思ってる」
 アシナガアリは、この声ちゃんとみんなに聞こえてるかしら?と思いながら、できるだけ大きな声を張り上げて言いました。すると、その声のするほうを大体で見やりながら、ジャイアントパンダも続けました。
 「双子だったりすると、ワンオペじゃ本当に無理よ。私だったらきっとあきらめちゃう。双子の子育ては一人じゃ大変すぎるもの。もし誰かに助けてもらえるんだったら、遠慮なく助けてもらうわ」
 のんびりしていつもしあわせそうに見えていたジャイアントパンダがため息交じりに話すのを聞いて、ミーアキャットも思い切って2本足で立ち、注意深く周りをキョロキョロ見回しながら言いました。
 「誰の子かなんて関係なく、大人だったら誰でも子育てに加わるのが当たり前っていう、我が家も実はそんな感じで育ってきたんです。私はまだ独身ですけど、うちはもしかして特殊なのかな?って、これまでうっすら思ってたんです。将来は自分の育ったみたいな家庭がいいなって思いながら、けど、そんな家庭環境は、世間的にはもしかして引かれちゃうのかなと思ってたんだけど、意外と他所でもあるんだなって。ヘルパーさんも、いて当たり前って感じだったし」
 会場では、こうして徐々に声が上がり始めたようでした。場内に自分以外の男性参加者の姿を見つけたタツノオトシゴは、そっと近づいて、「こんにちは。どうもこの分科会は女性の参加者が多いようですね。ところであなたはどう思われます?」と声をかけてみました。話しかけられたアマミノホシゾラフグは、いつの間にか隣にやって来ていたタツノオトシゴのほうをいったん振り返りましたが、
 「僕は子育てもアート活動のひとつだと思っています。生きるうえで大切なのは、どんな時も生活に美しさを欠かさないこと。むしろ、子育て中こそ日々の生活に美が取り入れられるべきです。子どものためだけでなく、親のためにも」とだけ言って、また向き直りました。親しみやすそうな見かけのわりに、なかなかアーティスト気質の参加者のようでした。
 タツノオトシゴは、漂いながら黙って考え始めました。
「子育ては母親のワンオペじゃなく…、か。…父親のワンオペ育児も考えものなのかもなあ…」


第1章 子は社会の宝、「新・家族」法-(後編)

 その頃ハイエナは、はてさて、これは一体どうしたものかと困り果てていました。
 「虐待じゃないもん。ママもパパも、強くてかっこよくて優しいもん」
 まだ小さいライオンは、からだ全体で踏んばって、ぐーっと堪えながら言いました。今にも涙がこぼれてしまいそうでしたが、ライオンたるもの、子どもといえども泣いているところを見られたくありませんでした。ハイエナは、そんな今にも泣きだしそうに顔をゆがませている仔ライオンの身体の小ささに似合わない腕のぶっとさを眺めながら、「今はこんなに頼りなくて弱っちい感じだけど、あっという間に大きくなるんだろうなあ」と、あんまり関係ないことを考えていました。でも、いつまでもぼんやりそんなことを思っているわけにもいきません。何しろこの小さいライオンは、下手をすれば死ぬところだったんですから。
 「おうち、帰るもん。ママもパパも、ひっく、私のこと、ちゃんと大好きだもん
 「うん、そうだよ。それはそうなんだ。ママもパパも、お前のことは本当に大好きなんだと、オレも思うよ。でもなあ、困ったなあ…。何て言ったらいいのかなあ…」
 「で、連れてきちゃったの?」
 「だって」
 「うちが誘拐したと思われたらどうするの?最悪じゃないの?」
 「うー、まあ…、だけど…」
 「気持ちはわかるけどさ」
 「うん」
 「まあ、いまどき、千尋の崖から我が子を谷底に突き落とすとか、無いわーとは思うよ。私も」
 「う…」
 「昔はね、あたしも頭叩かれたり全然してたし、子どものいたずらのお仕置に昔はお尻ペンペンとか当たり前だったんだろうけど、今はもう、ほら、そういう時代じゃないんでしょ
 「うーん」
 「でも、とはいえ、やっぱり、よその家庭のやり方に首つっこむとか、ないでしょ。いくら小さい子のこととは言え。いや、むしろ小さい子どものことだからこそ。向こうは完全に頭に、カーッと来るんじゃない?」
 「いや、そうだな…。うん、その通り、ホント」
 「探してるかもよ」
 「え? あ、いや、それは」
 「探してないの?」
 「うん、さっきは…。ああ、でも…、そろそろ探してるかもな。いま、探してるかも…」
 「ああもうー。ほらー、絶対怒られるやつじゃん」
 「ああ…、うん」
 「もうー、誘拐じゃん」
 「いや、でも…」
 「明日」
 「え?」
 「明日、絶対、返しに行こ」
 「いいの? 一緒に行ってくれるの?」
 「あの子に、ひとりで、自分で帰れって、言えないでしょ」
 「ああ、うん、それは」
 「まあねえ、自分じゃ、虐待とか、全然思ってないんだろうね。いや、もちろんあの子もだけど、どっちかって言うと、親のほうも。親のほうが、むしろ。それが普通だと思って、昔からそんなもんだと思って、当たり前に。ふだんは実際優しいんだろうし。でも、過度に厳しくやられた時の傷が心のどこかに一生ずっと残ったり、するって言われちゃうとねえ。いくら瞬間的にその時その時だけで、あとはいっつも、ほとんど優しいんだとしても。
 そもそも昔は大体そんなもんだったんだし。変わったんだ、変えろ、って言われても。いつの間にか、変わったんだよなーって思ってても。時々ポロっとやっちゃうことも、あるよね、そりゃ。
 こういうのって、あれだよね。その親だけがたまたま悪いんだー、その親が特殊な例なんだーとかっていうものでもないかもね」
 「…うん」
 ハイエナの彼女は、行動力があるんだかないんだか、深く考えているんだかいないんだか、ちっとも煮え切らない様子の彼氏を見ながら、こっそり息を吐きました。仔ライオンは、二人がそんな風にさんざん気を揉んでいることも知らずに、疲れてぐっすり眠っていました。


 複雑で多様な諸条件下での最適化とは? 年が明け、粘菌モジホコリが新たな提案を示してからというもの、世間では議論が紛糾していました。カンガルーが飛び跳ねるほどの大炎上。
 粘菌モジホコリの示した新制度は、2つの大きな枠組みを含んでいました。
 まず、子どもの養育の責任を親(親族内)に限定させず、社会化させること。そのために、サブ家族、チーム制家族とも呼ぶべき新たな制度を基本として取り入れ、子どもは社会で育てる仕組みを根付かせること。親と子どもの同居については、決して阻むものではないものの、固定化は推奨しないとされました。
 次に、戸籍の廃止。すでに浸透しつつあった個体ナンバーカードの制度に一本化する方針が示され、戸籍はもはや不要とされました。子ども養育の社会化をスムーズに根付かせるためにも、一体化した取り組みとして同時期に一気に進められることになりました。
 こうした大転換とも言える方針が示されると、「そんなおぞましき改悪制度は決して成立させるべきじゃない」という硬い反応が現れた一方で、「あら、いいんじゃない。それもまた」という緩い反応も現れ始めました。この相容れないふたつの勢力の反目が後に大きな火種となり、歴史に刻まれるような大事件に発展…していくのかと思いきや、いかんせん片方が何につけゆるゆるに緩かったので、別にそんな衝撃的な展開になったりはしないのですが、それでもまだまだこれに関連した転換方針が続いて示されるたびに、ひと悶着ぐらいは起きることにはなっていくのでした。

(第2章へ つづく)

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